Back to the menu |
98/12/23 第六回 入魂企画 はじめてのJAZZ 世界一わかりやすいジャズ入門 ジャズ映画大特集 Jazz on the Screen Vol.1 |
4 | ドキュメンタリーの秀作 ジャズの世界を覗き見る |
レッツ・ゲット・ロスト let's get lost 1988年 | アメリカ | 125分 | モノクロ 監督 : ブルース・ウェイバー 出演 : チェット・ベイカー |
■ しわくちゃになった美青年、チェット・ベイカー(tp,vo) 全女性読者に薦めたい名画。そもそもチェット・ベイカーの名前を知らずに生きている人間(特に女性)は不幸である。そのペットを、ヴォーカルを、顔を、そして生きざまを知ったら人生が変わって(狂って?)しまうかもしれない。チェット入門に最適な1本。 1988年の映画だが、モノクロである。開始早々、夜の街をクルーズするオープンカーに乗ったしわくちゃのヂヂイが登場する。これがチェット・ベイカーだ。 しわくちゃのヂヂイで人生が変わる?早トチリしないで欲しい。続くカットで登場するジェームズ・ディーンばりの美青年、これが'50年代の若き日のチェット。「ジャズ界のジェームズ・ディーン」と呼ばれ、実際に数多くの映画にも出演している。そしてこの後に当時のテレビ出演の模様や、出演映画の名シーンなども挿入される。 この'50〜'60年代のチェットを観て、クラクラになり始めている女性がいるかもしれないな。品行方正な美青年?いや、とんでもない。彼は白人アルト・サックス奏者アート・ペッパー(1925 - 1982)と並ぶ、「最後の破滅型ミュージシャン」と言われているのだ。 麻薬、酒、度重なる離婚...'87年現在のチェット本人と、かつての"妻たち"が登場して、この波瀾に満ちた人生を語る。この部分で惚れ込んだ貴女はホンモノのチェット・ファンだ。 ジャズ的にも見どころ多し。チェットがその名を上げたジェリー・マリガン(brs)カルテットへの加入と脱退の経緯など貴重な逸話も数々登場する。そしてそれらのバックに2時間以上にわたり、チェットのペットとヴォーカルが流れ続けている。 しかしなによりもドラマティックなのは...いや、人の死を「ドラマティック」なんて安い言葉で現してはいけないな、この映画製作中の'88年5月13日金曜日午前3時、当のチェットが事故死してしまったことだ。インタビュー・シーンに続けて、唐突に彼の死を告げるテロップが映る。パリのホテルから転落死、警察の所見は「トランペットを持った30歳の青年」、実際の年齢は58歳だった。「その夜、パリ中のジャズ・クラブが喪に服した」とも...。 34歳で死に「65歳」と言われたチャーリー・パーカーの逆、ジャズ界の七不思議と呼んでもおかしくないだろう。映画中で観る彼の顔、とても若くはみえないのだが...。 これで終わりかと思ったら、これからが良かった。エンドロールに重ねて若き日の彼が出演したイタリアの恋愛映画が挿入される。ここまで観た貴女は、熱に浮かされているかもしれない。女性はチェットという男性を、男性は欲求に対していささか素直すぎたジャズメンの生きざまを観て欲しい。 |
mid '50's Before... |
late '80's After... |
しかしチェットという人は−以下、暴言覚悟で書くが−「たまたま生き残ってしまった人」なのではないだろうか。'50〜'60年代に目茶苦茶をやったジャズメンは、皆、消えた。チャーリー・パーカー(as)も、スタン・ゲッツ(ts)も、ちょっと遅れてアート・ペッパー(as)も...。 しかし、チェットだけが−ケンタッキーの連邦病院に収容され、イタリアでは17カ月間も刑務所に収容され再入国拒否、イギリスでも国外追放、ドイツでは逮捕ののち40日間の病院収容、という目に遭ったチェットだけが、つい先日という感じの我々の時代、'80年代後半まで生き残ってしまったのだ。そんな彼の全てが、ほとんど奇跡的にこのモノクロ・フィルムに詰まっている。ちなみに一番上の写真は、実際の逮捕時の写真。作り物ではない。手首の手錠に注目。 「レッツ・ゲット・ロスト」−"ここから2人で逃げ出そうぜ"という意味らしい。そしてその、逃げ出した2人を待っているのは...。 |
The famous one _ 'Chet Baker Sings' Chet Baker Toshiba EMI CJ28-5151 1956 |
テキサス・テナー Texas Tenor : The Illinois Jacquet Story 1991年 | アメリカ | 81分 | モノクロ 監督 : アーサー・エルゴット 出演 : イリノイ・ジャケー | ソニー・ロリンズ ライネル・ハンプトン | ディジー・ガレスピー |
■ イリノイ・ジャケー(ts)の偉大さを知る 突然公開された、ブロウ・テナーの王者、イリノイ・ジャケー(ts)のドキュメンタリー。'22年テキサス州ヒューストンで生まれた彼は、若くしてライオネル・ハンプトン(vib)楽団に参加、ハンプトンの代表曲「フライング・ホーム」の間奏で聴かせたコッテコテ・ソロで一躍有名になった。一発バシッと決めてやれば、長々と理屈をコネることはねぇんだというテキサス魂が逞しい。 話は当然、「フライング・ホーム」へ。「街中の皆が夢中になった」「アドリブなのに全て覚えてしまった奴もいる」等々、いかに人気があったかのエピソードが続出する。 そして、現在の彼の姿。自らのビッグ・バンドを率いて、追求するのは「ベイシー・サウンドの継承」だ。ビッグ・バンドの神様と言われたカウント・ベイシー(p)のパワーとハーモニーを現代に継承しようと必死になっている。 件の「フライング・ホーム」と、コテコテ・ジャズの名盤、『Go Power!』('66)でしか彼を知らなかった私は、彼がこれほどまでにオーケストレーションを重視し、学術肌かつ求道的な人間だとは思わなかった。途中、ジャズを学ぶ大学生にレクチャーするシーンもあった。 さらにはソニー・ロリンズ(ts)までもがインタビューに登場、ジャケーのインプロビゼイションがその後のテナー界にどれほどの影響を与えたかを切々と語る。その他、インタビューはライオネル・ハンプトン(vib)を筆頭にディジー・ガレスピー(tp)、クラーク・テリー(tp)、アーネット・コブ(ts)など。ジャケーは、本当に、偉大な人なのだ。 ビッグ・バンドを率いてのヨーロッパ・ツアー。バリトン・サックス界の長老、セシル・ペインと二人、パリの街をウインドウ・ショッピングする姿が微笑ましい。そして、とってもオシャレな帽子を買ったりするのだ(笑)。 パリのショットも二人の「歴史」が染み出して来るようないいショットだったが、ジャケーの住む黒人コミティを車で流すシーンも素晴らしかった。口ずさむのは「On the sunny side of the street - 明るい表通りで」だ。今、彼はここで幸せに暮らしている。 微笑ましい成功談だけではない。かつての仲間が再会し、旧交をあたためるシーンもあった。そこで話題となったのが、レスター・ヤング(ts)だ。 コールマン・ホーキンス(ts)と並び、テナー・イノヴェイターの一人と言われる彼だが、第二次大戦で兵役に捕られ、そこでの辛い経験から身体と精神を害し、果てて行った。ジャズ・シーンの光と影の判る傑作。上映されたら絶対に観るのだ。 |
|
ジョン・ルーリー &ザ・ラウンジ・リザーズ ライヴ・イン・ベルリン 1991年 | アメリカ | 102分 | カラー 監督 : ギャレット・リン 出演 : ジョン・ルーリー & サ・ラウンジ・リザーズ |
■ ルーリーの考えるジャズに付いて来れるか? こんなところでジョン・ルリー(as,ss)の紹介をするとはなぁ。しかしこの映画、ちょっと難解なルーリーの入門にはもって来いだ。 ジャズ・ファンよりもむしろ映画ファンに有名かもしれないジョン・ルーリーが、自らのバンド"ザ・ラウンジ・リザーズ"を率いて行ったベルリンでのライヴを淡々と記録したドキュメンタリー。ここで演奏される「ジャズ」は少々説明が必要かな。 ジョンの名前を知ったのは'81年ごろ。「フェイク・ジャズ」というよーわからんムーヴメントに乗ってのことだった。彼のバンド"ザ・ラウンジ・リザーズ"は正統派ジャズの系譜ではなく、非常にパンク的なニューヨークのアンダーグラウンド・シーンの中から突如として出現して来た。そう、まさに「出現」という感じだった。 メンバーの中にはノイズ・シーンで名を馳せていたギターのアトー・リンゼイや、アントン・フィア(ds)がいた。そして不思議な事に、プロデューサーは正統派ジャズのテナー&バリトン奏者、テオ・マセロだった。メンバーはそっくり入れ替わり、現在残っているのはルーリーのみ。アートの活躍は昨年書いた通り。アントンのその後は...機会を改めて記そう。 当時高校生だった私は、強烈な好奇心から彼らのデビューLP、『ハーレム・ノクターン』('81)を買ったが、その感想は「なんじゃらほい?!」であった。しかしその後、私とジョンは急激に接近する。 '84年、彼はジム・ジャームッシュ監督のメジャー第一弾、『ストレンジャー・ザン・パラダイス』に主演する。日本公開は'86年。続く二作目の『ダウン・バイ・ロー』にも主演。ウマヅラの個性派俳優として有名になる。こういえば「ああ!あの人か!」という方も多いだろう。しかし彼はミュージシャンを忘れたわけではない。坂本龍一最後の名盤、『ハート・ビート』('92)でアルトを吹いていたのも彼だ。 そして彼のホームグランドである"ザ・ラウンジ・リザーズ"を知ることが出来るのがこの作品、というわけだ。 『ハーレム・ノクターン』から20年近く、生意気にも私もジャズなるものをスルようになった。何も知らないパンクガキ(でも貴重な人生経験だぜ。Punks not dead!)から、33歳のジャズ好きサラーリーマンとなって彼を観ると...気になるのが彼が信奉するオーネット・コールマン(as)との類似性だ。 「前衛の高み」というのは一緒にロック・クロス・レビューをやっている山下元裕さんの言葉だが、コンボ形態の中にエキセントリックなメロディー・ラインと、前衛的なオーケストレーションを持ち込もうという彼の試みはなるほどオーネットを思わせる。 感動ばかりしていて恐縮だが(苦笑)、会社帰りのシネセゾン渋谷のレイト・ショーでこの映画を観た時も、非常に感動した。いや、ミュージシャン・シップを刺激された(しかもその時、たまたまアルト・サックスを持っていたのだ)。「自分ノ音ヲ捜サナケレバ」と思ったのだ。捜せたかって?いや、現在も捜索継続中...。 「ジャズ」といえばトリオかカルテットで、♪チーチキやってるもの、という固定観念をブッ飛ばす佳作。マダガスカル出身の超美人チェロ奏者(アゴと目元がサダナリ好み。たまらん)や、ビブラフォンにスティール・ドラム、ノイジーなギターにパンクなベース...30歳以下で彼らのオルタナティヴさに「付いて行けない」という人がいたらご一報を。刺身にしてやる!。 |
'Harlem Nocturne' The Lounge Lizards Polydor 28MM 0030 1981 |
以下、未見のドキュメンタリーを資料からご紹介。なんと言っても観たいのは『ディジー・ガレスピー/ア・ナイト・イン・ハバナ』だ。1988年、アメリカ製作、カラー84分。アフロ・キューバンの先駆者、ディズが40年来の悲願だったキューバ公演を行った時のドキュメンタリー。「第5回ハバナ国際ジャズ・フェスティバル」の映像を中心に、少年時代から人種差別体験、45度上向きトランペットの秘話などを語る。更にはアフリカに飛び、故・チャノ・ポゾの生家を訪れるシーンも挿入されている...らしい。 '90年夏、今は亡きディズの最後の来日に会わせ新宿で公開。しかし月曜〜金曜晩一回のみ上映という「ウィークデイ・レイトショー」だったので、当時千葉工場に配属されていた私は観ることが出来なかった。 アルトゥール・サンドヴァル(tp)やゴンサロ・ルバルカバ(p)の亡命前のステージも観られ、ジャズ的にも超貴重。しかし一番貴重なのはディズとカストロが肩を組むショットか(笑)。予告編の記憶と一枚のチラシを残し、幻となってしまった。ヴィデオ発売、テレビ放映とも情報ナシ。とにかく観たい!ラテンの血が騒いで仕方がないのだ...。 'サッチモ'ことルイ・アームストロング(tp,vo)の最高のドキュメンタリーが'56年アメリカ製作の『サッチモは世界を廻る』、まずタイトルがイイ(笑)。これは彼のオールスターズの行動を、テレビ放映のために記録したもので、のちに劇場公開もされた。 実はこの中の一部分は、今年話題となったNHK教育テレビ放映のジャズ・ドキュメンタリーで流された。'56年にガーナ空港で歓迎を受けた一行が、飛行機を降りてすぐ、滑走路の上で演奏を始めるハプニング・シーンだ。私もNHKで観たが...良かったよなぁ、あのシーン...。あんな場面が64分も続くなんて、これも観たい!。 |
' A Night in Havana ' |
■ とりあえず第一回のあとがき ■
大変な企画を組んでしまいました。今年7月に「日本映画入門」をやったので、あの要領でジャズ映画を並べればイイベェで思ったののですが...そこはそれジャズ・コーナーですから、ストーリー、作品評と同時に音楽面についても書かなければいけなくて...。これでいきなり30%増量でした(苦笑)。 更にこれは本文中にも書きましたが、伝記映画を並べるなんて、ジャズ・ジャイアンツの人となりを次々書きつらねばらず...10月公開の予定が11月、12月と遅れてしまいました。またジャズ映画ってのがどれも長いんだよ(笑)。スタイルもバラバラだしさ。 しかし冒頭で書いた通り、ジャズと映画は切っても切れない関係にあります。こまでたっぷり書きまくれば、「兄弟」とまで言った理由もご理解頂けるでしょう。 CDを買ってジャズに触れたけれど、今ひとつピンと来なかった(昔は私もそうでした)方も、映画で観ると、何かが掴めるかもしれません。 ごあいさつはここまで。さぁ、第二回を書かなければ。実は次回の方がユーニクなのだ。 |
1998/12/23 Sadanari Deluxe |
次回につづくのココロ...