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98/08/10
第四回
読み切り
ミニコラム
「ラジオ・ラジオ・ラジオ」




'Radio Radio Radio'

「ラジオ・ラジオ・ラジオ」




 今から10年ほど前のこと、ビーチボーイズの'60年代の旧作が相次いでCD化された。それに関して音楽評論家の某氏が、「確かにいい音だが、いまひとつピンと来ない」という旨のことを書いていた。「とにかくこのころの音楽はAMラジオで聴いた音色が『標準』となっており、CDヴァージョンはいい音過ぎて違う曲に聴こえる」というのだ。
 この感覚、実によく判る。何回も同じことを書いて恐縮だが、とにかく私はラジオで育った。ロックもジャズもパンクもテクノも、全てAMラジオのスピーカーから「やって来るもの」だった。そして、あのAMラジオの歪んだ様な音色に「人間の心を掴む何かが潜んでいる」と感じるのは私だけだろうか。

 いや、どうやら私だけではないようだ。ロックの歴史を見てみると、ある者は自らの声をラジオに模して、またある者はラジオそのものを「引用」して、独自のサウンドを創り出して来た。いわば「ラジオに対するオマージュ」とも言うべきアプローチである。

 まずは「ラジオ・ヴォイス」という言葉を御存知だろうか。エフェクト効果を表すレコーディング用語で、その名の通り、AMラジオのスピーカーから聞こえて来たような音色にする加工を意味する。やり方は2通り、普通にマイクから録った音を中音域のみを上げ、あとは全てカットしたグラフィック・イコライザーに通す方法。そして、同じくマイクからの音をそのへんに転がしたヘッドフォンから流し、ちょっと離れたところからマイクで録り直す方法である。私も自宅スタジオで両方とも試したことがある。なるほど効果テキメン、思わずゾクっとしてしまう様な音色に変化する。
 そのラジオ・ヴォイスを使った世界最大のヒット曲は、なんといってもバグルスの「ラジオ・スターの悲劇/Video killed the radio star」('80)だろう。この曲のヴォーカルは、なんと全編ラジオ・ヴォイスであった。「ヴィデオがラジオの人気者を殺してしまった」というシニカルな歌詞が、ラジオの中に閉じ込められたラジオ・スターの「悲痛な叫び」の様に聴こえる。この曲を聴いたのは中学3年のこと。ラジオ好き、ロック好きでかつ「無線少年」だった私はその「音の悪さ」に痺れる様な興奮を覚えた。今でも本当に大好きな曲である。人生のベスト10にも入るかもしれない。
 仕掛人は当時バグルスのメンバーだったトレバー・ホーン。この1曲で世に出て、その後ZTTレーベルを創設。'80年代中盤にフランキー・ゴーズ・トゥー・ハリウッドやアート・オヴ・ノイズ(マリックさんのBGMになっているアレ)、さらにはイエスの「ロンリー・ハート」を大ヒットさせ、ブリティッシュ・ロック界の超大物プロデューサーとなった(最近もトム・ジョーンズの復活大ヒット「恋はメキメキ」('95)などをプロデュースしていた。相変わらず、面白いことをやっている・笑)。
 実はあの「ラジオ・スター...」は彼のオリジナルではない。「ブルース・ウーリー・アンド・ザ・カメラクラブ・バンド」というグループの曲だった。私はオリジナル・テイクを1回だけ聴いたことがあるが、そちらはラジオ・ヴォイスではなかった。キーボードは入っているがギターも聴こえる、普通のロックサウンドであり...ヒットはしなかった。全面的にシンセをフィーチャー、ニューウェイヴ風のアレンジを施し、ヴォーカルを全編ラジオ・ヴォイスにして、世界的大ヒット...トレバーの完全な「作戦勝ち」であったのだ。

 日本のラジオ・ヴォイス、もう「ラジオ・ヴォイス野郎」とまで言ってしまいたいのが、ムーンライダーズの鈴木慶一である。この人は徹底的にラジオ・ヴォイスが好きだ。ある時はラジオを、またある時はトランシーバーをイメージして、自らの歌声を例の籠もった音色に加工している。最初に登場したのは'81年製作のアルバム『マニア・マニエラ』だろう。その名も「気球と通信」という曲で「ボクヲヒトリニ/シナイデホシイ」、「コレカライツモ/キニシテイルヨ」といった記号的な歌詞をラジオ・ヴォイスにしていた。直後にナチュラルな氏のヴォーカルも聴こえ、その対比が実に面白かった。その後も'83年に鈴木さえ子と作った名盤『緑の法則』や、'84年のムーンライダーズのアルバム『アマチュア・アカデミー』などで、自らの声を件の小さな箱の中に「閉じ込めて」いた。
 驚いたのは'91年の『最後の晩餐』で、ラジオ・ヴォイス・ブームから10年を経て、ここでも、いまだに「閉じ込めて」いた。本当に好きな人だなぁ(笑)。この時はライヴステージにもラジオ・ヴォイス専用のマイクを用意。2本のマイクの間を移動しながら、ヴォーカルを執っていた。もう、本当に「ラジオ・ヴォイス野郎」(笑)。

 続いて、ラジオ引用の話。こうした「ラジオ感覚」を極めてしまったミュージシャンに、ドイツのホルガー・シューカイがいる。'79年発表の名曲「ペルシアン・ラヴ」には世界中がブっ飛んだ。シンプルなリズムに実験的なギターとシンセが絡み、どことなく中近東風の旋律を奏でる。そこに短波放送から録られたアラビア語らしき女性の声と、コーラン風の民族音楽が絡むのだ。女性の声には小さな音のモールス信号も混信している。サンプリングも、エスニックも先取りした傑作中の傑作!
 そしてこの曲は日本でもヒットした。ホルガーのアルバム『イマージュの恋人/Movies』からこの曲を見つけ出したスネークマン・ショウのスタッフによって、スネークマンのセカンド・アルバムにあたる『戦争反対』('81)に収録され、多くの日本人音楽ファンに聴かれることになったのだ。そこから更に発展し、なんたって、サントリーのCMに使われてお茶の間に流れていたんだから!「ニューウェイヴとポピュラリティーの束の間の蜜月」とでもいうべきか...。

 そして時は平成。今、あのラジオ感覚に拘(こだわ)っている人間といえば...ピチカート・ファイヴの小西康陽だろう。全面的にフィーチャーされたのは'91年のアルバム『女性上位時代』からだと思う。そもそもあの作品は全編ラジオの「ヴァラエティ・ショウ」仕立てになっていたのだが、なかでも驚いたのが14曲目「きみになりたい」である。
 まずイントロにNHK第二放送の「そろばん教室」、続いて「交通情報」が絡む。いずれも多分、ホンモノ。ラジオから録られたものだろう。チューニング音と雑音はこの曲全編を通じてミックスされている。曲自体はエレピを中心としたスローなメロウ・ソウルで、そこに日本語のAM放送。このセンスには本当に参った。最後は長唄風の歌声が絡み、「只今お聴きいただいているのは、ピチカート・ファイヴ、アルバム『女性上位時代』からお届けしています」という女性のアナウンス(これもラジオ風)で終わる。
 郊外の高速などを深夜に走ったことがあるだろうか。中央高速の勝沼あたり、東京からの電波が入らなくなり、カーラジオをいじる。ノイズも多く、なぜかNHKばかりが目立つ。そこにふとスローなソウルなどが飛び込んで来る...そんな感じをそのままCDにしてしまったのが、この「きみになりたい」である。アレンジを採点することが出来るのならば、私はこの曲に百点満点で200点を付けたい。
 そしてその3年後、'95年発表のアルバム『ロマンティーク'95』で、小西氏は遂に本物のヴェテラン・アナウンサーを登場させてしまった。この作品の最後を飾るのは、NHK風の堅いしゃべりによる「ありがとうございました」と、一転してくだけた「またね!」であった。音質は当然、AM風に籠もらせてある。この人も、徹底的なラジオ好きである。

 さて、このラジオ感覚−「AMラジオ感覚」と呼ぶべきか−は、今の若い音楽ファンにも理解されるのだろうか。小西氏のコラムを読むと、中学、高校の頃、出身地である札幌で遠く東京からのラジオ放送を受信し、最新の音楽情報を入手していたという記述が出てくる。私は神奈川県の出身だが、私の中高時代とて似た様なものだった。雑音なく受信出来るのはニッポン放送だけ、お気に入りのFENは音が潰れ、雑音や混信も多かった。前出の鈴木慶一のDJや、「全英トップ20」をやっていたラジオ関東(現・ラジオ日本)も、出力が小さいのでかなりキツかった。
 しかしそれでもしがみつくように聴いていた。そのうちにそんな雑音や混信も音楽の「一部」の様に聴こえ、心地よく感じられた。そしてなにより、そこで聴く音楽が「最新」だったり、「本物」だったりしたのだ。FMも少なく、CDもない、私が本格的に音楽を聴き始めた1980年代初頭とはまだそういう時代だった。今になって考えると、冒頭で書いた'60年代とそれほど状況は変わっていなかった様に思う。AMラジオで音楽情報を入手する、なんて、理解されないだろうなぁ...。

 でも自分達を「前時代的」とは思わないな。「快感」に感じる音色が我々AMラジオ世代の方がひとつ多いということなのだ。確実に得した気分(笑)である。




−登場したレコード−



'The age of Plastic'
BUGGLES
422 842 849-2 Isrand
1979
'マニア・マニエラ'
Moonriders
PCCA-00294 Canyon
1982/1991
'MOVIES'
Holger Czukay
CD32 LC7395 Spoon
1979


'女性上位時代'
Pizzicato Five
COCA-7575 Columbia
1991






しばらく休止しておりましたが

このコーナーは最低月1回、出来れば月2回の更新を目指します


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