99/08/24
第四回
ヴァン・ダイク・パークスを
発見せよ!

日本唯一の徹底研究ページ




■ Van Dyke no Shigoto - Produce Works ■







■ The Beach Boys ■


"Pet Sounds"
1966 / 1990
CDP484212 (Capitol)
"Smile"
1967
Unissued
"Smiley Smile"
1967/1995
TOCP-3082(Toshiba)



 混沌の中から、いくつかの珠玉

ヴァン・ダイクとビーチボーイズ 


 まずはこれから行きましょうか。ヴァン・ダイクとビーチボーイズ、ヴァン・ダイクとブライアンが最初にコラボレートした作品が、左の『ペット・サウンズ』です。
 '64年のヨーロッパ・ツアー中に精神錯乱状態に陥ったブライアンが、続く全米、来日ツアーに参加せず、ほとんどのパートを一人で録ってしまったこのアルバムに、ヴァン・ダイクは1曲だけ、「スプール・ジョンB」で参加しています。なおこの曲はキングストン・トリオなども歌った古いフォークで、フォークファンであったメンバーのアル・ジャーディンの勧めで採り上げたものです。

 その深遠さに於いてアメリカン・ロックの名盤中の名盤と云われているこのアルバム、ヴァン・ダイクの参加は1曲だけですが、実に"ヴァン・ダイク的"な仕掛けに溢れています。ユニークな楽器編成や、凝ったエコー処理、実験的なコーラス・ワークなど、その殆どは天才ブライアンのアイディアだったわけですが、同時にいかにブライアンとヴァン・ダイクの指向が一致していたか、二人の出会いが必然的なものだったかを物語ってもいます。それにしても、つくずく、名盤...。
 ちなみにアルバムとしては'66年5月に全米10位、シングル「スプール・ジョンB」は'66年4月に全米3位を記録しました。





 さて、中央が全世界のロック史上最も有名な「発売中止アルバム」、『ペット・サウンズ』の次回作になるはずだった『スマイル』です。ヴァン・ダイクとブライアンが全曲でがっぷりと組み、もし完成していたならば、ロック史上の最高傑作となったかもしれない...ヴァン・ダイクとブライアンの「夢の跡」でしょうか...。

 ビーチボーイズ・ページではないのでコメントは短めにしますが、ハッキリ言って、当時の彼らにこのアルバムを創る事は無理だったのではないでしょうか。
 コンセプトは明確だったらしいですが、それを具体的に音に出来なかった。レコーディング中に発せられた「頭の中にあるサウンドを作っているだけなんだ。だけどそれが段々難しくなって来ている」、「『英雄と悪漢』という曲があるんだ。『グッド・ヴァイブレーション』を超えるかもしれないと思っている。ただ...まとめられないんだ」というブライアンの言葉がが印象的です。探究心旺盛な二人は、自らの才能を上回るほどの世界を追い求めてしまった、そんな感じがします。
 それでもこのアルバムに対するブライアンの思い入れはことのほか深かった。幼児期にまで遡るというブライアンの精神的問題、過度のドラッグ依存、レコード会社からのプレッシャー、契約上のトラブル、メンバー間の不協和、ビートルズの脅威...ブライアンを取り巻く全ての苦難から、彼はこのアルバムを通じて開放されたかったそうです。「『スマイル』というタイトルには、幸せになりたいというブライアンの絶対的な願いが込められていたんだ」−ヴァン・ダイクの近年のインタヴューです。

 ジャケット写真がカラーで発表されたため、それを複製したブートレグ(海賊盤)が横行、私の手元にもその1枚、各曲の断片を収めたものがあります。あまりに断片的ゆえ、コメントは避けましょう。正直に言うと、確かにはっとする様な部分もある、しかし全体的にはなんとも言えぬ焦燥感、閉塞感に包まれた音源でもあるのです。コメントは、難しい...。
 一時それらをめとめた正式盤CDが出るという噂がありましたが、結局立ち消えてしまいました。ヴァン・ダイクも「出さない方がいい。プライバシーの侵害だ。手をつけずに放っておくべきだよ」と断言しています。幻は、幻のままで...。





 乱暴な言い方をしてしまえば、失敗した『スマイル』の残り物を要領良くまとめたものが翌'67年に発表された右の『スマイリー・スマイル』です。「出がらし」「代用品」等々、散々な言われ方をしている問題作でもあります。

 但しここにはヴァン・ダイク=ブライアンの超重要曲も収められています。オープニングの「英雄と悪漢」、2曲目の「ヴェジタブルズ」は『スマイル』用に作られた曲で、なかでも「英雄と悪漢」はファンの多い名曲です。
 ブライアンの手による下降形のメロディー・ラインに「この町に戻って来た/長い行方を知られずにいたけど/その昔恋もした/英雄と悪漢のこの町に生まれた少女と」というヴァン・ダイクならではのアーリー・アメリカン調の歌詞が乗っています。「ブライアンが作った最後のパワフルな曲だった」はメンバー、マイク・ラヴの言葉です。この曲のシングルは'67年7月に全米12位、全英8位でした。

 6曲目の「グッド・ヴァイブレーション」は、『ペット・サウンズ』から『スマイル』へ移る頃に作られたもので、'66年10月にシングルとしてリリースされています。ヴァン・ダイクの作曲ではありませんが、レコーディングには参加している模様。'66年12月に全米・全英で1位を記録し、ヴァン・ダイクが参加した最も有名な曲と言えるでしょう。ヴァン・ダイク的なところを探すならば...世紀の不思議楽器"テルミン"の使用や、後半で浮き上がるコーラスのアンサンブル、偏執的な低音のストリングスあたりでしょうか。この曲に参加した女性ベーシストのキャロル・ケイは「この曲は実は上質なジャズだ」とも語りました。

 なおヴァン・ダイク=ブライアンの曲は'69年の『20/20』、'71年の『サーフズ・アップ』にも収録されています。

 ビーチボーイズの歴史というのは実に奥深いものがあり、研究本やドキュメンタリーも多数。私もそれなりに読んだり、観たりしているのですが、どうも「『ペット・サウンズ』でその創作の頂点を究め、以降、苦悩の歴史が続く」という印象を受けます。特に後年のブライアンのコワレ方が激しくて...。
 そんな時期に登場したヴァン・ダイク・パークスという人間。結局、ビーチボーイズにとってヴァン・ダイクとはなんだったのか?私はまだ結論に達してはいません。ヴァン・ダイク・ファンの立場として、ビーチボーイズ&ブライアン研究家の方といつか語り合ってみたいテーマでもあります。






■ Harpers Bizarre ■


"Feein' Groovy"
1967 / 1997
WPCR1431(Wea Japan)
"Anything Goes"
1968 / 1997
WPCR1432(Wea Japan)



 華麗なるバーバンク・サウンドの世界

ハーパーズ・ビサールの2枚のアルバム 


 ヴァン・ダイクのアレンジャー/プロデューサーとしての出発点とも言えるのが、このハーパース・ビザールとのコラボレーションです。
 サンフランシスコで活動していた"ティキス"なるバンドに"ハーパース・ビザール"というユニークな名前を与え、流麗なサウンドで再デビューさせた、これがワーナーと契約したバン・ダイクの最初の大仕事でもありました。

 颯爽たる再デビュー作、ファーストアルバム『フィーリン・グルーヴィー』にはヴァン・ダイクのデビュー曲である「カム・トゥー・ザ・サンシャイン」の他、サンモン&ガーファンクルの名曲であるタイトル・チューンやミュージカル映画『南太平洋』で使われた「ハッピー・トーク」、更にはプロコフィエフの音楽劇「ピーターと狼」のポップス版までも収録。ポップの玉手箱といった雰囲気です。
 アレンジャーとしてはヴァン・ダイクの他、レオン・ラッセルやランディ・ニューマン(ソロ・デビュー前)がその腕を競っています。

 続くセカンド『エニシング・ゴーズ』もヴァン・ダイク参加の名盤(プロデュースはレニー・ワロンカーにチェンジ)。タイトル・チューンの他、「トゥ・リトル・ベイブズ・イン・ザ・ウッド」が古いコール・ポーターの曲、グレン・ミラー楽団の十八番であった「チャタヌガ・チュー・チュー」なども採り上げてファーストでみせていた古き良きアメリカに対する思いがより一層込められています。

 ファースト、セカンドとも当時のワーナー・レコードが築き上げた"バーバンク・サウンド"の名盤。ポップス探究者必聴のアルバムと言えるでしょう。






■ Randy Newman / Ry Cooder ■


"Randy Newman"
1968 / 1998
WPCR2631(Wea Japan)
"Ry Cooder"
1971 / 1998
WPCR2621(Wea Japan)



 詩人にオーケストラを、異才に狂気を

ランディ・ニューマンとライ・クーダ 


 ランディ・ニューマン、ライ・クーダーというアメリカ音楽界の二大偉才を世に出したのもヴァン・ダイクの仕事でした。

 『ランディ・ニューマン』は'68年に発表されたランディのソロ・デビュー作。アルフレッド・ニューマン、ライオネル・ニューマンという映画音楽の巨匠を叔父に持つランディがカルフォルニアン音楽出版を舞台にソング・ライターとして活動を開始したのは'60年、わずか17歳の時でした。
 そのランディのソロ・デビュー作品をヴァン・ダイクはジャグ・バンドあり、オーケストラあり、そしてピアノ弾き語りありのサウンド・トラック風に仕上げました。同じ頃に作られたヴァン・ダイクのソロ・デビュー作『ソング・サイクル』にランディが作曲とピアノで参加していたので、これはそのお返しとも言えます。
 そもそも互いにピアニスト、ソングライター、シンガー、アレンジャーで年齢も2つ違い(ランディが下)、共通するところも多かったのでしょう。

 以降、ヴァン・ダイクとランディは付かず離れずの関係が続きます(お互い親友と呼べる関係となったが、アルバムへの参加は意外にもない)。
 ヴァン・ダイクの'95年のアルバム『オレンジ・クレイト・アート』に収録された新曲、「セイル・アェイ」はランディの古いアルバム・タイトルから採られていました。これは「ランディを驚かたかったんだ」というヴァン・ダイクの洒落心によるものです。

 なお、'99年6月に発売されたランディの11年振りの最新アルバムは人気絶頂のミッチェル・フルーム&チャド・ブレイクのプロデュースでしたが、ちょっとこのファースト・アルバムを意識した音づくりだった様な気もする。詳しくはレビューしたこちらを。


 こうした和やかな交友関係とは対照的に(?)、ライ・クーダのファースト・ソロ・アルバム『ライ・クーダ』は少々、オーヴァー・プロデュースだった様です。ヴァン・ダイクの「やり過ぎ」にライが憤慨し、セカンド・アルバムではピアニストとしての参加に抑えられた、という逸話も残っています。
 しかし、アルバムとして聴くとランディの作品が徹底的に地味で、ライの作品が徹底的に楽しいんだよなぁ(笑)。詩的なランディのサウンドを流麗なオケで映画音楽的に仕上げている点などはなるほど見事ですが、定評のあるライのギターに、ヴァン・ダイクのペンによる"もうギリギリ"という感じのマッドなストリングスが絡むところが、もう、たまらなく良い!ライには悪いが、こりゃ名盤だぞ!






■ And Other Artists ■


"霧の5次元"
The Birds
1966 / 1997
SRCS9224(Sony)
"Sit Down"
The Mojo Men
1996
VSCD1188(I) (Vivid)
"Tape From
California"

Phil Ochs 1968
SP4148(A&M)
"Greatests Hits"
Phil Ochs
1970
SP4253(A&M)
"Litte Feat"
Littele Feat
1972 / 1998
WPCR2656(Wea Japan)
"Happy End"
はっぴいえんど
1973 / 1995
KICS8101(King)
"Hot and sweet"
The Mighty Sparrow
1974 / 1999
WPCR10438(Wea Japan)
"Roger Nicols & the
Small circle of friends"

1968 / 1993
LEX-9317(A&M)



 サイケからカリプソ、そして日本のロックにも

バーズからはっぴいえんど 


 その他の作品をまとめて。ザ・バーズ『霧の5次元』はサイケデリック・フォーク・ロックの名盤中の名盤。ヴァン・ダイクはオープニングを飾るタイトル・チューンにオルガンで参加しています。メンバーのジム・マッギン(G,Vo)のコメントがふるっています。「ヴァン・ダイクがスタジオに入って来たとき、バッハを想定して欲しいと言ったんだ。どっちにしろ彼はそう言われる前からバッハの事を考えていたけどね」。
 なお歴史的サイケ・ナンバー「エイト・マイルズ・ハイ(霧の8マイル)」もこのアルバムに収録されており、それにもヴァン・ダイクが参加しているという説がありましたが、ヴァン・ダイク自らこれは否定。ヴァン・ダイク・ファンによる「希望的観測」だったようです。

 またメンバーのデイビッド・クロスビーはヴァン・ダイクを自分のバンドに引き込みたかった様で、このころにはザ・バーズへ、後にはC.S.&Y.に誘っています。しかしヴァン・ダイクはいずれのバンドにもメンバーとして加入することはありませんでした。


 メジャー・グループとはいえませんが、女性ドラマー兼ヴォーカリストのジャン・エリコを配したザ・モジョ・メンも素晴らしいバンドです。ヴァン・ダイクは彼らのためにスティーブン・スティルス作曲によるバッファロー・スプリング・フールドのナンバー「シット・ダウン、アイ・シンク・アイ・ラヴ・ユー」をアレンジします。
 これがもう、イントロのハープシコードからアコディーオン、そして手拍子までもヴァン・ダイクの魅力を凝縮したような傑作。「バッファローのメンバーは、自分たちのオリジナルよりもモジョ・メンのヴァージョンを気に入ってくれた」という逸話が残っている程です。同時にこの曲は彼らの唯一のヒットとなり、'67年3月にビルボード36位という慎ましい記録を残しています。
 「一体どこで聴けばいいんだよ...」と途方に暮れていましたが、'96年2月にヴィヴィッド・サウンドから上の国内盤(正式には輸入再梱包盤)『シット・ダウン』が出ました。ヴァン・ダイクについての記述がたっぷりの日本語版解説つき。山野楽器などで手に入るので興味のある方は是非!


 フィル・オクスという人は...なんとなく、物悲しいなぁ。ボブ・ディランの好敵手的なフォーク・シンガーで、風刺の効いた歌詞から「歌うジャーナリスト」などとも呼ばれていた様です。しかし、日本ではほとんど話題に上ることはないでしょう。資料もほとんど見ません。'76年4月に自殺したことを、どうにか突き止めました。
 ヴァン・ダイクはまず'68年の『テープ・フロム・カルフォルニア』に参加、ピアノとチェンバロで地味にサポートしています。ちなみにこのアルバムはニューヨークを拠点としていたフィルが心機一転西海岸に移り、A&Mからリリースした2枚目の作品です。
 そして続く'70年の『グレイテスト・ヒッツ』(勿論これはフィルお得意の自嘲的な皮肉)で全面的なプロデュースを担当します。

 このアルバムを2枚揃いで持っている日本人というのはどれくらいいるのだろう?『テープ・フロム...』は千葉の中古屋で破格で、『グレイテスト...』は札幌の中古屋で2000円台で購入しました。いずれも輸入のアナログ盤です。
 内容の方は...『テープ・フロム...』はちょっと印象の薄い作品なのですが、『グレイテスト...』は良いです!ヴォーカルを尊重したヴァン・ダイクのアレンジに乗せて、フィルの歌声が伸びやかに響きます。どちらのアルバムも、ヴァン・ダイクのフォーキーな一面を知るアルバムとして、一部で再評価の兆しもある様です。


 リトル・フィートの名盤『リトル・フィート』には当時の妻、デュリイと共に参加。ヴァン・ダイクはこの曲に収録されている「セイリン・シューズ」を『ディスカヴァー・アメリカ』でカヴァーしており、そのセッションには作曲者であるリトル・フィートのローウェル・ジョージも参加しているので、まぁ、『リトル・フィート』と『ディスカヴァー・アメリカ』は行ったり来たりの風通しのいい関係と言えるでしょう。もっともこのアルバムは歴史的名盤ですから、ヴァン・ダイク云々に関係なく、一家に一枚の常備をお薦めします。


 そして日本人登場。はっぴいえんどのラストアルバム『Happy End』の最終曲、本当に最後の最後を飾る「さよならアメリカさよならニッポン」がヴァン・ダイクのアレンジによるものです。スタジオ・セッションに立ち会い、その場でミュージシャンに指示を与えサウンドを固めて行くヴァン・ダイクのスタイルに、当時はっぴいえんどのベーシストだった細野晴臣は非常な影響を受けたそうです。
 更にミキシング時にいじれるだけいじっている。イコライジング、エコー、モジュレショーンなどなど。ヴォーカルまでもヨレヨレになっています。実は当時のヴァン・ダイクは完全な"ドラッグの季節"にあり、「考えられる限りのドラッグを全て摂取して、ミキシング・コンソールの上に立ち上がって足でフェーダーを操作していた」という話もあります。作り方はどうあれ、はっぴいえんどの、そしてヴァン・ダイクの名曲のひとつです。
 なお'85年6月に国立競技場で行われた国際青年年記念ライヴ「ALL TOGETHER NOW」で1日だけ再結成されたはっぴいえんどがこの曲を演奏。その時のバック・コーラス部隊がデビュー前の"ピチカート・ファイヴ"のメンバーでした。


 祝!国内盤CD発売!マイティ・スパロウ『ホット・アンド・スィート』は超名盤です。カリビアン・サウンドに夢中になっていたヴァン・ダイクは、'50年代半ばにデビューし地元トリニダッドはもとよりアメリカでも人気を博していたカリプソ界の異端児を、自らが所属するワーナーに招き、徹底的にハッピーな作品を作ってしまいました。しかし、無意味に能天気なだけじゃないですよ。そもそもカリプソは複雑な歴史を辿ったトリニダッドの風刺ソング。このアルバムでも辛口の皮肉がたっぷりと盛り込まれています。
 なんでもこのトリニダッドの大物に対するプロデュース術は「何もしないこと」つまりスパロウとそのバックバンド"トルバドールズ"に思い切りプレーさせることだったそうですが、ヴォーカルにはどう聴いてもヴァン・ダイク風の部分もあり、また逆にトルバドールズの演奏が翌年に発表されたヴァン・ダイクのアルバム『ヤンキー・リーパー』にそっくりで...スパロウとヴァン・ダイクがいかにお互いで刺激しあっていたのかが良く判ります。
 『ヤンキー・リーパー』を気に入ったならば、是非、この名盤もセットでお聴き下さい。ちなみにスパロウは今でも現役。私は'90年の夏に『カリプソ天国』という音楽ドキュメンタリー映画でその姿を観ました。


 右下のジャケットに見覚えのある方は多いでしょう。ピチカート小西推奨のソフト・ロックの名盤、『ロジャー・ニコルス・アンド・スモール・サークル・オヴ・フレンズ』です。「え?これにも参加しているの?」と手元のCDをご覧の方も多いと思いますが、えーと、クレジット上は"Morale Booster"−難しい英語表現ですね、「意欲を鼓舞する人」とでもいえばいいのか、レコーディング・セッションの周囲にいて、強い影響を与えていた様です。





 さて、ここまで書くとヴァン・ダイクからリアルタイムで影響を受けていた日本のアーティストというのが気になりますが、はっぴいえんどの他に最も「近い!」と思うのが加藤和彦作曲の「水虫の唄」ですね。
 '68年7月にリリースされたフォーク・クルセイダーズの名盤『紀元弐阡年』に収録された曲ですが、それよりもフォークルの変名バンド"ザ・ズートルビ"(山田隆夫のアレではない)によるシングル、いやそれよりも、追ってリリースされたニッポン放送の人気DJコンビ"カメ&アンコー"のカヴァー・シングルが有名でしょう。
 ベートーベンの「田園」を♪ぱんぱんぱん〜とスキャットで歌うイントロなどヴァン・ダイク的な雰囲気がたっぷりと漂っています。「DJコンビがヴァン・ダイク?」などと侮ることなかれ。カメちゃんこと亀淵昭信氏はヴァン・ダイクのデビュー・アルバム『ソング・サイクル』日本盤の解説を書いた人物です!そして、驚くべき大出世。'99年6月から、ニッポン放送の社長に就任しています。






■ Sound Track ■



"POPEYE"
O.S.T. 1980
SW36380 (BoardWalk)



 古き良き港町で、水を得た魚の如く ...

ヴァン・ダイクの映画音楽 


 映画音楽的なサウンドを得意とするヴァン・ダイクですが、実際の映画での仕事はここ日本ではあまり有名ではない様です。むしろ『トイ・ストーリー』や『ベイブ都会へ行く』『バグズライフ』『ユー・ガット・メール』などを担当して順風満帆といった感じの親友ランディ・ニューマンの方がお馴染みでしょう。数は決して少なくないのですが、映画的に良い作品に当たらないのが、ヴァン・ダイク・ファンとしては少々悔しいところでもあります。

 ヴァン・ダイクの映画音楽家としてのスタートは'62年のディズニー作品『サヴェイジ・サム』でした。初期の傑作にエキゾティック・アレンジの冴える『ジャングル・ブック』('67年製作オリジナル版)がありますが、ヴィデオで観ることの出来る秀作として、まず'80年の同じくディズニー映画『ポパイ』を挙げておきましょう。

 古くはカンヌ映画祭グランプリの『M★A★S★H』('70年)、最近では『ショート・カッツ』('93年)、『プレタプルテ』('94年)といった怪作で知られる奇才ロバート・アルトマンがなぜか監督してしまった漫画「ポパイ」の実写版。
 舞台はいにしえのアメリカ、嵐の海から流れ着いたポパイが悪徳保安官ブルートからオリーヴを守り...という漫画の通りのストーリーでした。街でドタバタしている前半は退屈ですが、ポパイのオヤジが突如登場する後半はまぁまぁですね。
 映画ファンの間では評判はあまりよろしくなく、「ポパイが相手ではアルトマンお得意の風刺精神も発揮出来なかった」などとも言われています。確かになんでこんな作品を監督する羽目になってしまったんだろう??

 ポパイ役のロビン・ウイリアムス(まだブレイク前)と、オリーヴ役のシェリー・デュヴァルの「そっくり度」ばかりが話題になった作品ですが、音楽的な意味は重要。'75年の『ヤンキー・リーパー』以後のブランク期に作られたこのサウンド・トラックは、'83年の『ジャンプ!』で完成するヴォーカル主体のオーケストレーションを用いた秀作で、混成のコーラスによるオープニング・テーマなどかなりの聴き応えがあります。時代背景といい、舞台といい、ヴァン・ダイクにはまさにうってつけのものだったのでしょう。

 またこの作品、ヴァン・ダイク本人が出演もしています。上の写真をご覧ください。ギャンプル船のピアニスト役で一瞬登場。一瞬とはいえ絶妙のタイミングでカメラ目線を切り、表情までも変化させるところはさすが元・名子役(笑・倒れこむ悪漢にピアノを弾きながら驚いたりかなりいい芝居してる)。中央がロビン・ウイリアムス、左がオリーヴ役のシェリー・デュヴァルです。ヴァン・ダイクのステージを観たことのある人間には、ちょっと猫背で弾く独特の後ろ姿が嬉しくもあります。
 なおクレジット上はメインの音楽担当は盟友ハリー・ニルソン、ヴァン・ダイクはアレンジと指揮、そしてピアニスト役となっています。

 '80年代後半に話題になったのはリー・トンプソン主演のラヴ・コメディ『カジュアル・セックス?』でした(写真左)。リー演じるステイシーと、ヴィクトリア・ジャクソン演じる幼なじみのメリッサは25歳。そろそろホンモノの恋を見つけたいとリゾートに出掛けるが...という、まぁその、なんつーか、ちょとエッチなハートフル・コメディ。あぁ、書いていて恥ずかしい(苦笑)。

 タイトル通り、二人が辿ったセックス・ライフなどもコミカルに語られて、会社帰りのOL二人組が週末に観て、映画にシゲキされて食事しながら「ヒミツのハナシしちゃおうか、実は私ね...キャー!」などと喋りあう「銀座でワインでほろ酔い系」の映画。イイ歳の野郎が一人で観ても面白いものではナイ。
 えーと、音楽的にはですね(笑)、「本腰を入れた」というわりに普通でした。'88年という時代がそうさせたのか、一部電子楽器の使用はちょっとな...。しかしメイン・テーマを担当したキッド・クレオール・アンド・ザ・ココナッツ(懐かしい!)とヴァン・ダイクというのは、確かに通じるところがありますね。物語中盤、夢のシーンでオーケストラを使ったちょっとストレンジな部分があり、ここがなかなか。「やはりヴァン・ダイクはこれだな!」と確信させてくれます。


 その他、主な担当作品にジャク・ニコルソン主演の『ゴーイン・サウス』('78年)、ルイ・マル監督の『アラモ・ベイ』('86年)、ロビン・ウイリアムスの他、ジミー・クリフやツィギーなども出演した『クラブ・パラダイス』('86年)などを担当していますが、いずれもあまり有名な作品ではありませんねぇ...。
 現時点で最も新しいものは'98年公開の『シャドラック』、ハーヴェイ・カイテル主演のインディペンデント・フィルムでした。日本では同年8月の「Los Angels Independent Film Festival in Tokio」(青山スパイラルホール)で上映されていました。


 映画も好きなヴァン・ダイク・ファンとして、「ヴァン・ダイクは作品に恵まれていないなぁ」と思います。ほんとに、ランディ・ニューマンが羨ましいよ(笑)。
 彼自身もこの状況は好ましく思っていない様で、「作品の良さに音楽が引き立てられるぐらいのものに恵まれたいね。僕の(映画音楽の)最高傑作はまだこれからだと信じてるよ」と語っていました。前述の通り、新しいマネージメント体制のもと、映画にTVにと意欲的に活動しているヴァン・ダイクのこれからに期待しましょう。


 俳優・ヴァン・ダイク − ごく数本ですが、音楽は担当せず純粋に俳優としても出演している様です。映画ではありませんが、数年前に人気を博したTVシリーズ『ツイン・ピークス』にも出ていました。えーと...第30話、シアトルから来た弁護士の役だったかな?実家に帰ればヴィデオが全巻あるんだけど...。







 伝説の『スマイル』からB-movieの『ポパイ』まで、なんなんだ?!このページは(笑)。しかしこれもまたアメリカの音楽ビジネスに長く、深く関わって来たヴァン・ダイクゆえの一面でもあります。
 かなり紹介しましたが本当にこれは一部です。私が調べただけでも実に百数十の参加作品があり、とても全部は紹介しきれません。その中から重要なもの、是非お聴き頂きたいもの、話題になったものに限って採り上げました。でも、あぁ、まだアレもあるコレもある...。

 さて、いよいよ最終ページ、ヴァン・ダイクのライヴ・レヴューです。'88年初来日の「11年遅れのライヴ・レヴュー」と、'99年6月の最新ライヴ・レポートを続けてお伝えします。下の若き日のヴァン・ダイクのボタンをクリックしてお進み下さい




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