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98/03/09 第一回 読み切り ミニコラム 音楽をめぐる冒険 「フィーリン・グルーヴィー」 |
フィーリン・グルーヴィー (59番街橋の歌) |
あるところに両親共働きの男の子がいました。兄弟もおらず「ひとりっ子&カギっ子」の彼は、退屈を紛らすために家にいるときはずーっとラジオを聴いていました。そのラジオというのが東京ローカルのAM局「ニッポン放送」だったのが、まあ”所詮は小学生”の悲しさで...(苦笑、FMに走ったのは中学からでした)。 「テレホン人生相談」や「円鏡のハッピーカムカム」など、完璧なオヤジ&オバハン系プログラムにハマリ、来る日も来る日も聴き漁っていました。中でもお気に入りは「哲っちゃんの歌謡パレードニッポン」、学校から帰るとすぐにスイッチオン!「ラッキーナンバーの抽選会」にはじまり「お便りだけが頼りです」、「竹村健一のズバリジャーナル」等々、なんだなんだ、もう20年も前の話なのにまだコーナー名覚えてるぞ!'76〜'77年のことです。 「いつ音楽ネタ出てくるのっ!」って、ご安心下さい。 次々かかる演歌や歌謡ポップスでそこそこ満足していた彼の耳に、ちょっとだけ、なぜか「特別な響き」として聴こえたのが、5分番組「神奈川だより」のBGMでした。「三浦海岸で早朝地引き網」とか「津久井ダムで桜が満開」といったほのぼのレポートのバックに流れる清々しいストリングスと、メリハリのあるメロディーラインに「なんだ、この感じは?」と”音楽への初恋”のような不思議な感情を抱いたのでした。 特に後半、たたみこむようなサビの部分に胸がキュ〜ンとした感じは今でもハッキリと覚えています(そこでちょっと考えたのは「自分に音楽が出来る様になったら、この曲をやってみたいなあ」ということでした)。 そして小学生は中学生になり高校生になり(当たり前だ)、折からのパンク・ニューウェイヴ旋風に巻き込まれて、清々しいストリングスなどからはとんと遠いざかっていましたが、十代終わりのある日「ピチカート・ファイヴとかいうバンド、これ初めてのステージだったんだって」といって友人が貸してくれたテープにあの!胸キュ〜ンの曲が入っていたのだった!しかもオープニング。こりゃ驚いたよ!これが'84年のこと。 ここであの「神奈川だより」のBGMが「フィーリン・グルーヴィー(59番街橋の歌)」であることが判明するんですが、これからがまだある。オリジナルがサイモン&ガーファンクルなのはすぐ分かった、が、ピチカートは「ハーパース・ビザール」とかいうバンドも参考にしたらしい!そっちが気になる! 今でこそ簡単に入手出来るバーバンク系ですが、80年代前半に探すのは大変!結局ちゃんと手に入れたのは数年前、'94年ごろに購入したCDでした。長いねどうも、すいません(しかし苦労のわりにピチカートのアレンジはS&G盤に近かったという、とほほ)。 しかし、ピチカートのリーダー小西康陽氏はなんで自らのデビューを「フィーリン・グルーヴィー」で飾ろうと思ったんだろうなぁ?私は酔っぱらう度に「ホントは俺の”幻のデビュー曲”だぜ!」とホザイて、音楽仲間から顰蹙かってますが(笑)。 兄弟とかいれば別な展開があったかもしれないんだけど、核家族のひとりっ子が音楽をタンキューして行くってけっこう大変なんですよ、自力しかないから。まあ、今ならすぐ局に電話してしつこく聞いてしまうけれど、おコドモにはそんな勇気はないし、それになんか「そのうちわかる」っていうのどかな気持ちもあったんだな。 でも最近そこそこ歳もとって「たった1曲を心のどこかで(たまに忘れたりしながら)意識してる人生ってのもいいもんだな」って思っています。 なんてね、ちょっと恥ずかしいけれど...。 |
−登場したレコード−
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