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98/12/23
第六回
入魂企画
はじめてのJAZZ
世界一わかりやすいジャズ入門
ジャズ映画大特集
Jazz on the Screen Vol.1




2 まだあるぞ伝記映画








バード
Bird (1988 米 カラー 160min.)

 
スタッフ
 

監督
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クリント・イーストウッド
音楽
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. . .レニー・ニーハウス

 
キャスト
 

"バード"/チャーリー・パーカー
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フォレスト・ウィティカー
チャン・パーカー. . . .
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. . . . . .ダイアン・ベノラ
レッド・ロドニー. . . . .
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. .マイケル・ゼルニカー
ディジー・ガレスピー . . . . . . .
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. . . . サミュエル・ライト

 




■ ビ・バップの神様はスクリーンに蘇ったか?

 オープニングは既に壊れ始めているチャーリー・パーカー−"バード"の姿だ。クラブでの名演で観客達を熱狂に包むが、自宅に帰ると、狂っている。白人の妻・チャンと揉め、ヨードを飲んで自殺を図る。精神病院へ入院。1954年9月1日のことだ。大スターの入院に驚く精神科医。「アルバムはみんな持っているよ」と言いながら、サインをせがむ。
 チャンはカウンセラーと話している。彼の精神障害はハードすぎる音楽の追求から来たもののようだ。「音楽家と夫と、どちらを選ぶのだね」と聞かれ、チャンは「どちらも切り離せません」と答えた。新聞の一面には「バード自殺を図る」の大きな見出し。

 時は遡る。'34年、カンサス。アマチュア参加のコンテストで、パーカーは失態を演じる。場内がシラケきるような凡庸なプレイ。見かねたドラマーがシンバルを放り投げる。バンドと観客の嘲笑。確かこれは実話である。
 '52年、ニューヨーク。カンサスでの一件を知るサックス奏者、バスター・フランクリンがバードを観に来た。どうせ下手だと思ったが..プレイは超人的。バスターは衝撃を受けて、自らの管を川に投げ捨てる。

 チャンとバードの出逢いも映る。ブロードウェイの演出家を父に持つ白人ダンサー、チャン。すでに名声を得始めていたバード。ある晩のこと、流れて来るサックスの音色にチャンがふとの寝室から外を観ると...白馬に乗って(!)迎えに来たバードがいた。レストランでダンスに興じる2人、専属バンドのメンバーからは「おい、チャリー・パカーだぞ」と言われるが、年配の客からは白人と黒人のカップルに険しい視線が注がれる。まだ、そういう時代でもあったのだ。

 バードのアルコール禍、麻薬禍も描かれている。ニューヨークのジャズ・クラブ、熱演の後の楽屋に麻薬捜査官が押しかける。ロスでの仕事中は麻薬が手に入らず、アルコールに溺れる。名曲「ラヴァー・マン」のレコーディングは紙袋に隠した酒を飲みながら行われ、演奏終了時にはマイクに倒れ込む。終了後、突然自分の楽器をガラス窓に投げつける奇行に出た。依存症で入院(ところがこの時に、ヨレヨレの状態で録られたものが後に「名演」と謳われるのだから、ジャズというのは不思議なもの...)。
 退院後「悪い血を抜いた」と語るバード。子供も生まれ、自らの名前を冠したジャズ・クラブ「バード・ランド」も開店。薬から離れられないことを除けば、それなりに落ち着いたかに見えたが、そこに、愛娘・プリーの死が訪れる。麻薬の為にニューヨークでの組合員権を失ったバードは、プリーの死を遠く離れたロスで知る。哀しみのあまり錯乱し、一晩中、何回も何回も自宅に電報を撃ち続ける。1954年9月。オープニングの自殺未遂はこれが引き金だった。

 ニューヨークの喧騒から、ウエストチェスターの閑静な一軒家に移り住んだバード。「麻薬中毒患者の夢はこんな家に暮らすことさ」と語り、一瞬の静寂に包まれるが、やはり彼は落ち着けない。仕事の為に旅に出て、時代の変化を知ってしまう。バードに叩きのめされたバスターがロックンロールを吹きまくるさまを観てしまうのだ。「なんでみんなBフラットなんだ?」と単純な曲調を指摘するバード。しかしメンバーから「BでもFでも関係ない。客が入ればいいんだ」と言われる。割り切れないバードは、バスターのアルトを奪い、裏口で吹き始める。挙げ句に泥棒呼ばわりされ、取り押さえられてしまった。

 レコーディングに遅れ、しかも手ぶらで現れたバード。その理由は「最低だ。車の置き場所を忘れた。後ろにサックスがある」。その晩、自宅のチャンにいつになくやさしい電話を掛けた。そして雨の街に出て行く。天才、ヤード・バード最後の晩。
 気がつくと、ジャズファンの男爵婦人、ニカ・ロスチャイルドの部屋だった。医師の診察を受け、水差しの水を全て飲み干す。テレビの手品に無邪気に笑い出すが、それが引き金となって苦しみ始める。肝硬変で肥大化した肝臓が心臓を圧迫していたのだ。そしてテレビ受像機の前で、たったひとりでバードは息絶えた。
 病院に電話をする医師。「チャールズ・クリストファー・パーカー・ジュニア。推定死因、心臓麻痺。男性、黒人。推定年齢65」。すかさずニカ夫人が口を開く、「彼はまだ34よ」...。


Forest Whitaker
in ' Bird '



■ かいせつ

 この文章を書くため、約10年振りに見直した。前に観たのは公開直後の'89年5月。新宿の非常に混んだ映画館だった。そしてその頃、私はジャズのことを殆ど知らなかった。
 いきなり垣間見る天才・バードの生涯。正直なところ、いまひとつピンと来なかった。その後、ジャズの世界に足を踏み入れ、雑誌や書籍でこの映画の評論を目にした。いずれも酷評。自分自身は明確な意見を持たず、10年間も酷評を見続けて来たので、「あれは駄目な映画だったのだな」という認識が−後追いで−出来てしまった。
 しかし人間、歳は取ってみるもの。30代も半ば近くなり、「それなりにジャズを知ったアタマで、もう一度しっかり観てみよう」と思った。いや、思い直した。そして、今回の為に見直したところ...なかなか良く出来た作品ではないか!

 しかし今回の特集、考えてみればタイヘンなことを始めてしまったものだ。伝記映画を何本も紹介するってことは、ジャズ・ジャイアンツ達の生涯を次々に紹介するってことと同じじゃないか(笑)。やれやれ、一大作業を、数行で済まそう。
 "ヤード・バード"のニックネームで知られたチャーリー・パーカー(本名・チャールズ・クリストファー・パーカー・ジュニア)は'20年、サンサスに生まれた。15歳でプロとなり、18歳でニューヨーク進出。いくつかの楽団に参加するが、'40年代に入りディジー・ガレスピー、セロニアス・モンクらと高度な音楽理論に基づきつつも、インプロヴィゼイション(即興演奏)に重きを置いた新しいジャズ"ビ・バップ"を確立。以降のモダン・ジャズに計り知れない程の影響を与える、が、麻薬と酒と女に溺れた人生は極めて険しいものだった。精神病院、アルコール依存症治療施設への度重なる入院。数回にわたる結婚。紹介文の通り、若干34歳でその人生を終えた。'55年3月12日、死去。医師の所見が「推定年齢65歳」だった話はあまりにも有名である。
 そんなバードの生涯を後半生を中心に描いたこの作品。核となっているのは最後の妻だったチャンとの物語だ。破滅に突き進むバードを、チャンの愛情が守れるのか、チャンのため、子供たちのためにバードは生き抜くことが出来るのかが主題である。

 ジャズと私生活描写のバランスはよく練られている。ジャズメンの生活、ジャズをすることについて、そして家庭生活のそれぞれについてテンポ良く、適度な深さで描かれていると思った。クリント・イーストウッド・カントクの評判はあまり宜しくなかったのだが、まぁそんなに非難される程の出来ではないぞ。
 チャンを演じたダイアン・ベノラがファッショナブルかつキュートなので、女性ファンが観ても十分楽しめるだろう。ジャズに生きる男のハナシ、ではない。天才ジャズメンと彼を取り巻く男性・女性の物語である。それなりに、オススメしたい。2時間41分、短い映画ではないが、長くは感じないだろう。

 単にドラッグまみれの破滅型ジャズメンとして貫かれているわけではない。ツアーの途中、バンドメンバーだったユダヤ人トランペッター、レッド・ロドニーが医者から騙し取ったドラッグをキメ、その彼にバードが掴みかかるシーンもあった。自らの身体はもう「後戻りが出来ない」が、若い才能が目の前で壊れて行くのは耐えられなかったのだろう。なおこのレッドは実在の人物で、現在も存命。この作品の製作に協力すると同時に、サウンド・トラックにも参加している。

 しかしなんとも不思議なのが、この悲劇的とも言える映画を観終わった後で、心に残っているのが、「幸せそうなバードの姿」なのだ。そして、それはあまりにも少なかった。
 この映画だけから判断してしまうのは早計だが、バードが安定し、幸せそうに見えたのは本当にほんの一時だけだ。時期でいえばバード・ランド開店直後、贅沢な新居で3人の子供に囲まれていた−プリーが存命だった−ころ。シーンで言ってもレッドの紹介でユダヤ式の結婚式でクレッツマー音楽を演奏するシーン、そして死の直前のテレビを観ているところだけだった。
 畑違いではあるが、私は'60年代と心中した偉大なロック・シンガー、ジム・モリソンの生涯を描いた映画『ドアーズ』('91年・米)を思い出した。あの作品でも、ジムが幸せそうに見えたのはラスト近く。子供達のパーティーに招かれ、頭に紙の飾りを付けて微笑むほんの一瞬だけだった。そしてその直後に、彼は自らの命を絶った。天才に安住の地は有り得ないのか。あまりにも難し過ぎる命題である。



Diane Venora


■ ジャズ・ファンの目

 なんだか、「かいせつ」でホメ過ぎたな。特に文末などカッコ良くまとめすぎた(笑)。「かいせつ」はヨイ部分について、ここではワルイ部分について書こう。

 主役のウィティカーは、実はかなりお馴染みの俳優である。『プラトーン』や『グッドモーニング・ベトナム』で彼の姿を観ている人も多いだろう。鶴瓶サンに似た、太った彼である。この映画に対する批判のひとつに、彼がバードの持っている「オーラ」を表現しきれなかったというものがある。キマジメな私はあるったけのバードの写真、エピソードの書かれた本をひっぱり出して、じっくりと目を通し考えた...表情が、乏しいのだ。
 へんな話だが、本物のバードの方が目も大きく、顔の造作も整っており、よっぽっど俳優の様に見える。そしてなによりも、どの写真を見ても表情が豊かなのだ。人々が言う「バードのオーラ」というものを、確かに感じる。なるほど、劇中のウィティカは、ジャズ映画特有のヒロイズムに溺れて、険しい顔ばかりしていた様な気がする。

 これはエピソードについても言える。映画の中で、幸せそうなバードの姿はほんのわずかだったことは「かいせつ」で書いた。しかし、本当にそうなのだろうか?食べ物の話、テレビの話、他人の家に押しかけた話...豪放磊落な、まるで野性児の様な微笑ましいエピソードも数多く残されており、そのダイナミックさこそ「バード」なのだ、という気もする。なるほど、この映画だけでバードを掌握するのは全くの早計だな。

 演奏シーンはあまり評判がよろしくない。確かにずっと気になる部分があった。フォームはまぁまぁだが、この俳優サン、リズム感に欠けるのではないだろうか?。ノリがギゴチないのだ。しかもちょっとズレている。
 重要なワキ役、ディジー・ガレスピー(tp)の描写はまず及第点。まぁベレー帽にメガネで笑っているだけの芝居、といってしまえばそこまでだが(笑)。逆にユダヤ人トランペッター、レッド・ロドニーの芝居はなんとも締まりのないものだった。特に彼のヴォーカル・シーンは何をどう表現したいのか全く判らなかった。

 この映画、サントラでハイテクを駆使していることで非常に話題になった。現存するバードのレコードから彼のアルトだけを抜き出し、サイドメンの演奏を付け直すという方法を採ったのだ。ゆえにバードの吹き替えはナシ。音質的に無理があるかというと...確かにちょっと籠もっているな。もう少し、イコライジングで立てられただろうに。

 バードの代表曲が次々と出てくるのは実にお得だが、正直な話一番感動したのは、仕事が空いてしまったバードのバンドが、レッドに誘われてユダヤ人の結婚式でクレッツマーを演奏するシーンだ。アタマのてっぺんにユダヤー帽をちょこんと乗せたバード御一行、最初は主題を吹いているが、そのうちにノッて来てアドリブを吹きまくる。それに乗せて、丸くなって踊るユダヤ人の老若男女、幸せそうな新郎新婦。このシーンはかなりヨイよ。
 最後に長老が「ユダヤ人じゃないのに良かった」と褒める。イーストウッド・カントク、この部分は良く撮ったと思う。でもキビシイ事をいうと、クレッツマーにしてはリズムが甘いんだけどねぇ(笑)。

 全体の演出については叩かれ放題のイーストウッド・カントクだが、こうした人種の描写についてはサエているところもある。例えば'50年代の黒人が置かれた微妙な立場はストーリー紹介でも書いたが、劇中にはその逆もあった。中盤からメンバーとなるレッドはバードを敬愛し、「白人差別」の激しい南部をバードと共に旅した。このレッド、実は白人でありかつ色素障害者でもある(現在でも存命)。それがゆえに南部の街では「アルビノ(白子)・レッド」と蔑まされた。しかしバードはメンバー紹介で「神は彼に色素を与えるのを忘れた」と語り、その場を繕った。「肌は白いが心は黒人」として守ったのだ。

 しかしなんともこの映画をレヴューするうちに、必然的に本物のバードの持つ魅力を再考することになった。役柄として登場し、製作にも協力したガレスピーが「あんな愚作は見ていないよ」と言ったらしいが、確かに脚本、演出、演技ともチカラ不足のところもあり、「劇映画としてはまぁまぁの出来だが、バードという巨人を完全に蘇らせることは出来なかった」という、うーん、判ったような、判らないような感想になってしまったな(苦笑)。
 そう考えると結局、フィクションを排し史実を忠実に再現したというイーストウッド・カントクの手腕も「?」となってくるのではないだろうか。シキレテイナイノダ。


'The Savoy Recordings'
Charlie Parker
King K32Y 6083









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