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98/01/01 サダナリ映画大賞 個人的ベスト・フィルム その1・1997年 |
■ 1997年のベスト・フィルム ■
順位 | タイトル | 制作年/国 | 監督 | 出演 | カテゴリー |
1 | フル・モンティ | 97年/イギリス | ピーター・カッタネオ | ロバート・カーライル、マーク・アディ、 ウィリアム・スネープ |
コメディ ドラマ |
2 | フープ・ドリームス | 94年/アメリカ | スティーブ・ジェイムス | ウィリアム・ゲイツ、アーサー・エイジー | ドキュメンタリー |
3 | シャイン | 95年/オースト ラリア |
スコット・ヒックス | ジェフリー・ラッシュ、ノア・テイラー アーミン・ミューラー=スタール |
ドラマ |
4 | マーズ・アタック ! | 96年/アメリカ | ティム・バートン | ジャック・ニコルソン、グレン・クローズ | SFコメディ |
5 | ブラス! | 96年/イギリス | マーク・ハーマン | ピート・ポスルスウェイト、ユアン・マクレガー | ドラマ |
ちょっと風変わりな年だった。年間トータルはたったの22本。1月から9月頃まではいつものペースで20本近く観て「昨年みたいに80本とはいかないものの、50本くらい行くかな」と思ったところで...まるで風が止まるかのように、ぱったりと観るべき作品がなくなってしまった。10月、11月はなんと月1本(しかもハズレ)。しかし12月、とんでもない作品達に出会うことになる。しかもそれはイギリスからやって来た...。 |
第一位 『フル・モンティ』 |
死ぬほど笑って、深く泣いてしまった。この映画は本当に凄い。去年のベスト1『ユージュアル・サスペクツ』は、人によっては受け付けないケースもあるかもしれないが、この『フル・モンティ』は違う。どんな人が観ても爆笑に次ぐ爆笑、そして気がつくと涙を流していると思う。老若男女、人種も国籍も宗教も問わない。これこそ名画だ。 |
上から ネイサン デイブ ガズ |
ちょっと色褪せた颯爽たるプロモーション・フィルムがファースト・シーンだ。「鉄鋼の街、シェフィールドは夢の近代都市。産業は栄え、人々の生活は潤っている。理想の住環境にレジャーも充実。未来にはばたく、英国の誇り」...そして次にシェフィールドの今が映し出される。不況で閉鎖された製鉄所から鉄材を盗み出す失業中の主人公ガズ(ロバート・カーライル)、息子のネイサン(ウィリアム・スネープ)、かつての同僚デイブ(マーク・アディ)。 たった25年の間に産業は滅び、人々の生活はどん底にまで落ちぶれている。ガズは妻に去られ、ネンサンは再婚した母親の元で暮らしているのだ。さらにガズは父権の危機にさらされる。共同親権を得るためには700ポンドの養育費を払わなければならない。ネイサンにせがまれたサッカー・チケットも買えない彼に、700ポンドなど払えるわけがない。そこで彼が思いついたのが...なんと「男性ストリップ集団」!デブ、年寄り、貧弱者など、どうしようもないような素人6人を集めて、可笑しくて哀しいすっぽんぽん(Full Monty)の苦闘が繰り広げられる。 いろいろな見方が出来ると思う。娯楽映画専門の人は、ちょっとホロ苦いコメディ映画だと思ってもいいし、女性ならばぶきっちょな父親ガズとシッカリ者の息子ネイサン(名演 !)という親子の物語と観ればいい、知性派映画ファンとやらは英国の病巣を描き出す痛烈な批判劇と受け取ってもいいだろう。産業の衰退は、サッチャー政権の合理化政策から始まった。そしてそれは完全に裏目に出て、自らの息の根を止めることになってしまった。国内には失業者が溢れ、国際競争力などは皆無である。間違った指導者達が自国と自国民を見殺しにしてしまったのだ...。 とこかくここには全ての映画ファンを虜にする完璧な脚本、演出、演技、音楽が揃っている。 |
いくつものシーンが脳裏に焼きついて離れない。小学校に送る途中「お父さんの家に泊まるのはいやだ。だって汚いし、寒いんだもん」と言われてしまったガズ、名誉挽回とばかりに今度の日曜にはサッカーに行こうと切り出す。「なかなかいいチームがあるんだ」と説明するのは地元のローカル・チームのこと。「そんなのじゃなくて、シェフィールドの(プロチームの)ゲームが観たいよ」とネイサン。その日の生活費にも困っているガズに、スタジアムのチケットが買えるわけがない。しかし彼は学校のフェンスにしがみついて叫ぶ「わかった、チケットを買うよ。打倒マンチェスターだ!」。その時のガズの悔しそうな表情....。 何をやってもいい加減な若きバツイチ・パパのガズは、クライマックスのストリップ・ショウ・シーンでも踏ん切りが付かない。発案者のくせに「俺はいいよ」と楽屋でくすぶるガズに、なんとネイサンがキレる「だらしねぇな、行けよ、オラ!(大人の様な言い方でステージを指さし"Out!")」。その時のネイサンの勇ましいこと! 貧弱者のメンバー、ロンパーは製鉄所のブラスバンド出身。ショウのシーンでは立派な制服を身にまとったかつての仲間達が生で伴奏を付けてくれる。このシーンは一瞬しか映らないので注意が必要だろう。なぜか、このミュージシャン・シップに大感動してしまった。繰り返し言うが脚本は完璧、無駄なシーンなど全くないのだ。 監督ピーター・カッタネオの力量や、知る人ぞ知るブリティッシュ・ロック界の名アレンジャー、アン・ダドリーが担当した音楽の素晴らしさなど書きたいことはまだあるが...ここで文章は終わり。すぐさま映画館に走って欲しい!主役のロバート・カーライルについては、のちほど。 |
渋谷での上映を 見そびれて 2時間かけて 調布まで見に行った |
第二位 『フープ・ドリームス』 | |
『フル・モンティ』という怪物級の作品がなければ、間違いなくこれが1位だった。「同率1位」も考えた程の、これも名作である。 ゲイツとエイジーというNBAを夢見る二人の中学生が、バスケット・ボールの名門聖ヨゼフ高校に入学する。バスケット奨学生、シカゴ郊外の貧困地域に住む彼らには夢の様なチャンスだ。それからカメラは二人の4年間の生活を追い続ける。これは実在の少年達に取材した、実に3時間にも及ぶドキュメンタリーである。 学業も優秀、ずば抜けたプレーで早くもマスコミで話題となるゲイツに対して、性格的な問題もありいま一つ芽の出ないエイジー。そしてそんな彼に追い打ちをかけるかのごとく学費トラブルが発生、無念にも退学を余儀なくされる。地元の三流校に転校、時を同じくして両親は別居を始める。もうバスケットどころではない。撮影陣もこんな展開は予想していなかったろう。しかし、さらに予想を上回る事態が起こる。それはまさに奇跡と呼ぶべきものだった...。 ちょっとだけ書いてしまいます。エイジーが転校した三流校は彼の活躍もあり信じられないような勝利を続ける。地域大会優勝、州大会3位という開校以来の快挙を成し遂げ、チームもエイジーもマスコミで大クローズアップされる。この時の試合風景は本当に凄い。「勢いに乗っているチームは怖い」の典型を行くようだった。 同じ頃、聖ヨゼフに残ったゲイツは故障に悩んでいる。大きな手術を重ね、プレーも低調だ。そして、名門の筈のチームも全く勝てない...。 実在の、人間の人生ほど尊いものはないという見本であろう。こんな深いストーリー、誰にも創り出せないし、もしこのままの劇映画を作っても、出来過ぎで面白くはないかもしれない。実際にこんな事が起こってしまった、そしてそれを偶然記録してしまったということがこの映画の存在理由である。 人種、貧困、希望、挫折、苦悩、復活、奇跡...信じられないような数々のことが、極めて淡々とスクリーンに映し出される。 この作品、あまり知られていないと思うが強力にお薦めしたい。アメリカの有名人気雑誌『プレミア』で『フォレスト・ガンプ』、『ライオン・キング』、『パルプ・フィクション』といったメジャー作品を押さえて94年の年間第1位に選ばれたのは実はこの作品だった。少なくとも押さえられた3本を観た人は、この『フープ・ドリームス』も観るべきである。そして「何か」を考えるべきである。 |
第三位 『シャイン』 |
素晴らしい作品だった。しかも実在のモデルが現役ピアニストとして活動中とは...。『フープ・ドリームス』はドキュメンタリーだったが、こちらも再現ドラマである。 |
一体なんなんだろうと思った 有名なスチール写真 素晴らしいカットだが なんとも 「あんなシーン」 だったとは.... |
幼い頃からピアノ演奏に非凡な才能を発揮するデヴィッド・ヘルフゴッド(ジェフリー・ラッシュ)。しかしその影には猛烈な英才教育と、家族の絆にこだわる閉鎖的な父親が居た。若きデヴィッドはコンクールに優勝、アメリカに招待される。オーストラリアの片田舎から、世界にはばたくチャンスだが、これも父親は握りつぶす。理由は「家庭を壊すな」。もうこのへんの病的な頑固さは見るに耐えない。本気で音楽をやらせたいのかどうかすら判らないくらいだ。 しばらくしてオーストラリアの全国コンクールで準優勝、今度はロンドン行きの権利を与えられる。しかも奨学生だ。しかし父親は暴力までふるって反対する。結局、デヴィッドはロンドンに旅立つ。ところが彼の繊細な神経は、様々な抑圧で蝕まれていた。学内のコンクールで「いつか弾きこなして父さんを喜ばしてくれ」と言われていたラフマニノフを弾いている最中に、デヴィッドは倒れる。それから十数年後、彼は精神病院にいた....。 オーストラリア映画である。モデルとなった実在のデヴィッド・ヘルフゴッドも、監督スコット・ヒックスも、そしてデヴィッド役のジェフリー・ラッシュも全てオーストラリア人だ。そしてこのラッシュの演技が凄い(96年アカデミー賞ー最優秀主演男優賞)。精神のバランスを崩してしまったが依然としてピアノ好きというデヴィッドを完璧に演じていた。 プログラムにも書いてあったが、私が驚いたのは彼の大きな手である。正確にいうと(ここまではプログラムも言及していなかったが)固く膨れ上がった指の関節に驚いた。長年ピアノをやっていると、指の関節がぼっこりと肥大化する。ピアノ弾きは手を見れば一目瞭然である(例えば坂本龍一の指など一般人とは全く違った形をしている)。ラッシュの手は完全にピアノ弾きのそれだ。 精神のバランスを崩してからも、安物のアップライト・ピアノの上に雑然と譜面を積み上げて許されれば演奏をするデヴィッド(弾き過ぎると危険なのでたまに鍵をかけられたりする)。あのぼろぼろになった譜面にもリアリティーがあった。 ファンには申し訳ないが、ちょっと前にやっていた某有名トレンディー・ドラマで「ピアニスト役」の筈の木村ナントカが全くそれらしく見えなかったのは、この二つ、「ピアニストの手」と「使い古した譜面」が欠落していたからだ。ヘタッピだが私とてミュージシャンのはしくれ、リアティーのない音楽ドラマにお付き合いする気は全くなかった(ちょっとでも不自然なところがあると、それが気になってもう全体を受け付けない。「こんなのあるかよ〜、見てらんねぇよ」となってしまう)。その点、この作品のリアリティーは怖いくらいだった。 ストーリーは二転三転、舞台は現代のオーストラリアへ。場末の酒場にもぐり込んだデヴィッドが店員や酔客から「おっさん、なんか弾けるのかい?」とからかわれる。私はここで、心の中で「やってやれ!思い切り弾いて連中を驚かせろ!」と叫んでいた。そして彼は期待通りに超人的な演奏を始める。「やった!」こんなに気持ちのいいシーンはちょっとない。 この映画を観た人は、一体何を感じ取るのだろう。人の精神の問題か、家族の絆か...私は「音楽」の問題も気になった。楽しいはずの音楽が肉体と精神を蝕む。誰のための、何のための音楽なのか?クラシックのあの猛烈さについて、私の中ではまだ結論が出ていない。映画は現在のデヴィッドを描いて終わる。最後の台詞は「僕は生きてゆく、そして人生は続く」である。そう、彼は生き続け、弾き続けるしかないのだ。 |
四位以降の作品
『マーズ・アタック !』は徹底的なパロディ映画であると共に、考えさせられた作品である。むき出しの脳味噌に飛び出したギョロ目、SF映画の宇宙人の王道を行く火星からの侵略者が暴れまくる。奇怪な(オモチャのような)光線銃で無差別に殺戮を続ける。地球あやうし!絶体絶命の危機から全人類を救ったのは気弱なドーナツ店の青年、リッチーだった。しかもその方法というのが(爆笑)...。 最初は腹を抱えて笑っていた。「相変わらずティム・バートン、バカやってらぁ」と。しかしラスト・シーン、青年のスピーチで息を呑んだ。「居留地区で質素に暮らしていても僕は幸せです」。私がミス・リーディングしているかもしれないが、もしかしたら彼等の一家はネイティヴ・アメリカンの末裔という設定なのだろうか。米空軍も歯が立たず、ホワイト・ハウスも壊滅、為す術もない米国を救ったのはひとりのネイティヴの青年、しかも往年の名曲「インディアン・ラヴ・コール」をかけまくって...。 作品自体は奇妙な娯楽映画としてかなりヒットと思う。しかし、このあまりにもさりげない、そして重要なメッセージを何人の人が気に止めただろうか? 今、アメリカの映画界で最もノっている監督が彼、ティム・バートンだと思う。しかもメジャーなドル箱監督だ。しかし改めて考えてみると、有名な『バット・マン』も、名作『シザー・ハンズ』も、そして私が前回レヴューした『フランケン・ウィニー』も、あるメッセージが仕掛けられていた事に気がつく。異形のもの、少数のものが生きて行く悲哀だ。それはもしかしたら彼自身の生い立ちに関係がるのかもしれない(実はバートンの出生については良く知らないのだが。もし御存知ならばご一報を)。映画という手法、しかも天才的な才能に恵まれたバートンは、どことなく同様に音楽という手法に活路を見いだし、しかもやはり天才であったロシア系ユダヤ人フィル・スペクターを思い出させる。 無敵の大ヒットを続けるバートン、一体次は何をやってくれるのだろうか。 |
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そして最後の最後、12月29日に観た作品が第五位である。『ブラス !』、この映画まずは観るのが大変だった。23日に一回トライしたのだが、なんと満員で入場出来なかったのだ。29日に再度挑戦、朝11時に2時の回の整理券を貰う。とにかくこの作品を年内に観なければ今年の順位は決められないと思い必死だったのだ。 ファースト・ショットは暗闇に揺れる、いくつもの光だった。なんとこれが炭鉱夫のヘルメットに付いたカンテラである。荘厳なブラス・サウンドに重ねて坑道での過酷な作業風景が続く、素晴らしい導入部だ。 実は(管楽器奏者でありながら)良く知らなかったのだが、イギリスでは炭鉱や製鉄所とブラス・バンド活動というのが切っても切れない関係にあるそうだ。1世紀以上の歴史を伝統を誇るものも少なくはない。そして、そうした鉱業や重工業が存続の危機に直面しているのは『フル・モンティ』で説明した通り。100余年の歴史を持つヨークシャーの名門炭鉱労働者バンド「グレムリー・コリアリー・バンド」も例外ではなかった。炭鉱の存続に揺れる経営陣と組合の争議の為に、バンド・メンバーの士気も下がり気味だ。しかし一念発起し、地区大会で優勝、ロンドンはロイヤル・アルバート・ホールでの全国大会出場権を獲得する。出場権を手土産に意気揚々と凱旋すると...組合は破れ、工場は閉鎖されていた。 とにかく構成が素晴らしい、地区大会での熱演と、同時刻に繰り広げられている閉鎖決定の議決シーンが交錯するところも良かったし、工場閉鎖のショックから持病が悪化し倒れてしまった老指揮者ダニー(ピート・ポスルスウェイト)を病院の中庭から見舞うメンバー達も素晴らしかった。夜遅く、毅然とした制服を着て有名なトラッド・ミュージックである「ロンドン・デリー・エア」を演奏する彼ら、なんと頭にヘルメットとカンテラと付けて...このシーンでは本当に涙が止まらなかった。 ちょっと個人的にはハマリすぎて辛かった。自分自身、古い巨大工場出身の管楽器(バリトン・サックス)奏者である。工場のバンドこそなかったが、埋め立て地の外れでトランペット、クラリネットなどと作業服のままセッションをしたこともある。そして、自らが担当した工程の閉鎖で、哀しい気持ちになったこともある。元々、母親の実家が小さな町工場だったので、この手の話は他人のような気がしないのだ。自分が普通の勤め人とは違った感覚の持ち主であることを改めて気づかされた...。 メンバーのキャラクターも面白かった。ユーフォニュアムのハリーは一見すると強面だが、指揮者ダニーが倒れたあと、強力なリーダー・シップでバンドを引っ張る。これを『アメリカン・ウェイ』(87年イギリス)ではアクの強いイタリア系マフィアだったジム・カーターが熱演する。後半の彼の演技は本当に素晴らしかった! ダニーの息子、トロンボーンのフィルも凄い。妻子に逃げられ、家財も失った彼はピエロの格好をして、楽器を演奏しながら日銭を稼いでいる。教会で行われた収穫祭のアトラクションで、彼は子供たちを前にキレてしまう。「キリストが何をやったっていうんだ。ジョン・レノンを殺して、3人の若者を坑道で(事故で)殺して、今度は俺のオヤジか。残酷なサッチャーは生かしておいて!」。神をも恐れぬこの捨て身のセリフこそ現在のイギリス映画のパワーとリアリティである。「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」、選ばれし者は守られ、他の者は捨てられるのだろうか? そして物語の中心となった、アルト・ホーン(この楽器設定も絶妙である)のアンディを演じたユアン・マクレガーは、言わずと知れた『トレインスポッティング』(95年イギリス)の主人公「レントン」である。『シャロー・グレイヴ』も含めて1年ちょっとで3本、彼の演技を見た。しかもいずれも大きく異なったキャラクターであった。素晴らしい俳優の登場である。これからも彼のスコットランド訛りの英語を聴く機会は増えることだろう。 ロイヤル・アルバート・ホールでの演奏の後、オープンカーの車上でイギリスの第二の国歌ともいうべき「威風堂々」を演奏しながら、夜のロンドンを流すというシーンで映画は終わる。画面には「イギリスでは1984年以降140の炭鉱が閉鎖され、25万人の者が失業した」というテロップが唐突に現れる。しかし、それ以上の結論はこの映画の中では示していない。その突き放し方が実にイギリス的、ヨーロッパ的だと思った。 1週間以内に『フル・モンティ』と、『ブラス!』という活きのいい、そして哀しいイギリス映画をセットで観れたことが今年最大の収穫である。荘厳で気高い『ブラス!』と、同様の状況にありながら全てを笑い飛ばす『フル・モンティ』。どちらもイギリスの「今」である。この2本は是非両方観るべきだろう。 |
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■ 部門賞と雑感 ■ | ||||||
1位はあっさり決まった。今年はロバート・カーライル大活躍の年であった。しかしその舞台がイギリス映画だったので、あまり多くの人には気づかれなかったかもしれないのだが。 まずは年明けは、昨年からのロングランである『トレインスポッティング』が公開されていた。カーライルの役は最もイカレたヒゲのベグビー役、正直この時はあまりのキレ方にシンパシーを覚えることはなかったのだが...そして夏に地味な作品である『Go Now』に主演する。今度は一転して難病に侵される美術装飾職人の役。このあたりから、その飄々とした面持ちが気になり始めた。そして12月公開の傑作『フル・モンティ』で完全にヤラレた。 現在上映中の作品ではケン・ローチ監督の『カルラの歌』、旧作では同じくローチの『リフ・ラフ』(91年)があるらしい。こうなったら徹底的にカーライルを追いかけてみようかと考えている。そんなことを思わせたのは95年のティム・ロビンス以来である。 イギリス出身の実力派俳優というと、すぐにティム・ロスを思い出すが、アメリカでですっかりメジャーになってしまったロスからは−十分にいい俳優だとは思うが−残念ながらイギリス人としてのアイデンティティは感じられない。俳優になる前はグラスゴーでペンキ職人をやっていたというカーライルは、いずれの作品でもイギリスのワーキング・クラスにこだわり続けている。名優となったロスも応援しているが、それ以上にしばらくの間はカーライルを観続けたい。 なんか、今年はカーライルひとりで十分なんだけど(笑)、ラッシュの名演は前述の通り。しかし真価が問われるのは次回作であろう。『ギルバート・グレイプ』(93年)でダウン症の少年を熱演、「コ、コイツ、もしかしてホンモノ?」とまで思わせて、その後はシリアスな演技に一転。当代きっての人気者になったレオナルド・ディカプリオの例もアル。 マクレガーも『トレインスポッティング』で知り今年再び名演を観れた。彼も、カーライルも、そして96年のケヴィン・スペイシー、95年のティム・ロビンスも、勢いのある俳優というのは立て続けに名演をするんだな。 とにかくしばらくの間、例の『トレインスポッティング』勢からは目が放せない。 |
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なんともチャート5本中、2本が演奏家を題材にした作品で、『フル・モンティ』と『マーズ・アタック
!』もストーリーの中で音楽が重要な意味を占めていた。ベン・シドランがプロデュースし、ポップス・ステイプルズやフィル・アップチャーチ(!)らが参加した『フープ・ドリームス』のサウンド・トラックも素晴らしいものだった。今年は全体的に音楽的なレベルは高かったように思う。 しかし『ブラス !』の演奏シーンは良かったなぁ。注目すべきシーンは上にいくつも挙げたが、クライマックスのロイヤル・アルバート・ホールでの「ウィリアム・テル序曲」も超絶的な演奏だった。ちなみに実際の演奏を担当しているグライムソープ・コリアリー・バンドは英国最高峰といわれる実在の炭鉱バンド。「コリアリー・バンド(Colliery Band)」が「炭鉱バンド」を表すそうだ。アルバート・ホールの若い女性アナウンサーが、Colliery(炭鉱の)を正確に発音出来ないというのは忘れられた石炭産業に対する痛烈な皮肉。 『マーズ・アタック !』の音楽担当は例によってバートンの盟友ダニー・エルフマン。ニューウェイヴ全盛の80年代前半に、西海岸きってのヒネクレ・ポップ・バンド「オインゴ・ボインゴ」で楽しませてくれたエルフマンも、今や「ハリウッドで一番ホットな作曲家」とまで言われるようになった。今回のペンは特に冴えていたと思う。こまかい反復メロディーには、『Gozila』シリーズを通じてアメリカでも有名なニッポンの作曲家Akira Ifukube−伊福部昭氏の影響も感じられた。 ちょっと前の「おたよりコーナー」に書いたが、重要なキーとなる「インディアン・ラヴ・コール」はウチの父親のファイヴァリット・ソングである。大昔のドーナツ盤はモチロン、78回転のSPまである。ふっふっふ、我が家は生き残れるぞ! しかしひそかに、イギリスの北島三郎、トム・ジョーンズ復活の年でもあったのだ。『マーズ・アタック !』では華麗なるショーとクサイ演技を披露。ラスト・シーンがトム・ジョーンズのどアップだもんな、ヘンな映画(苦笑)。そして『フル・モンティ』のクライマックス、熱狂のストリップ・シーンでは彼の歌う「その帽子は取らないで−You can leave your hat on」が極めて効果的に使われていた。ちなみにこのトム・ジョーンズこそワーキング・クラス・ヒーロー、元・炭鉱夫である。どうせならば、『ブラス !』のどこかにも絡めばよかったのに(笑)。 |
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さて、いかがだったでしょうか。興味をそそる作品はありましたか?特に1位の『フル・モンティ』は出来るだけ多くの人に観て欲しいと思います。 しかし、いったい何がおこったのだろうか?『モーリス』や『眺めのいい部屋』といったハーブ・ガーデンのような作品か、ケン・ローチの文芸作品、あるいはモロにシェイクスピアといった限られたイメージしかなかったイギリス映画が一転、熱く、面白い。 もちろん84年の『モロン』や、87年の『アメリカン・ウェイ』のような上質な作品もあることはあった。しかしいずれも「カルト・ムーヴィー」の括りで、限られた人にしか支持されていなかったように思う。しかし、今や、イギリス映画は東京の有名劇場を満員にし(入りきれないこともあるくらいだ)、場内を沸きに沸かせている。その転機はまさに『フル・モンティ』に見るやけっぱちのヴァイタリティ、絶望的な今をぶっ飛ばす開き直りだったのだろう。『トレインスポッティング』でその予感は感じたが、わずか一年後にこんな騒ぎになろうとは...。 そして日本。100年の歴史を持つ大企業が突然消滅して、1万人のサラリーマンが路頭に迷う時代だ。それなのに、邦画は一体何をやっているのだろう?私は実は邦画ファンなのだ。80年代の前半まで、私の観る邦画・洋画の比率は丁度半分ずつであった。作家協会の月刊誌「月刊シナリオ」も10年以上、熱心に読んでいた。しかし、今や全く観なくなってしまった。イギリス映画、中国語圏やアメリカのインディペンデント・フィルムに夢中だ。 イギリス映画界における『トレインスポッティング』的な何かを、日本でも作らなければいけない時だと思うのだが...。 最後にその他、気になった作品を。惜しくも6番目につけるのがフィンランド映画、アキ・カウリスマキ監督の『浮き雲』。これも珠玉の名作であった。この作品、一連のカウリスマキ作品に出演していた名優、マッティ・ペロンパーに捧げられている。盟友ペロンパーは95年7月に44歳の若さで逝去してしまったのだ。 しかし、これがちょっと不思議なのだが、翌96年『トレインスポッティング』に登場した、ヒゲのベグビーことロバート・カーライルの雰囲気は、『レニングラード・カウボーイズ・ゴー・アメリガ』の時のペロンパーにそっくりだった。さらにペロンパーといえばジム・ジャームッシュが監督した『ナイト・オン・ザ・プラネット』(91年アメリカ)のストイックなタクシー運転手役も思い浮かぶが、公開中の『カルラの歌』でのカーライルの役はバスの運転手である。ペロンパーの演技はもう二度と観られないが、彼が若返ったようなカーライルが代わりに現れたのかもしれない...。 これも不況の映画である。老舗レストランの女性給仕長にまでなったイロナ(カティ・オウティネン)が、閉店のために職を失う。なんと夫のラウリ(カリ・ヴァーナネン)まで路面電車の運転手の職を奪われてしまう。途方に暮れる二人。しかしかつての仲間達と、もう一度レストランを開く。ただそれだけの筋だ。演出も極めて平坦。ところがこれが心に残るのだ。 |
映像が素晴らしかったんで 6位だけどのせちゃえ 『浮き雲』のラスト・シーン |
路面電車のシーン 良かった |
この『浮き雲』はもう一回、いやまた何回かじっくり観てみたいと思う。印象深いシーンが数々あった。主人公のイロナが夫の運転する路面電車に乗り、寄り添いながら人気のない夜のヘルシンキを疾走するシーンではなぜか強烈に小津安二郎を感じたし、閉鎖される老舗レストラン「ドゥブロヴニク」は横浜の名門スカンジナビアン・レストラン「スカンディア」にそっくりだった。そしていつも一緒にいる犬のかわいいこと。この映画には私の好きなものがおもちゃ箱のように詰まっている(ちなみに実際にカウリスマキ自身がこの作品について「デ・シーカ、小津、フランク・キャプラの影響を受けている」と語っている)。 演出としては、アル中となり路上で生活するコックを、かつての仲間が探し出し、更生させて再び一流の料理人としてキッチンに立たせるところが良かった。私は確かなプライドに支えられた人間が好きな様である。 あとは遂に上陸したインド大娯楽映画『ラジュー出世する』、一大ポップス巨編『グレイス・オヴ・マイ・ハート』、15年間観たかった62年のイタリア映画『太陽の下の18才』が良かった。ちなみに今年も、独・仏・伊は不振。イギリス勢にすっかり持って行かれた感があるなぁ。邦画については前述の通り、来年に期待したい。 あと「観そびれ作品」が何本かある。『ラリー・フリント』、『トゥリーズ・ラウンジ』、『狂ったバカンス』、邦画では『キッズ・リターン』、『ひみつの花園』、『東京夜曲』をご覧になった方、感想などお教えいただければ幸いです。特に市川準を全部観ていた私としては『東京夜曲』が気になる(なんかあんまり良くないというウワサも...)。 |
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さて文中のリンクで「あれ?」と気づいた方もいらっしゃるかもしれませんが、今回の特集97、96、95と3年間を縦横に行き来する造りになっています。次頁では一昨年、96年のランキングを発表します。会社のパソコンにこっそり入れておいた、個人的なメモがこんなページになるとは!映画コーナーのガイド役はお馴染み「レレレのおじさん」です。それでは、クリックするのだ、レレレのレ(お正月だからカラーだよ!)。 |
97/08/24 | 第一回 | 映画館で拍手?! 思わず拍手した3本の作品 「フランケンウィニー」 などなど |
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