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98/09/10 第六回 読み切り ミニコラム 'The Cruel Sea' 「クルエル・シー」 その1 蒲田・羽田界隈 |
'The Cruel Sea' 「クルエル・シー」 その1 蒲田・羽田界隈 |
東京生まれである。神奈川県で育った。今はまた都内に住んでいる。しかしながら、「海」とは縁が深い。生まれてからずっと、30年以上に亘(わた)って、である。引っ越しの関係で東京湾の周りをぐるぐると廻り続けているのだ。 もうこれは個人的な思い込みかもしれないが、私は「海からの距離」を身体で感じる。例えば東北新幹線に乗り、大宮、高崎と内陸に進んで行く。つらい。ひからびそうになる。総武線で市川、船橋と海沿いに進む。なんとなく安心する。街の景色や空気、特に「匂い」の中に海からの距離を感じさせる「何か」があると思うのだが...。 品川で生まれた。当時の住まいは大田区の蒲田(かまた)であった。東向きに数キロ進むと東京湾岸、羽田界隈に突き当たる。この間、約3〜4キロといったところか。 この「海」も、「街」もいわゆる「海辺」とは大きく異なっている。湾岸はコンクリートで固められ、街には中小の町工場が林立する。そして運河や内海を挟んで沖には巨大な羽田空港が浮かぶ。ビキニ・ギャル(死語)のいない海、工業地帯としての海辺、それが羽田である。そして私はこの街が好きだ。 羽田と蒲田の関係−まぁ蒲田は羽田の「表玄関」のようなものだ。蒲田から京浜急行の支線である「空港線」が出ている。糀谷(こうじや)、大鳥居(おおとりい)、穴守稲荷(あなもりいなり)...町工場の立ち並ぶ街並みを貫き、終点は羽田空港である。羽田界隈の人々は、この空港線で一旦蒲田に出てから都心に向かうことになる。そしてこの蒲田を中心として、羽田までの地域でひとつの「文化圏」が創られている...と思うのは、私だけだな(笑)。出身地に対する身びいきか?(笑)。 いや、そうとは言い切れない。昭和40年生まれの私は、そんな工業の街−京浜工業地帯の北端である−としての羽田しか知らないが、その昔は穴守稲荷を中心に繁栄した漁師街であったらしい。成り立ちからいうと、山本周五郎の小説『青べか物語』で描かれた千葉・浦安の街に似ている。街の佇まいや匂いにどことなく郷愁を誘うところがあるのはそのためかもしれない。そもそも「羽田線」は「穴守線」という穴守稲荷の参拝電車であったのだ。なんとも風情のある話ではないか。 そしてその羽田穴守町、及び鈴木町の旧市街は昭和20年9月、占領軍の超強制立ち退き命令により一夜にして潰されてしまった。本当に一夜で、である。当初の命令は「24時間以内に街ふたつ分、住民約3000人強制立ち退き」という信じられないものであった。いくらなんでも「物理的に不可能」という日本側の申し入れから、「立ち退きは覆さないが48時間に延長」と変更されたように記憶する。あの土地にはそんな悲劇の歴史もある。私は有名な「撤去することの出来ない空港駐車場の鳥居」はこの時の暴挙に対する祟りではないか、と考えている。占領軍は空港設備を拡張し接収、日本に返還されたのは講和条約締結後の昭和27年であった。 あの鳥居が物語っている通り、かつては、あの場所に「街」があったのだ。「昔、そこに街があった」か...なんだかユーゴの悲劇を描いた映画『アンダーグラウンド』('95・監督エミール・クストリッツア)みたいだな。しかもその崩壊が外圧だったとは...。こう考えるとあの東京の南端の工場街も、複雑な運命を辿った歴史的な場所なのだと思えて来る。 話を現代に戻そう。羽田出身のミュージシャン、鈴木慶一はあの場所を「東京ディープ・サウス」と呼んだ。前述した街の光景もディープだが、都心までの距離感も実際に、実にディープなのだ。私が住んでいた蒲田から都心、たとえば渋谷までは乗り換えなどを入れると30分以上かかる。彼の実家のある糀谷あたりからだと、接続が悪いと1時間以上かかるのではないだろうか。 東京という巨大な都市を、コンクリートの海辺から醒めた視点で見つめる、鈴木慶一や彼のバンド、ムーンライダーズの歌詞に見られる独特のクールさはそんなところから生まれたのかもしれない。 しかし、そうはいっても、工業地帯だろうが、コンクリートで固められていようが、「海」は「海」なのだ。彼らの曲の多くから私は強烈に「海」を感じる。リゾートではない、機械油の漂う海ではあるが...。 そんな場所でも夕景は美しい。いや、むしろ、夕日によって紅(くれない)色に染まった工場や倉庫は、殺伐とした日中の風景とのギャップから、砂浜などよりも美しく感じられるのではないだろうか。そうした情景を歌ったのが、ムーンライダーズの名曲中の名曲、「くれない埠頭」('82)である。 |
吹きっさらしの / 夕陽のドックに / 海はつながれて /風をみている |
残したものも / 残ったものも / なにもないはずだ /夏は終わった |
「くれない埠頭」 作詞・鈴木博文 一部抜粋 |
この世界が表現出来るのは、数あるロックバンドの中でもムーンライダーズだけではないだろうか(あとはやはり東京湾岸出身の弟的存在バンド、カーネーションか?)。作詞はベース担当の鈴木博文。鈴木慶一の実弟で、彼は今でも羽田付近の実家に住んでいる筈である。 こんな海もあるのだ。私の人生はその羽田に近い蒲田から始まった。東京生まれとはいうもののイマイチ垢抜けない、そして古臭い私の感覚はこれが影響しているのではないかと考えているのだが(笑)。そんなレトロさや斜に構えた感じはこの「サダ・デラ」にも顕れているかもしれない。 そして数年後、神奈川県の逗子市−これはもう、どうしようもなく海辺の街−に引っ越すことになるが、この「海」もなかなか深いものがあった。考えてみて欲しい。365日、海辺にいるのだ。秋も冬も、台風の日も、雪の日も、である。 みなさんの知らないシーズンオフの「海辺の街」については次回。このテーマ、あと3回、つづく。 |
−登場したレコード−
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