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98/03/25
第二回
読み切り
ミニコラム
'The inflated tear'
「溢れ出る涙」



'The inflated tear'

「溢れ出る涙」



 オリンピックとパラリンピックが終わった。多英ちゃんや愛子ちゃんが活躍したオリンピックも−体育会特有の堅物な雰囲気が取れてきて−面白かったけれど、過去最大の規模で開催されたパラリンピックに驚いた人も多かったのではないだろうか。
 とにかく、凄かった。モーグル中継の解説者じゃないけれど、毎晩のニュースを観て私は「すげぇ!」を連発していた。上肢がなく、片手だけで10kmのクロスカントリーを完走した新田選手、両上肢がなくストックを使わずに回転に出場した柳沢選手、小林深雪選手などは視覚障害者ながらバイアスロンに出場、先導しているガイドの声を頼りに滑り、ヘッドフォンからの電子音を頼りに射撃を行ったそうだ。そして10発中9発的中。金メダルであった。

 ここで例によってジャズの話。ジャズ界というのは意外に−多分他のどの世界よりも−ハンディキャップを持った人達が多いのだ。改めて考えてみると、これはちょっと不思議な感じがする。芸能界の他の分野でも、政界でも、あなたの会社でもいい、これほどまでに身障者が有名人となり、健常者と一緒にごくあたり前に−ここが重要なのだが−活動しているジャンルというのも珍しいのではないだろうか。素晴らしいことだと思う反面、特に取り立てて言及すべきことではなく、これこそ当たり前の姿なのだという気もする。

 最もビッグネームなのがジョージ・シアリング(p)だろう。映画『真夏の夜のジャズ』にも登場、'50〜'60年代に世界中のジャズ・ファンをわきに沸かせた彼は、生まれついての全盲である。彼の甘美な演奏が聴きたくて、数年前に'58録音のライヴCDを買った。そして、ちょっと驚いた。「全盲のジャズ・ピアニスト」というとなにか気難しい感じがするが...とんでもなくゴキゲンで、ショーマンシップ溢れる演奏なのだ。
 MCに続いてオープニング・ナンバーの「9月の雨」、それが終わるとシアリング自ら話し始める。「ここでちょっと時間を貰って、メンバー紹介を。ギターはジーン(トゥーツ)・シールマンス、ヴァイブはアル・マッキボン...そして私が、エロール・ガーナーです」、場内爆笑。ここまでならばよくあるジョークだが、シアリングは念が入っている。続く「君住む街で」の途中で、突然唸り出す。ガーナーの物真似である。そしてゴンゴンと低い音のコードを叩く。これもガーナーの真似、「ビハインド・ビート」と言われるガーナー独特のアクセントだ。ここで再び場内の笑い声がはっきりと聴こえて来るが、40年を経てCDで聴いている私も、思わずつられて笑ってしまった。

 ピアニストには視覚障害の人が多い。「はじめてのジャズ」で何回も採り上げている「クール・ジャズ」は、実は全盲のピアニスト、レニー・トリスターノによって確立されたものである。彼はそのハンディをものともせず、独自の音楽理論を打ち立てジャズの歴史に名を残した。また彼は多くのジャズメンに慕われた。サックスのリー・コーニッツなどはトリスターノの「門下生」であったのだ。
 目が見えなくても鍵盤というのは比較的操り易いのだろうか。ジャズではないがスティーヴィー・ワンダー(vo,key)も、レイ・チャールズ(vo,key)も全盲の鍵盤奏者である(レイは映画『ブルース・ブラザーズ』に出演、ここで全盲を前提としたかなりドギツいジョークがあるのだが...それはいずれ)。

 しかし、世の中にはさらに驚くべき事実が存在している。演奏に致命的な影響を与えてしまうような障害を持ったジャズ・メンも数多くいるのだ。カール・パーキンス(p)は、片腕のピアニストである。彼の古い写真を見ると、左手はいつも鍵盤の上に「だらり」という感じで乗っている。幼い頃の事故のために、手首から内側に直角に折れ曲がり、そのままの形で振り降ろすことしか出来なかったそうだ。
 彼の代表作である『Introducing...』を聴くと、徹底的に右手が駆使されたユニークなフレージングが飛び出して来る。この右手のスウィング感が凄い!。たまに入る中音域のコードは、メロディーの合間に右手で弾いているのか、不自由な左手で弾いているのか...いずれにせよ驚くべきテクニックである(後半のアルペジオを多様したバラードなど一体どうやって弾いているのだろう?)。
 さらにさらに、驚くべき人がいる。ホーレス・パーラン(p)は思うように指が開かないという機能障害があったらしい。その彼が発案したのが「ブロック・コード」と呼ばれる叩きつけるような独特の演奏法である。「叩きつけるような」という比喩があるけれど、彼はパッションのままに、まさに「叩きつけて」いたのだ。ブロック・コードを駆使した、名曲「US Three」の名は30年以上の時間を経て同じブルー・ノート・レーベルのジャズ・ヒップ・ホップ・グループ'US3'に受け継がれた。

 管楽器奏者にも障害者はいる。代表格は全盲のマルチ・リード奏者ローランド・カークであろう。彼は元々は盲人ではなかったそうだ。2歳の時に事故に遭い失明。看護婦の投薬ミスであったと言われている。41年という決して長いとはいえない人生において、彼は自分に対する扱いについてどう考えていたのだろうか。私はたまにそれを考える。
 心ない人々から障害者としての差別を受けて育ったのかもしれない。そしてジャズ界にデビュー、世界的な有名人となるが...ここでも彼はまた「心ない人々」から差別を受けてしまう。サックス3本を同時に口に銜え、鼻でフルートを吹く...そのあまりにも奇抜な演奏法から「道化師」などと呼ばれてしまったのだ。しかしそれは全くの見当違いである。彼は道化としてそのような演奏法をやっていたのではない。アンサンブルを考えたとき、どうしても、必然性に迫られて2本吹き、3本吹きを演ったのである。
 カークに対するこうした批判は、全く無知で的外れなものだと思う。編曲に興味ある管楽器奏者ならば誰でも、1回や2回は「2本吹き」を迫られたことがあるのでないだろうか。アンサンブルを考えて、譜面に落としているうちに「えぃ、一人で2本吹いてしまえ」となるのは、道化でもなんでもない、至極理論的、音楽的なあたりまえの行為なのだ(しかし実際は思い留まって他人に頼むものだが...)。
 楽器経験のない、言葉をこね廻すしか能のない頭デッカチの批評家が言い出した愚説に惑わされてはいけない。無知な人間の的外れな批判−私が最も嫌いなことだ。カークに対する不当な批判を見ると、私は絶望的な気持ちになる。
 そんな事を考えながら、彼の代表作である『The Inflated Tear−溢れ出る涙』を聴くと、なんとも心に迫ってくるものがある。特にオープニングの「The black and crazy blues」のフレーズの隅々に、彼が経験した苦悩が散りばめられているようで思わずため息などをついてしまうのだが...。

 現役プレイヤーにも様々な人がいる。トム・ハレル(f.horn,tp)は、機能的な障害はないが、なんというか精神的な...「レイン・マン」状態の人である。元々は普通の人だったそうだが、スタンフォード大学在学中に「発病」、昨年の映画『シャイン』の主人公を思い出してくれればいいだろうか。
 私は彼のステージのヴィデオを持っているのだが、これがちょっと驚く。自分のパートが廻ってくるまで、下を向いて小刻みに首を振っている。見るからに「アブナイ人」だ。しかし、ひとたび楽器を構えると、豊かなフレーズが渋い音色に乗って溢れだして来る。作家の村上春樹氏はアメリカ在住時にハレルのライヴを観て「身も心も揺さぶられ/寒気がするくらい打たれた」そうだ。私も(ヴィデオではあるが)その姿に思わず息を飲んだ。そして演奏が終わると...やはり俯いて震え始めてしまう。

 本当にキリがない。アメリカのニュー・ジャズ・グループ「グルーヴ・コレクティブ」のトランペット奏者Fabio Morgeraは左手首から先がない。これは演奏に関係あるような、ないような。バルブの操作は右手で出来るけれど、楽器の保持はやはり大変だろう。日本で有名なのは富樫雅彦(perc)である。信じられないかもしれないが、彼は車イスでドラム・セットを叩く。私は山下洋輔(p)とのデュオを観た事があるが、これも凄かった。山下のピアノに立ち向かうほどの逞しさと、金物やタムを駆使した繊細さの両立には唸ってしまった。
 ロック界でも事故に遭い途中から車椅子となったドラマー、ロバート・ワイアットの例があるが、ヴォーカルやソング・ライティング中心になってしまったワイアットとは違い、富樫はドラムを捨てなかった。毎年のように「ジャズメン・オヴ・ザ・イヤー」に選ばれている富樫だが、なるほど彼の生きざまは「ジャズ」だなと思う。

 しかし、こうやって考えてみると、ジャズ界というのは「オリンピックとパラリンピックを同時に開催している」ようなものなのではないだろうか。今回のパラリンピックで選手のユニフォームをオリンピックと同じものにするかどうかで随分揉めたようだ。ちょっと低次元な議論ではないだろうか。ジャズ界なんて何十年も前から「同じユニフォームで同時開催」だ(いや「同じチームで一緒にプレー」と言った方が正確か。ホッケーあたりを想像されたし)。
 連盟とやらにそれくらいの柔軟さがあれば、聴力障害のジャンプ選手、高橋竜二君の悲劇はなかったであろう。彼はオリンピック直前のSTV杯で優勝したにもかかわらず、代表選手には選ばれなかった。結局、テスト・ジャンパーとして事前の「試技」を行い...なんと131mを飛んでしまう。しかしそれはオリンピックの歴史に記録されることはなかった。あくまでコンディションを見るための「テスト」なのだ。

 シアリングもカークも富樫も、立派なジャズメンである。彼らの演奏を「テストだ」「参考記録だ」という馬鹿はいない。ジャズ界が「あたりまえの」世界で良かったと思う。
 実はこうして毎日のように音楽のことを書き綴っている私自身、ちょっとした構造上の問題から生まれつき右耳の聴力が劣っている。しかし私は音楽を聴き、日本中、いや世界中の人達にそれを伝えて行く。私の文章も「参考記録」ではない、と思う。




−登場したレコード−



'Shearing on stage!'
The George Shearing Quintet
TOCJ-5404 Toshiba
1958
'introducing Carl Perkins'
Carl Perkins
TKCZ-36018 Tokuma
1955
'US Three'
Horace Parlan
TOCJ-4037 Toshiba
1960
'The Inflated tear'
Roland Kirk
AMCY-1012 Waner
1968





− 98/04/12 追記 −

■ このコラムが(株)NHK情報ネットワーク主催「情報化メディア懇談会」の機関誌『I-media』'98年5月号に転載されました。

■ また、去る4月9日(木)都内で行われた同会の第171回懇談会に作者・定成がご招待いただきました。

■ (株)NHK情報ネットワーク・チーフプロデューサー加藤和郎氏のご厚意に感謝致します。





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但し不定期です


98/03/09 第一回 音楽をめぐる冒険 〜フィーリン・グルーヴィー(59番街橋の歌) みる




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