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98/11/25
第九回
読み切り
ミニコラム
'The Cruel Sea'
「クルエル・シー」
その3 京葉線物語










'The Cruel Sea' 「クルエル・シー」

その3 京葉線物語







 前回 のつづき。3つ目の海、千葉県の海について。

 2浪してしまったので、就職をしたのは24歳の時であった。就職先は電線メーカーで本社は丸の内だったが、新入社員は99%地方工場に配属される運命にあった。特に私の様ないいトシをして実家から出たことのないフヤケタ人間は地方配属の格好のエジキで、事前面接でも人事部から「日光に行って貰おうかな、それとも三重か...」などとさんざん脅されていた。そして3月末のある日、実家に届いた通知には「勤務地・千葉工場」と書いてあった。とりあえず関東圏には引っかかった。しかし、千葉とはなんとも...。それまで全く縁のない土地だったのだ。

 結局それから丸5年間、市原市にある千葉工場にいた。確かに丸の内本社や、平塚工場、横浜研究所など、自宅通勤が可能な「都会の」勤務地に比べればサエないところではあった。しかし、在職中は「千葉でもいいかな」と考えていた。理由は...海が近いからである。山奥の工場だったら干からびてしまったかもしれない。多少実家から遠くとも、そばに海があれば精神的、心情的には「どうにかなる」のだ(笑)。
 但し残念ながら市原市の「海」は堪能出来なかった。海岸線は沖合遙かまで埋め立てられ、海が「見えない」のだ(もっとも私のいた工場自体がその埋め立て地に建っていたのだが)。それよりも、千葉の海といえばJRの「京葉線」である。市原・千葉界隈に退屈していた私は、毎週末この京葉線に乗り神奈川県の実家まで帰っていた。金曜の晩か土曜の昼に東京に向かい、日曜の晩に(ほぼ毎週、かなり酔っぱらった状態で)千葉に帰る。5年間毎週...400〜500回は乗った計算になるか。

 この京葉線ほど海−東京湾である−を堪能出来る路線はないのではないだろうか。ともかく凄い。東京駅地下ホームを出て10分程、数駅は地下を走る。3つ目の潮見駅で地上に出る。ここから終点の蘇我駅まで約1時間の間、電車は東京湾岸をなぞる様に進んで行く。見事である。


 各地点ごとの雑感を書き並べて行くと...なんとも森田芳光の映画『の・ようなもの』のようなものになってしまうが(苦笑)...新木場駅から対岸を見る、ちょっと距離のある東京タワーの照明が霧に霞む、なぜか弱々しい感じがする、不思議な感じ。
 葛西臨海公園駅、手前は江戸川、先は荒川、河口は巨大で東京は水の都であることを痛感。夏は屋形船が一杯。例えは悪いがまるで「フナムシ」のよう。

 荒川を渡ると千葉県浦安市、舞浜駅は東京ディズニーランドの玄関口だ。しかし、川島雄三の映画で観た、『青べか物語』の舞台もこのあたりのはず。いかにも千葉人という感じのべか船の爺さんや、ドギツい消防団長、ハスッパな芸者たちはどこに行ってしまったんだろう。なによりもあの湿地に囲まれた漁師町「裏粕」は消えてしまったのか?新浦安駅を越えたあたりに、映画で観た風景を思わせる浜辺がちょっとだけ、残っている。一瞬だけ、タイムスリップ。

 これからしばらく工業地帯、工場と倉庫が続く。でも退屈はしない。運河に隣接した鋼材工場、クレーンを使って、横付けした船へ直接積み出してしまう。殺風景な景色と思われるだろうか?私はどこか懐かしく、「生産」の匂いのする逞しい風景だと感じるのだが...。
 そんな中、ぽっかりと浮かび上がるのが屋内型人口スキー場「ザウス」である。反対側には「ららぽーと」。しかしここは元は「船橋ヘルスセンター」ではなかったかな。あの懐かしい♪チョチョンのパだ。「ららぽーと」の最上階には大好きな回転レストラン(私は回転展望レストラン・マニアでもある)。どこまで見えるんだろう。いつか行ってみたいなぁ。
 なおザウスの下には「船橋オート」もある。幻の公営ギャンブル(笑)、オートレースはトレンディースポットの影でひっそりと行われている。

 ザウスの最寄り駅、南船橋駅を越えると、延々とススキの原、巨大な空き地が続く。ここを見ると思い出すのが高野寛のデビュー・アルバムのジャケット写真。同じような風景だったが、あれはどこで撮ったのだろう?
 間もなく幕張新都心。幕張駅は未来の駅である。突然広がる超高層ビル群、人工的なビジネス・センターだ。20世紀の人工都市、ブラジルの首都「ブラジリア」もこんな感じか?そんな中に、いきなり人間臭い「千葉ロッテ球場」、あまり強くナイというところも泣かせてくれる(笑)。菊とバット。ドライな街にウェットな日本野球が割り込む。がんばれ!千葉ロッテ。

 幕張からはしばらく住宅街。しかし次第に巨大な、本当に巨大な煙突や建屋が迫って来る。川崎製鉄千葉工場。小さな湾がまるごと工場の敷地になっている。夜には溶鉱炉の炎も見える。それらに迎えられる様にして、終点、蘇我駅
 「あおぞら訴訟」なる公害訴訟でモメた土地だと記憶するが、深夜に見る煙突からの炎は有無を言わせぬ力強さがあり、思わず感動する...が、地元の方々のことも考慮せねばらなず、うーん、コラムというのは難しいものだなぁ(苦笑)。


 今書いていて判った。この京葉線が好きな理由。私が生まれてから今に至る30年間くらいの海辺の風景が1時間のなかに凝縮されているのだ。ぼんやりと光る東京タワーに始まり、前時代的な巨大工場が、ディズニーや幕張新都心といった人工都市が、そして一瞬見える古臭い裏粕...いやいや浦安の湿地が、まさにパノラマのように流れて行く。「海辺の風景」の見本市、それが京葉線である。

 この京葉線、山手線などと同じ対面式の横長のイスなので、海を背にして座ってしまうと、上記のパノラマは全く見えない。サエない住宅や工場や倉庫がふわふわと流れて行くだけだ。本社勤務となった今でもこの路線には良く乗る。週2回は千葉工場に行かなければならないし、そのほかにも工場出張が多いのだ。工場での会議を終えて東京に戻ろうとしたある夕方、私はうっかり海を背にして座ってしまった。すると一緒にいたある部長さんがひとこと。「こっちよりも、反対側の方がいいじゃないかな...」。あの風景を観たいと思っているのは私だけではなかったようだ。



 私が暮らした海辺の風景を綴った「クルエル・シー」シリーズもいよいよ次回で最終回、現在住んでいる品川区大井の埠頭について記します。





−登場した映画−








▲ 向島界隈
 『の・ようなもの』 昭和56年・日本ヘラルド
 森田芳光監督のメジャー進出(非ロマンポルノ)第一作。伊藤克信扮する栃木弁丸出しの若手落語家「志ん魚」が、思いを寄せる女子高生宅に馳せ参じる。ところが彼女とその父親に「下手くそ」と言われて−ショックに撃ちひしがれながら−電車のなくなった深夜の堀切、鐘ヶ淵、向島、浅草を歩く。その途中、目に映った風景を描写する「道中づけ」をするところが見モノ。ほんわかとした感じのある名画である。






▲ 撮影風景
 『青べか物語』 昭和37年・東京映画
 山本周五郎の人気小説を、夭折の天才監督・川島雄三が映画化。オープニングなどまさにこのコラムの世界であった。
 ヘリコプターからの空撮で、斜めになった海岸線が映る。海岸といっても空き地と工場、そこに森繁久弥のナレーション「東京の都心から海岸ぞいに約10キロあまり行くと、江戸川の河口に出る。これが東京と千葉の境界線になっている...」。さらに空撮で江戸川を遡る。すると干拓地と「裏粕」の古い町並みが現れて、「さて、私はなにゆえにここにやって来たか...そうだ、どうしてここにやって来たんだろう?」。森繁演ずる文筆家"センセイ"の周りで起こる可笑しくも哀しい出来事を描いた大傑作である。










このコーナーは短いサイクルで更新されます



98/03/09 第一回 音楽をめぐる冒険 〜フィーリン・グルーヴィー(59番街橋の歌) みる
98/04/25 第二回 'The inflated tear'〜溢れ出る涙 みる
98/04/15 第三回 'Snow Queen'〜モノレールで聴いた「スノウ・クイーン」 みる
98/08/10 第四回 'Radio Radio Radio'〜「ラジオ・ラジオ・ラジオ」 みる
98/08/25 第五回 'Let's go out tonight' みる
98/09/10 第六回 'The Cruel Sea'〜「クルエル・シー」その1蒲田・羽田界隈 みる
98/10/15 第七回 「陽のあたる大通り」〜横濱JAZZプロムナード '98 レポート みる
98/11/10 第八回 'The Cruel Sea'〜「クルエル・シー」その2 逗子海岸に暮らす みる





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