99/08/24
第四回
ヴァン・ダイク・パークスを
発見せよ!

日本唯一の徹底研究ページ









−実に14年ぶりの追記!2013年1月29日−
Google検索"ヴァン・ダイク・パークス 来日"等でお越しの皆様
2013年1月の来日公演についてはこちら↓のブログに記しました!

Van Dyke Parks with special guest Haruomi Hosono
January 28, 2013 at "Billboard Live" Tokyo, Japan

http://sadanari.blog16.fc2.com/blog-entry-31.html



■ Hajimeni − Prologue

 ブラジル音楽、はっぴいえんど、バート・バカラックと続いて来たこの音楽コーナーですが、第四回目に満を持して登場、アメリカ音楽界の至宝、ヴァン・ダイク・パークスです。
 正直を言えば第一回目に書きたかった。しかし残念ながらヴァン・ダイクの名前はあまりお馴染みではないので、しばらく時期を伺っていました。

 今回の特集は前回、バート・バカラック特集に対するひとつの回答、呼応するものとも言えます。「表バカラック、裏ヴァン・ダイク」とは乱暴な言い方ですが、華やかなアメリカン・ポップスの表舞台を歩んできたバカラックに対して、ヴァン・ダイクは数々のソングライティングとプロデュース・ワーク、そして極めてユニークな自己のアルバムでアメリカン・ロックを裏から支えて来た−これは紛れもない事実です。

 しかし、残念ながら知られていない。その意味からもタイトルを"Discover ! Van Dyke Parks−ヴァン・ダイク・パークスを発見せよ!"としました。
 ヴァン・ダイクはただマイナーなだけの古典的なアーティストではありません。例えばカジ・ヒデキやキリンジといった最新のサウンドの中にも、その影響を垣間見ることが出来ます。特にキリンジのストレンジなカントリー調などはそっくりです。

 プロフィール、アルバム紹介など全体の構成はバカラック特集に準じました。プロデュース・ワークに定評のあるヴァン・ダイクなので、参加した膨大なアーティストのアルバムを紹介するのは一大作業なのですが、がんばってみましょう。
 「いつか必ずヴァン・ダイクを書く」、これは'97年の開始当時から考えていました。「いよいよ次はヴァン・ダイクだ!」、そう決意したのが今年の2月。そしてなんと偶然にもこの6月、実に11年振り2回目の単独ライヴを東京で行ってくれました。ラストでは'88年の初来日と、'99年の最新ライヴ・レヴューもお送りします。

 プロフィールの前にサウンドから行きましょう。少ないながらも熱狂的なファンを持つヴァン・ダイクのユニークなサウンドをどうにか文字で感じて欲しいと思います。さて巧く行きますかどうか...。





■ Van Dyke no Oto − Sounds of Mr.V.D.P.

 私が中学生の頃、1980年前後のことです。時まさに「テクノ・ニューウェイヴ全盛期」。オカッパ頭のテクノ少年が闊歩し、街の至る所からピコピコ・サウンドが流れていました。特にニューウェイヴ系ミュージシャンのTVCM、歌謡曲への進出が著しく、CMやベストテン番組を観ると、非ニューウェイヴ系のオーソドックスなサウンドと、ニューウェイヴ系のヒネクレたサウンドが交互に出現していました。
 「ニューウェイヴとポピュラリティの束の間の蜜月」−私は頻繁にこの表現を使いますが、本当に、今となっては信じられない位にかなりブッ飛んだサウンドが「お茶の間」に流れていた時代だったのです。

 さて、こうした混沌は音楽好きの中学生にある発見をもたらしました。毎日の様に、こうした「二種類の音楽」−非ニューウェイヴ系とニューウェイヴ系−を聴いているとその違いが気になり出します。
 例えばニューミュージックやチャチなアイドル、彼らの曲はなんとも「普通」でココロに引っ掛かるものが何もない。いくら売れていても全く魅力的ではない。それに対してYMOやムーンライダーズ、細野晴臣や鈴木慶一の曲は確実に引っ掛かる。僅か数秒のCMのBGMでもすぐに判る。メロディやリズム、音色やコード感が、なんとも、「普通じゃない」。特にちょっとエキゾチックな感じがポイントだな...。

 どうやら普通じゃない音楽の世界というのがあるらしい−これは好奇心旺盛な中学生にとって大発見でした。それからは、もう、皆と同じニューミュージック(特にヤマハ系)なんて聴いていられない。ヒネクレ・サウンドを追い求め、勉強なんてしているヒマはない(笑)。

 そして沸き起こったのが「普通じゃない音楽の元祖は誰だ?」という疑問です。そこに登場したのが"ヴァン・ダイク・パークス"という名前でした。細野サンも慶一も必ず名前を挙げる。細野サンは"はっぴいえんど"時代にアメリカで共演もしている。どうやら奴が親玉らしい。しかし、一体、何者だ?
 なにしろ20年近く前のことです。情報は、ありませんでした。どうもかなり昔のアーティストらしく、生きているのか、死んでいるのか、どんな音楽をやっているのか、そもそも個人なのか、バンドなのかもワカラナイ。ううむ...。

 Van Dyke Parks−ヴァン・ダイク・パークスはバンドではなくて(笑)、アメリカのベテラン・ミュージシャンでした。初めて聴いたのはその1、2年後、坂本龍一のFM番組『サウンド・ストリート』でのことです。そして、これに、驚いた。

 まず、ギターがいて、ドラムがいて...の「ロック」ではなかった。楽器はストリングスとベースとスティール・ドラムとのみ(!)、そして本人のものと思われるこれまた古臭い男声ヴォーカル。メロディーは古い映画音楽の様な素晴らしいものでしたが、アレンジが、ブっ飛んでいました。曲の中心となるストリングスが、わけのわからないくらいごちゃごちゃで、ぐにゃぐにゃ。しかし不協和音ではなく、それなりに綺麗なラインにはなっている。
 一体これは何なんだ?と思っていると、曲に続けて坂本教授がひとこと、「この曲、ひとつのメロディーにストリングスの譜面を2回書いて、重ねて入れたんだよね」...なに?何という事をするんだ?ヴァン・ダイク!どうやらかなりの奇才らしいが...。

 それから更に1、2年は『サウンド・ストリート』から録音した1曲「Be Careful」と、ヴァン・ダイクが参加したはっぴいえんどのナンバー「さよならアメリカさよならニッポン」を数えきれないくらい聴き続けていました。またこの「さよなら...」というのが摩訶不思議な曲で、ヴァン・ダイクに対する興味をより一層掻き立ててくれました。
 どうやらアルバムは貴重盤で手に入らないらしい。しかも寡作でたった3枚しか発表していない。しかしどうにか一枚まるごと聴きたいものだと思いつつ時間は経過し...。

 そして'83年頃から事態は急転します。なんとヴァン・ダイクが8年振りという「新作」を発表、新作ならば入手可能と早速聴いてみると、これがもう涙が出るくらい良かった!追って'85、6年頃には貴重盤だった旧作も再発され、手元に4枚のアルバムが揃いました(もちろんまだアナログ盤の時代です)。ちなみに購入先は東京・青山にあった伝説のレコード・ショップ「パイド・パイパー・ハウス」でした。そして、いよいよ、ヴァン・ダイクのサウンドをじっくりと聴いてみると...。

 なるほど、これが、ルーツだ。ユーモラスなメロディー・ライン、奇抜な楽器編成、珍妙なパーカッション、そしてなによりも印象的であるエキゾチックでマッドなアレンジ...細野サンや慶一と同じ、いや大瀧詠一やサンディ・アンド・ザ・サンセッツなど、その頃に夢中になっていた全てのアーティストと同じ、あの芳醇な「普通じゃない音楽」が溢れて来ました。
 実験的なファーストが'68年の作品、夢中になってしまったセカンド、サードは'72年と'75年。テクノもニューウェイヴもなかった時代のものなのに、サウンドの雰囲気は、まさに今聴いている最先端音楽と同じだ。なるほど、そういうことだったのか。

 ヴァン・ダイクの作品をひとあたり聴いて、何よりも面白いと思ったのは、彼がアコースティックな楽器編成にこだわっていることでした。曲はどれも−'60、'70年代のものはもちろん、'83年発表の4枚目も!−ストリングスやスティールドラム、ブラス・セクションや彼自身が弾くピアノを中心に創られており、シンセサイザーはごく数曲で、しかも隠し味的に使われているだけでした。奇抜なことを演りたいならばシンセで...といった風潮のあった'80年代にそうしたサウンドを聴くと逆に新鮮で、同時に編曲という仕事の魔力も知ったりもしました。クラシックの影響を多大に受けているというヴァン・ダイクが「最後のひとりになってもオーケストラを使って行くつもりだよ」と語っているのを目にするのはその少し後のことです。

 面白いのは、奇をてらってのオーケストラ起用ではなく、クラシック出身のヴァン・ダイクはあくまでも自分の最も得意な「楽器」として、オーケストラでロックを演り続けているということです。そしてそうした手法は、華麗なハリウッド映画のサントラを強烈にイメージさせました。「スクリーンで観た、夢のアメリカ」−まさにそういう感じです。

 '88年にはデヴュー二十数年目にして初めての来日公演、'90年代には悠々としたペースでアルバムを発表。時代に迎合することは全くなく、相変わらずオーケストラを駆使した独自の音楽を創り出しています。

 名前を知ってからアルバムを聴くまでの数年間、決して諦めることなくヴァン・ダイク、ヴァン・ダイクと呪文の様に唱え続けていたのは、彼のサウンドに、自分が聴いている今の音楽の秘密が隠されていると思ったからです。そしてその予感は的中、以来ヴァン・ダイクは私が最も敬愛するアーティストとなり現在に至っています。更に「ロック探究」とばかりにあちこちの文献や旧作にあたると、次々にダン・ダイクの名前が登場して、敬愛の念は歳を追うごとにより一層強くなって来ています。

 冒頭で書いた「普通の音楽/普通じゃない音楽」の構図は1999年の今でも全く変わっていないのではないでしょうか。決して売れてはいないけれど、どこか耳に残る曲と、具体名は書きませんが(笑)『CDTV』あたりで流れるドラマ・タイアップのくだらねぇ曲。ヴァン・ダイクに始まる不思議音楽の流れを汲むものと、そうではないもの、とも考えられます。




To Hiroshi
is man with a strong memory !
Thank you.

Van Dyke Parks



1999/06/27 Tokyo




 しかしヴァン・ダイクほどそのサウンドを文書で説明するのが難しい人も珍しいでしょう。なにしろ「何々風」という表現が全く使えない。世界にひとつ、唯一無二のサウンドなのです。
 「現代のフォスター」とも称されるオーケストレーションの天才ヴァン・ダイクが、アメリカの音楽界、しかもロックの世界にどのような功績を残して来たのかを次のページでご紹介しましょう。ギタリスト起用で名前の出たあの鬼才フランク・ザッパを「あいつは普通すぎる」と一蹴した本物の鬼才、ヴァン・ダイク・パークスの音楽歴です。下の若き日のヴァン・ダイクのボタンをクリックしてお進み下さい






 Van Dyke no Rekishiへ進む [Biography]







 Van Dyke no Sakuhinへ進む [Discography]


 Van Dyke no Shigotoへ進む [Produce Works]


 Van Dyke no Liveへ進む [Live Revew]







15 years with Van Dyke
 個人なのかバンドなのかも判らなかった高校時代の私に、当時発売されていた4枚のアルバムとその内容を丁寧に教えてくれたのは、ある音楽雑誌の若手編集者だったW氏でした。その雑誌の編集部は非常にオープンなところで、毎月電話でその月の記事について詳しく聴いたり、たまに出掛けて行って話をしたり...。

 W氏は現在、中堅の音楽評論家として大活躍中。私も30歳を過ぎましたが、相変わらず聴き続けています。15年以上前に伺った時の電話のメモから、こんなホームページにまで発展、ついにはヴァン・ダイク本人からサインを貰うにまで至りました。W氏は私にとって恩人、師匠の様な方です。素晴らしい音楽を教えてくれたことを心から感謝致します。





MENU