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98/10/15
第七回
読み切りミニコラム
特別編
'On the sunny side of the Street'
横濱JAZZプロムナード '98 レポート





'On the sunny side of the Street'

「陽のあたる大通り」


横濱JAZZプロムナード '98 レポート






 今年もフリーパス方式の日本一のジャズ・フェスティバル「ジャズ横濱JAZZプロムナード」に行って来ました。昨年は非常に詳細な「完全レポート」なるものを発表しましたが、2年連続で同じ事をやっても面白くない。というわけで、今回はこのコーナーでコンパクトにご報告しようと思います、が、書き出したら止まらないサダナリゆえ、果たして「コンパクトに」収まりますかどうか(苦笑)。ちょっと日記風です。


■ 10月10日(土・祝) イヴェントの概要をお知りになりたい方は こちら

 11:15ごろ、関内駅到着。構内は物凄い混雑。「こ、こんなにジャズ・ファンが!」と思ったら隣接する横浜スタジアムに向かう野球ファンだった。ベイスターズ優勝から2日目、昨晩の試合後にセレモニーが行われ、初めての週末、しかも祝日でダブルヘッダーだ。最も人の集まるゲームだろう。横浜スタジアムに2試合で6万人、ジャズ・プロムナードにも4〜5万人。この日の横浜には約10万人もの人が訪れた計算になる。不景気の世の中に、まぁ景気のイイ話だ。などと考えつつスタジアム裏の開港記念会館へ。

 オープニングは大坂昌彦(ds)+原朋直(tp)クインテット。12:00ジャストに始まる。松本英彦(ts)や、ジョージ川口(ds)など超ヴェテランが務めていた開港のオープニングを若手ナンバーワンの大坂・原が...というのは直前対策ページに書いたか(笑)。ともかく世代交代。
 相変わらずtp原は絶好調。「思っていることがどんどん音になる」という"若き絶頂期"であろう。曲はオリジナルも挟みハード・バップ中心。最前列で観ていたところ、ラストのハイノート+ロングトーンで僅か数秒の間に顔がみるみる紅潮して来てびっくりする。金管の人はイノチ賭けてるなぁ(笑)。dr大坂も人気者だが、個人的には彼の横ノリのドラミングに違和感があった。小ワザは多用するのだが、リズムのキレが...。

 そのまま開港に残り向井滋春村田陽一のツイン・トロンボーン・セッションを観る。カッコイイ。最高だ。別々には観たことのあった2人だが、同時にというのは当然初めて。必然的にその違いが気になるが、「わかりやすい、メロディックなソロ」を連発するのが村田、「ちょっとしたソロの中にもヤタラ難しいことやってる」のが向井と判明。そう考えるとこの2人、絶妙の組み合わせである。トロンボーンの名曲「ブルース-エット」の他、JB’sのソウル・ジャズ・ナンバーなども採り上げていた。
 しかしフロントにスライド2本というのは、素晴らしいね。伸びたり縮んだり、観ているだけで楽しい。バリトン・サックスなどというマイナー楽器ではなく、やはりボントロにすれば良かったか...いや、あの楽器テッテ的に難しいんだよなぁ(笑)。

 ここで開港を出て15:30だというのに地下に潜る。中華街のジャズ・クラブ「ジャズメン・クラブ」にて小林陽一(ds)。和製ブレイキー小林のドラミングも聴かせるが、三木俊雄(ts)のブロウも凄かった。私はかねがね「彼のプレイはハンク・モブレー(ts)である」と唱えて来たが、この日も実にネバっこい。同行の友人も「クロイねぇ」を連発。ジャズ用語で言うところの「ロイク」だ。「ロイキ」の我々にもこんな「ロイク」な音が出せるかと思うと嬉しくなる。
 エリック・アレグザンダーなど「ロイシ」のテナーが"優等生"になっている昨今(ジョシュア某などロイクなのに"優等生"だ)、ロイクのソウルを継ぐのは我々ロイキか?などと勝手にロイロイ考えていた。

 小林終了後地上に這い上がると、あたりは薄暮であった。ほっと安心。9月に発表した直前対策ページに「多分、ここらへんで夕暮れを迎えます」と書いたからだ(笑)。ここから次の目的地である長者町・FIRSTまで、夕暮れの横浜を歩くことにする。ちょっと距離があるのでタクシーを使うつもりだったのだが、何故か「勿体ない」ような気がして...。
 試合中の横浜スタジアム、関内駅、伊勢佐木町...イセザキの繁華街ではベイスターズ優勝セールの真っ最中。明らかにいつもより人が多い。しかし、なんとも「街が喜んでいる」感じがして、思わず私も顔がほころぶ。東京、神奈川、千葉で暮らしたことのある私だが、こんな「街の高揚感」は初めてだなぁ。昭和50年、カープ優勝直後の広島の街が、もしかしたらこんな雰囲気だったのかもしれない。
 途中、強烈なオババのいる栄濱楼で腹ごしらえをして(ここの揚げ餃子はイケル)FIRSTへ。うん、ここは歩いて正解だった。




宮本大路 (sax)
津垣博通 (p)
 初日のラスト、FIRSTでの高橋ゲタ夫(b)・ジャズ・ラティーノ。これがちょっと珍しいセッションだった。

 ベース、ピアノにパーカッション、それにペットとサックスが入る完全な「ニューヨーク・ラテン」スタイル。バンマス・ゲタ夫と共に熱帯JAZZ楽団でも活躍するsax宮本大路がフールトに持ち替えたり、普段はフリーを演っているというtp吉田哲治のフリーキーなソロが飛び出したりすると、グっと「コアなラテン」という感じになる。超愛聴盤である'60年代のモンゴ・サンタマリア(perc)や、'70年ごろのファニア・オールスターズを思い起こさせる嬉しい−かつ貴重な−セッションであった。クラブで言えば古(いにしえ)のNY「レッド・ガーター」あたりか(行ったことないケド)。
 こうしたサウンドのオリジナルは当然キューバだが、彼らのウサン臭さはやはり「NY経由」という感じがするな(笑)。なんたってリクエストに応えて「エル・クンバンチェロ」なんか演っちまうんだから。

 ゲタ夫選手自ら次々と観客の手を取るダンス・コーナーもあり。私も一緒に踊らされてしまった(苦笑)。この「踊らせ方」が絶妙で、ゲタ夫選手は知ってか知らずか必ず「ペア客と違う組み合わせ」を作って行くのだ。私も隣にいた夫婦連れの奥さんと手を取り合って踊る。お互い何となくテレるが、構うモノか。その人のダンナも、すぐ横で大学生風の若いおネェちゃんと踊っているのだ(笑)。そのアバウトさが「ラテン・ジャズだぜ!」とも思った。


 ここで間近に座っていた青年から「サダナリさん...」と呼ばれる。メールのやりとりなどもある読者のS君。この日が初対面で、別段待ち合わせていた訳ではなかった。「絶対ここだと思っていました」という彼。うーん、バレたか(笑)。サックスを始めたばかりというS君は、このシブめのセッションを満喫し、同時にかなり刺激された模様。同行していた彼の友人(ジャズ初体験らしい)も「高橋ゲタ夫さんのファンになった!ラテンもいい!また絶対行きたい!」とのこと。しばらく談笑するうちに彼らのような「ともかくジャズに接してみたい」という新人ジャズファンが飛び込んで来るには最高のイヴェントであることを痛感した。
 このイヴェントがきっかけとなってジャズ地獄に堕ちてしまう若者たちが一体どれくらいいるのだろうか?少なくとも、ここに、ふたり(笑)。

 セッション終了は23:30。開始は19:00だったので、やるもやったり4時間半。3年間観ているが過去最長のセッションであった。



■ 10月11日(日)

 2日目のトップも開港。中川善弘(tp)デキシーディックス。これが面白かった!12:00のオープニングからしばらくは「通りの名前の付いた名曲によるニューオーリンズの名所巡り」という粋な構成で楽しませてくれる。
 サウンド的な聴きモノはtp中川とtb中川英二郎の「親子セッション」である。「(英二郎が)ブレッカー・ブラザーズとレコーディングしてからデキシーには付き合ってくれなくて...」と苦笑する父・善弘。「他の会場に友達が沢山(モダンやフリーで)出ているので...まぁ、デキシーが『カッコ悪い』とまでは言いませんが、若い人にはちょっと抵抗ありますからねぇ」と続けるが、演奏を聴いているうちにハタと気が付いた。
 ダーティー・ダズンやドクター・ジョン(vo,p)などの「セカンド・ラインもの」はオシャレで、デキシーはカッコ悪い?そんなことはないだろう!本場ニューオーリンズでは一緒になってワイワイやっているのだ(これまた行ったことないが、多分)。ここはひとつ、若いジャズファンは勿論、リトル・フィートなどを聴いているロック・ファンにも先入観を捨てデキシーに手を伸ばして欲しいとも思ったのだが。
 デキシーはひさびさというtb英二郎だったが、演奏は超人的。トロンボーンの演奏としてはもう「来る所まで来た」感すらある。正確さ、音の良さで言えば前日のヴェテラン2人をも凌ぐ程であった。そんな英二郎に向けた「ま、俺が生きてる間はガマンしろ(デキシーに付き合ってくれ)よな」という父の言葉が印象的だった。

 続いて同じく開港にてデューク・ジョーダンのピアノソロ。感動したのは彼のオリジナルナンバーにして代表曲「No problem」である。「危険な関係のブルース」とも呼ばれるこの曲、ロジェ・バディムが監督した仏映画『危険な関係』('60年・主演・ジェラール・フィリップ)に使われ世界的に有名になった。しかし作曲者としては何故かフランス人作曲家ジャック・マレーの名がクレジットされ、ジョーダンには印税すら入って来なかった。しかも映画での演奏はアート・ブレイキー。かようにして「No problem」は、「フランス人が作って、ブレイキーが演奏した曲」として有名になり、彼は後年まで不遇な日々を送ることになったそうだ。
 そんな経緯(いきさつ)を語るでもなく、只、曲目を告げ淡々と弾いた彼だが、その胸中には複雑な思いが去来したかもしれない(し、今更もう何も考えていなかもしれない)。少なくとも私はジョーダン本人のピアノソロでこの曲が聴けた、目の前で観られた事をジャズファンとして、映画ファンとして忘れないだろう。ちなみに映画はタイシタ作品ではなかった(苦笑)。ロジェ・バディムってヘンな監督なんだよ(笑)。

 更に開港に残り3セット目、宮之上貴昭(g)&スモーキン。いつもの様にウェス・モンゴメリー(g)のナンバーを中心に飛ばしまくっていたが、出色は井川晃のドラミングであった。
 '96年ごろからあたかも定点観測の如く、彼のドラムを観て来たが今回は特に圧巻!キレ良し、ワザ良しに「力強さ」が加わった感がある。「この人、こんなにパワフルだったか?」と思わせる程だった。驚いた。何となく顔つきも変わった様な気がする。2年前、原大力から変わったころは少年の様だったのになぁ。

 ここでタクシーを拾い桜木町・みなとみらい21地区のランドマークプラザへ。絶対に観逃すことの出来ない菊地康正(ts) & Sax Machines に駆けつける。今年の菊地氏初参加には「地元の名プレイヤー、菊地氏を出せ!」と書いた昨年の私のページも無関係ではないらしい。これは絶対に行かねば(の娘)。ここで時間は16:30であった。


 地上70階、高さ296mのランドマークタワーの低層部5階分が吹き抜けになっており、そのアトリウム・スペースを使っての気持ちのいいセッションだった。演奏会場の周りはショッピング・モールなので、場所柄プロムナードのパスは不要。誰にでも観られるシチュエーションである。「ホールやクラブに比べ、条件が悪いのでは?」と心配したが、それは全くの杞憂、実に効果的で華やかなライヴであった。

 Sax Machinesはアメリカのバカテク集団"Super Sax"の様な4管(バリトン、テナー、アルト、ソプラノ)のアレンジで聴かせるバンド。このアンサンブルがはるか上空まで響きわたっていた。菊地氏から「是非、聴いて下さい!」と言われていたつづらのあつし氏のバリトン・サックスも実にイイ音で鳴っていた。特にアドリブの軽やかさ惹かれた。「バリトンだから...」とついつい重いフレーズを吹いてしまうのだが、なるほどこういうアプローチもあったか。同じ楽器の奏者として非常に勉強になった。そして、アセった(笑)。
 ステージはジャズファンク風の「Mr.P.C.」の他、プリンスのヒット曲「1999」なども飛び出してエンターテイメント性もタップリだ。通りがかりの買い物客なども足を止め、最後は遙か上の階まで観客が鈴なりになっていた。たまたま居合わせた男女高校生4人組が大感激し、終演後菊地氏に記念撮影をせがむ、などという一幕もあった(笑)。彼らの中から未来の天才ジャズメンが生まれないとは限らない。

 私も終演後、菊地氏に挨拶をする。インターネット上でのお付き合いは長いのだが、直接お会いするのは初めてなのだ。「つづらのさん(バリトン・サックス)に刺激されました!頑張ります」と言って会場を後にした。


Sax Machines
at
The Landmark Plaza


 この日はここで陽が暮れた。ランドマークに入った時はまだ十分、明るかったのに...。ランドマークの横には帆船・日本丸、ちいさな遊園地、インターコンチネンタル・ホテルなど。その風景を観た途端、思わず「いいところだなぁ...」と口走ってしまった。というわけで、今年もこんな写真を撮った。11日17:50ごろ、菊地セッション終了後、ランドマークタワー入口付近から撮影。そしていよいよ2日間のラストへ。


1998/10/11 17:50

Yokohama Minato-Mirai 21 area


 今年の(私の)グランドフィンナーレは横山達治(perc)ラ・パシオンであった。場所は野毛の老舗ジャズ・パブ、ドルフィー。これが最高の盛り上がり。バンマス横山が渋滞に巻き込まれ開演が遅れたが、その間もb高橋ゲタ夫選手の絶妙のMCで盛り上がる、盛り上がる(笑)。全く音を出していないのに、喋りで喝采が起こったりしているのだ。
 約40分遅れで横山氏が到着しライヴはスタート。木村'キムチ'誠氏が更に遅れて到着。これでメンバーが揃った。サウンド的には、いやー!思い出したよ!'80年代末の原宿・クロコダイル!木村氏のカウントで始まり、ゲタ夫とキムチのヴォーカルが重なる。大学生の後半ごろ、毎月の様に観ていた"オルケスタ・デル・ソル"の雰囲気がムンムンだった。懐かしかった。良かった!




寺井、菊地、ゲタ夫
 21:00に1stセットが終了。後方から「サダナリさん!やっぱりここでしたか」と声が掛かり、振り向くとなんと先程の菊地康正氏。飛び入りのために登場したのだ。「もちろん演奏されますよね」と尋ねると「ラテンなので、笛(フルート)で...」と言い残し、入口付近でウォームアップを開始。うーん、カッコイイ。
 ここで続けて隣席の女性から「サダナリさん、なんですか?」と聞かれる。「そうです」と答えると「いつもホームページ見てます」と言われた。なんと偶然、読者の方だったのだ。向こうも驚いただろうが、言われた私も−見ず知らずの人から「見てます」なんて初めてのことで−驚いた(笑)。オソロシくて聞けなかったが、私の直前対策ページは参考になったのだろうか?
 菊地氏も参加しての2ndセット。フロントがfl菊地氏、寺井尚子(vln)のツートップに...いやbゲタ夫も喋る、歌う、アオる(笑)。1曲だけと言っていた菊地氏、アンコールも含め3曲、30分以上参加。「いやー、アオられて、参ったよ」などと苦笑いであった。


 正確なピアノ(奥山勝)、パーカッションはツイン、ベースはゴリゴリ、そしてvln寺井とfl菊地氏のバースの応酬が重なり、非常にハードなサウンドが奏でられていた。さしずめ、「ハードコア・ラテン・ジャズ」と言ったところか。何しろ編成が編成ゆえ(vlnにflでエレキベースだぜ、おい!)ラストの「Cisco Kid」(ラテンロック・バンド" War "の'72年のヒット曲)に至ってはブガルーの様だった。ブガルー・コレクター・サダナリには夢の様なひととき(笑)。
 10秒に1回はダジャレを飛ばすはずの横山氏だが、ゲタ夫のMC、キムチの隠し芸におされこの日は影が薄かった。この人の「影が薄い」と感じたのは初めてである。なにしろみんな強烈な個性のバンマス・クラスばかりだからなぁ。
 ゲタ夫選手がリードしてのダンス・コーナーはこの日もアリ。最近人気の曲「コンチネンタル」で場内はのどかに揺れていた。怒濤の様なセッションが終わったのは昨日同様23時過ぎであった。

 終演後再び、いや、三たび菊地氏と談笑。最初はジャズの話をしていたのだが、気がつくとホームページ作成の苦労話になっていた(笑)。近日中の再会を約束して店を出た。長い様な、短い様な不思議な2日間が終わった。なお、いちいち書かなかったが全ての会場は超満員、中に入れず入口付近で「漏れて来る音」を聴いている人がいる程だった。





 さて、この横濱JAZZプロムナード参加も今年が3度目。今回は面白い事に気が付いた。聴く方、つまり私自身が変化してるのだ。理解出来なかったものが理解出来るようになったり、それぞれの音楽の意味や本質がなんとなく(実におぼろげではあるが)観えて来たり...。この変化は「成長」という言い方も可能かもしれないが、なにしろ相手がジャズゆえ「堕落」「破滅」「絶望」という方が適切だろう。まったく、いいトシをして...。
 しかしそんなジャズ・オタクにも報われる場面もあった。度々登場した菊地氏との会話や、S君、「見てます」と言ってくれた女性など、いずれもこのページのお蔭である。これは去年にはなかった大きな変化だ!

 マジメな話をすると、初日、2日目のラテン・セッションや、2日目のデキシーといった比較的ルーツ寄りの音楽を聴きながら、普段我々が接している音楽との関連をちょっとだけ、真剣に、考えた。NYラテンやブガルー、ニューオーリンズ・サウンドと我々の歴史的な繋がりや、今演奏することの意義、これから何をやって行くべきか、などなど...。

 それにしても毎年この2日間は−ジャズ・ファンの思いが通じてか−見事な晴天だ。来年も、横濱の陽のあたる大通りを闊歩することになるだろう。さて次回はどんな発見があるか。自分がどんなジャズ・ファンになっているかも楽しみである。このイヴェント、「せいくらべ」の唄の「柱のキズ」のようなものかもしれない。




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