99/12/20 第五回 ベストアルバム 1990-1999 Selected by Sadanari Deluxe |
− TOMORROWの年に、新しい音が続々 −
■ オヂサン達を狂わせる、かせきのラップ [ J-RAP ] コレクターの先輩N氏は私よりもひとつ年上で'95年当時31歳。私もこの年遂に30代に突入してしまった。そんなふたりが久々に飲みに行き「最近何を聴いていますか?」と尋ねるとN氏曰く「いやぁ、実は"かせき"にハマってまして」と仰る。これには驚いた。私ももう、毎日毎日聴き狂っていたのだ。 スチャダラのヒットから注目を集め始めた"J−RAP"なるジャンル。まぁ面白いのも居れば、それなりのも居た。個人的には「キミドリ」のアクの強さに惹かれてもいたのだが、いやぁ、かせき登場以降は、もう、かせき狂いであった。 かせきにハマった連中、特にオーヴァー・サーティーのオヂサン連中には共通の傾向(?)があった。元YMO少年、はっぴいえんど好き、松本隆作詩の歌謡曲を聴いて育った、などである。そうした連中のハートを若きかせきさいだーこと加藤丈文はワシヅカミにしてしまったのだ。しかし不思議だよなぁ。チープなリズムマシンに乗せて、はっぴいえんどの「風をあつめて」のギターのサンプリングと地味なラップが続いているだけなのに、なんでこんなに快感なんだろう? しかしこの加藤丈文という人間はどういうジンセイを歩んで来たのであろうか。確か桑沢デザイン研究所の出身で、私よりも5歳以上若いと思うのだが、まるでヴェテラン作詞家の様な独特かつシュールな世界を創り出しているのだ。多大な影響を受けたと思われる松本隆氏も一目置き、最近では盛んに交流があるようだ。'90年代に登場した貴重な才能のひとりである。そして衝撃的なこのアルバムも'90年代の名盤のひとつと言える。 |
■ 極上の一枚で知る、アメリカ音楽界の底力 [ ROCK , CLASSIC ] このアルバムについてはつい先日のヴァン・ダイク・パークス特集で書き尽くしてしまった様にも思うのだが(苦笑)、えーと...ではこうしたアルバムを生むアメリカの音楽界について。 まずは我が日本の音楽界を考えると、ロック、ポップスの世界は動脈硬化状態。サウンド、アレンジはもとより使用楽器に至るまですっかりパターン化してしまい、バリエーションのない事この上ナシ。ヒットチャートには似たような音が溢れて、「ロックって、自由の為の音楽じゃナカッタノ?」と言いたくなって来る。自分達自身で、自らの世界を狭めているのだ。 そんな状況のい中で聴くこのアルバムの衝撃。メロディー・ラインは明らかにロックのそれだが、ホンモノのストリングスを贅沢に使い、曲によってはスティール・ドラムなども響く。ほのぼのしたアレンジが描き出すのは古き良きアメリカ。時間が止まった様なこのアルバムを堂々と送り出すアメリカの音楽界のフトコロの広さには、今更ながらちょっと驚く。しかもそれを創り出しているのがビーチボーイズの鬼才ブライアン・ウイルソンと、希代の名アレンジャー、ヴァン・ダイク・パークスだというのだから。 アルバムの最後を飾るのはジョージ・ガーシュイン(1898-1937)の「ララバイ」。1988年に行われた来日公演でのアレンジがベースになった、ヴァン・ダイク・ファンにはたまらないプレゼントである。しかし、ガーシュインの静かなインストで終わる"ポップ・アルバム"なんて...。やはりアメリカ、すごい。 なおこの年、ブライアンはビーチボーイズ及びソロ名義のかつての名曲を歌い直したセルフ・カヴァー集『駄目な僕』も発表。こちらもブライアンの歌声が切なく響く名作であった。ファンハ全員ズイキノナミダ。あの選曲はタマランよねー!。 |
■ 才能の出会いが生んだ超名作!大推薦! [ JAZZ , ROCK , POPS ] しかしこの年は名作が多いな。このアルバムも他の年ならば間違いなく1位になるくらいの傑作。しかし、このアイディアが、あったか...。 上のレビューで、「アメリカすごい」みたいなことを連発してしまったが、ニッポンにだってスゴイ連中も居るのだ。超ヴェテラン・シンガーにして性格派女優の夏木マリのバックに、東京一クールな奴等"ソウル・ボッサ・トリオ"を配し、プロデューサーはかの小西康陽。これで駄作が出来るはずがない!なにしろ「夏木マリの専属作曲家になることが人生の夢」とまで語るピチカート小西の入れ込み様が凄かった。 そして生まれた超弩級アルバムは東京中の話題となり、品切れ店続出。渋谷、六本木のレコード店では軒並み入手困難で、新宿のハズレの店でやっと見つけたんだったなぁ。 夏木マリのヴォーカルはヘレン・メリルの50倍ヒップで、ソウル・ボッサの演奏はミシェル・ルグランの60倍クールだ。しかしジャズ・ファンはこの作品の事を知らないんだろうな。あぁ勿体ない。 ロック・ファン、ジャズ・ファン、ボッサ・ファン等々、全てのタイプの音楽ファンに聴いて欲しい超名作。極上のクラブ・ジャズに化けた高田渡の「鎮痛剤」で驚き、ラストの小西オリジナル「港のマリー」では名作洋画のエンディングの様な快感が走る(主演はメリナ・メルクーリあたりか?)。この快楽を知らないなんて...。 |
■ 国境を超越したホンモノのミュージシャン [ FUSION , FUNK ] アメリカだニッポンだと国別対抗戦の様なことを書いて来たけれど、このGOTAこと屋敷豪太選手はそんなチンケなナショナリティーを超越してしまった。しかも卓越したセンスだけでなく、天才的なドラマーとしての評価もなされて、である。アイデア先行の'90年代に極めて肉体的なドラマーという才能が評価されるとは、なんか、「問答無用」という感じでカッコ良かったな。やっぱり「巧いミュージシャン」というのはいつの時代も光って見えるのだ。 豪太選手を初めて知ったのは'80年代の前半、東京のクラブシーンで活動する"ルード・フラワー"というバンドに於いてであった。そのルード・フラワーは暫くすると"ミュート・ビート"なるジャズとダブを合体させた不思議なバンドになりメジャー・デビュー。サダナリはもちろん、当時50代目前だったサダチチまでも興奮させる極上のサウンドを聴かせた。'87年に観たミュート・ビートの渋谷公会堂は、人生のベスト・ライヴに入る名演。いやぁいいバンドでした。 実はこのミュート・ビート、かなりの逸材を放出している。キーボードの朝本博文はかのUAのプロデューサー、トロンボーンの増井朗人はザ・スリルに、中心人物だったトランペットの小玉和文はソロで活動を続け...「ドラマーの豪太はどうしたのかな」と思ったらなんとロンドンに居た。ソウル・?・ソウルやシネード・オコナーなどと共演の後、シンプリー・レッドに参加。ドラマーのみならずサウンド・クリエイターとしても重要な役目を果たしたアルバム『スターズ』は'91年に英国売り上げ第一位を記録する。 '93年に初のソロ・アルバム『サムシン・トゥ・トークアバウト』発表。こちらもこの特集に「載せたいなぁ」と思ったくらいの秀作であった。クロスオーヴァー的なそのサウンドは中毒性が高く、7年を経ていまだに愛聴盤である。 前作から2年、更にパワーアップしたのがこの『ライヴ・ワイアード・エレクトロ』。オープニングいきなりのドラム・ソロにシビレた。続くサウンドはケンジ・ジャマー(鈴木賢司)やバニー・ウォーレルらによるハードコア・フュージョン。これまたジャズ・ファンの諸先輩方はノーチェックなのかな。嗚呼、勿体なし哉。 ちなみに冒頭で「ドラマー」と書いたけれど、本業のドラムは勿論、ギターもベースも、キーボードもプログラミングも、何でもやってしまうのだ。鬼才だね、この人は。 このアルバムに出会えたのは'95年の収穫のひとつ。そして4月23日の凱旋来日ライヴ(新宿リキッドルーム)にチケットを買っていたにもかかわらず風邪でダウンして行けなかったのは'95年の後悔ごとのひとつである。いまだに悔しいよ。しかもライヴ評がどこも絶賛でねぇ...(苦笑)。 |
「ピアノでロック、しかもギターレス?」−半信半疑で買ってみた"ベン・フォールズ・ファイヴ"だったが、いやぁ、カッコイイっす!屋敷豪太のところでも書いたけれど、音楽って観念ではなくてやっぱり身体を使って表現するもので、こういう躍動的な演奏フォームが見えて来る様なサウンドは不滅なのだな。元気を呼び、そしてなんだか嬉しくなっても来るのだ。しかしこのロックなヴォーカルが「ピアノ弾き語り」とはなぁ。 クラブ・クアトロあたりでこぢんまり演っていた彼らも先日のライヴではなんと武道館。ビック・ネイムになるに従って、賛否の両論が沸いて来たけれど、確かにこの最初の一枚が一番ストレートで大好きだ。 |
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イギリスではユニークな奇盤登場。ギター・ポップにヒップ・ホップとカントリー、アメリカだかイギリスだかマジだかシャレだか判らないがともかく最高!なのがブラック・グレイプの『イッツ・グレイト・フェン...』。元ハッピー・マンデーズのメンバーが結成したバンドだが、他のギター・ポップ勢が「次の一手」を考えあぐねている間に、あっけなく突出してしまった感じ。マンデーズなんてイギリスの片田舎のおバカさんと思っていたのに、逆にそのシャレゴコロの勝利だったんだろうな。名盤です。 |
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自ら「おバカさん」と名乗ってしまったのが日本・東京の"ライフ・ゴーズ・オン"。曰く「アコーディオンでテクノなんて、なんておバカさん」。確かにいきなりクラフトワークの「ロボット」のアコーディオン版だもんなぁ(笑)。思わず笑っちゃいます、が、最高にカッコイイのだ。 アコーディオン5名を含む総勢9名のこのバンド、首謀者はムーンライダーズの岡田徹氏。ピチカート勢に押されお疲れ気味だったムーンライダーズ一派のなかで、最年長の岡田氏(当時46歳)が俄然気を吐く!クラブ・センスも取り込んだダンサブルなアレンジで唸らせた。またこのバンドのライヴが良くてね、短期間のうちに2回も観てしまったよ。 しかしなぁ、CMタイアップに失敗したけど、とりあえずシングル「東京抜け道ガール」を出してしまうなんて、なんて楽天的なおバカさん?(笑・カーナビのCMに使ってもらおうと思ったら、「抜け道マップ」とかで迷惑している住民がいるため、広告業界では「抜け道」は禁句だったそうな。事前に調べとけっちゅうの)。 |
・1月阪神大震災、3月地下鉄サリン事件、大惨事相次ぎ村山首相途方に暮れる ・11月、Windows95日本語版発売、パソコン・ブーム到来、インターネットも話題に ・サダナリ本社転勤、5年振りの都会生活(但し独身寮3.8畳間) ・独身寮裏にジャズ喫茶発見、常連になりジャズキチ急加速(29〜30歳) |
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