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98/07/05
若人のための
日本映画入門
戦後黄金期編


























































































溝口健二の幽玄
ゴダールに引用された日本人監督




 このページの熱心な読者−特に映画好き女子大生など−からすれば、フランスの映画監督、ジャン=リュック・ゴダールは「神様」のような存在であろう。ではその神様の代表作『気狂いピエロ』('65年)のエンディングが、実は日本映画からの引用だったと知ったら、驚かれるだろうか。
 更に、昨年北野武が金獅子賞(グランプリ)を受賞し話題となったヴェネチア国際映画祭で、敗戦の混乱がようやく収まった昭和27年に国際同等賞、28年、29年に2年連続の銀獅子賞(最優秀外国映画賞)を受賞した日本人監督がいたと知ったら、これもやはり驚かれるだろう。それが巨匠、溝口健二である。

 この『雨月物語』は昭和28年の銀獅子賞受賞作品、翌年には『山椒太夫』で再受賞。先駆けて27年には『西鶴一代女』で国際同等賞を受賞している。これを快挙といわず、何と呼ぼう。『気狂いピエロ』に引用されているのは『山椒太夫』の一場面、詳細は2作品を見比べてのお楽しみとしておこう。
 物語は江戸時代の怪奇文学の祖、上田秋成の「浅茅ヶ宿」「邪性の淫」にモーパッサンの「勲章」を加えたものである。


 時は天正11年、琵琶湖のほとりの山野は秀吉、勝家の戦いによって荒廃を極めていた。寒村に暮らす兄・源十郎(森雅之)、弟・藤兵衛(小沢栄)の二組の夫婦が焼物を持って街に出る。しかし琵琶湖を舟で行く途中、海賊に襲われた瀕死の船頭に出会う。長引く戦国の世で人々の心はすさんでいるのだ。危険を察した源十郎は妻・宮木(田中絹代)に子供と一緒に家に戻れと命じる。
 戦のあおりで街は好景気だ。さながら「特需景気」といったところか。しかしここで、辿り着いた3人にそれぞれの運命が待っている。貧乏な平民は嫌だ、藤十郎は妻・阿波(水戸光子)の反対を押し切って鎧を買い、下っ端侍となる。そして残された妻は落武者どもに乱暴され、姿を消す。
 主人公源十郎にも事件が起こる。見るからに高貴な若狭(京マチ子)に焼物がいたく気に入られ、屋敷まで届けて欲しいと言われる。ところが、これが罠である。実はこの若狭、信長に滅ぼされた一族の娘、御家断絶の危機を救うべく源十郎に婿に来いというのだ。しなだれかかる若狭。「ああ、こんな楽しみが世の中にあっとは知らなかった。天国だ」−真面目な焼物職人だった源十郎は、甘美な貴族の生活に心を迷わせ、妻子を忘れ若狭との暮らしに酔いしれる。

 しかし、どうも、おかしい。ある日源十郎は街中で高僧から「お前の顔には死相が出ている」と言われる。全身に経を書かれる源十郎、それを観た若狭は叫び狂い...気が付くと源十郎は屋敷の廃墟に倒れているのだった。
 弟の藤兵衛も哀しい。他人の倒した名匠の首を盗み、タナボタで出世した藤兵衛だが、ある日、女郎屋でかつての妻・阿波と再会する。派手な化粧で女郎をする阿波に「お前が出世をしている間に、私こんなに出世したよ。お前もお客になって、この私をお買いよ」と言われ、目を覚ます藤兵衛。

 源十郎も我に返り、ひさびさに我が家を目指す。宮木との慎ましい暮らしに戻ろうとするのだ。少し荒れた我が家に驚くが、良く見ると妻はちゃんといる。「戻った、戻った...」と幸せを噛みしめる源十郎。しかし翌朝、気がつくとまたしても廃墟の中に横たわっているのだった。そこに現れた村の老人から宮木は赤子をかばい落武者に殺されたのだと聞かされる。すると昨晩の宮木は...。


 面白い。欲に狂った人間の末路を極めてクールに描いている。日本的なベタつきを感じさせないのは原案の中にモーパッサンの「勲章」が含まれていることと、溝口の映像美の賜物である。



森雅之と京マチ子



 世界的にも有名なのが前半、霧の中を行く舟のシーン。ここは、完璧に、歌舞伎である。ラストの長廻しも有名。「家に帰って来た源十郎が宮木を探し、家を通り抜けて、回りを一周して再び家の中に、さっきいなかった宮木がいる」までがなんとワンカットなのだ。
 この逆のパターン−いたはずの人が、いない、という演出に心当たりはないだろうか。いたはずの溥儀がいない、ベルナルト・ベルトルッチ監督の『ラスト・エンペラー』(昭和62年)のラストシーンである。どうやらベルトルッチはこの『雨月物語』を参考にしたらしい。(ついでにいうと、『ラスト...』の最後の最後、場所はそのままで時代が突然現代になり、ガイドがアメリカ人観光客に英語で説明する、という演出は、川島雄三監督の傑作『雁の寺』(昭和38年・大映)にそっくりだ。ベルトルッチに先駆けること25年、鬼才・川島、恐るべし)

 個人的には源十郎が街の反物屋で妻への土産物を見るシーンが良かった。店の奥の暗がりが源十郎の家に繋がっており(もちろんイメージ)、かいがいしく働く宮木がふと気がついて歩み寄って来て、反物を肩に掛け乙女の表情を見せる。ここは本当に巧い!思わず「おお!」を声を出してしまった程だ。

 溝口健二−ヨーロッパの映画人に絶大な人気を誇っている。ヨーロッパ映画好きの若い映画ファンは是非観て欲しい...いや観るべきである。日本的幽玄と現代映画芸術の完璧な融合。ワケのわからんフランス文芸映画など観る前に、まず、溝口であろう。
 この『雨月物語』や前出の『山椒太夫』などが有名な溝口ではあるが、「あのへんは気取っている。『浪華悲歌』(昭和11年/第一映画嵯峨野)や『祇園の姉妹』(同年/第一映画)にこそ、本当の溝口がある」という声もあり。更に奥の深い溝口の世界である。


この『雨月物語』は大映から廉価版ビデオが発売されています
























































































成瀬巳喜男の冷徹
世界が注目する「第四の巨匠」を観よ




 第二次大戦中、駐在先の仏領インドシナで出逢った男と女。男はエリート技官、女も優秀なタイピスト。戦争が終わり、母国へ還り、再会する二人。しかし互いにかつての名誉も尊厳もなく...。

 どう見てもフランス映画のようなシチュエーションだが、邦画である。昭和30年製作の成瀬巳喜男監督作品『浮雲』(東宝)だ。
 欧米から見ると、日本には「4人の巨匠」がいるという。世界的人気を誇る巨匠・黒澤明。その様式美から映画人を中心に信奉者の多い名匠・小津安二郎。3人目が上で紹介した昭和20年代の後半、敗戦国日本からヴェネチア国際映画祭3年連続入賞を果たした溝口健二。そして「第四の巨匠」がこの成瀬巳喜男である。


 昭和21年、東京。ひとりの女が仏印ダラットから引き揚げて来た。元・農林省のタイピスト、幸田ゆき子(高峰秀子)である。エリート職員としての誉れも今いずこ、敗戦の地を彷徨うゆき子の顔には疲労の色が滲み出ていた。
 都内のある家を訪ねる。ダラットで一緒だった技官の富岡(森雅之)である。ゆき子は富岡に迫る。「奥さんとも別れて、さっぱりして君を迎えるって...二人で生きようって言ったじゃない」。二人はただの同僚ではなかった。しかし富岡は冷たい。「僕達はあのころ夢を見ていたのさ」。

 ゆき子の生活は惨めであった。仏語に堪能なかつてのエリートも、戦後の社会では生きる術がなく、結局米兵(ロイ・ジェームス)のオンリーとなる。その小遣いで暮らすバラックを富岡が訪ねる。二人は、やはり離れることが出来ない。富岡の妻(中北千枝子)が入院したこともあり、年末年始を伊香保で過ごすのだった。
 予想以上の長逗留で持ち金が足りなくなった富岡は、自分の腕時計を街のカフェーの主人(加東大介)に売る。そこには若い女房おせい(岡田茉莉子)がいた。このおせいと、富岡が出来てしまうのだ。ここでの岡田茉莉子の妖艶さは必見である!
 東京に戻ったふたり。ゆき子が富岡を探すと、なんとおせいと一緒にいた。呆れるゆき子が「子供は自分で始末する」と言い出す。ゆき子は妊娠していたのだ。

 ゆき子と富岡の立場が逆転する。ゆき子は親戚の伊庭(山形勲)が始めた新興宗教に転がり込む。信者からの寄進で伊庭は左うちわだった。そこに訪ねて来た富岡、目的は金の無心である。妻の邦子には死なれ、おせいは元の亭主に殺されていた。そして富岡は...職を失い邦子の棺桶を買う金もなかった。
 次の舞台は伊豆の旅館である。電報で富岡を呼び出したゆき子。教団の金を盗み、伊庭から逃げ出して来たというのだ。ある者は死に、あるものは殺され、結局二人になってしまった。富岡はここで仕事の話をする。「農林省に戻るんだ。屋久島という国境の島に行く」。ゆき子は一緒に着いて行った。

 ゆき子の身体は弱っていた。富岡の子供を堕ろしてから、変調を来していたのだ。途中、鹿児島で倒れた。屋久島に着いた時は担架で運ばれた。そして森林の小屋で寝たきりの生活になってしまった。しかし「1カ月に35日雨」というこの南海の孤島は、ゆき子の身体を蝕むばかりだった。富岡が森に入ったある日、ゆき子は血を吐き独りで死んだ。
 死に目に遭えなかった富岡。ゆき子の亡骸を前に涙する。去来するのはダラットの思い出。仏印の森林で明るく微笑む美しいゆき子。最後に林芙美子の有名な詩が映る。


花のいのちはみじかくて、苦しきことのみ多かりき


 しかし、なんともゆき子の無気力ぶりが凄いのだ。ダラットで見せたエリート女性としての表情と、内地に還ってからの投げやりな表情、声、態度...。敗戦と生活苦、そして愛憎がここまで人間を変えてしまうのかと怖くなる。



『浮雲』 公開時のポスター



 そんな人間の一面を、徹底的に冷徹に、成瀬は描き続ける。この「冷徹さ」が素晴らしいのだ。成瀬の映画は絶妙のバランスの上に成り立っている。女でも男でも、成功者でも敗者でもないような、逆にその全てでもあるような非常に不思議な視点だ。これぞ成瀬の巧さである。
 このいずれかに肩入れしたら、このバランス、このウエイトを崩してしまったら、どろどろとした下世話な愛憎劇に成り下がっていただろう。しかし、成瀬は冷徹に、只、事物を描くことのみに徹し続ける。その冷徹さは無機的な感じすら与えるくらいだ。そして女だけのものでも、男だけのものでもない、全ての人間の持つ苦悩を描くことに成功した。

 成瀬には長いスランプ期があった。私はその時期の作品を観ていないが、思うにそのころは、この「誰のものでもなく、かつ全てのものの視線」を得られずにいたのではないだろうか。復活作といわれる『銀座化粧』(昭和26年・伊藤プロ)でひとたびその視線、そのバランスを獲得した成瀬は、その後、昭和44年の逝去まで『めし』(昭和26年・東宝)、『あに・いもうと』(昭和28年・大映)、『晩菊』(昭和29年・東宝)、『流れる』(昭和31年・東宝)、『女が階段を上る時』(昭和35年・東宝・隠れた傑作)、『秋立ちぬ』(昭和35年・サダナリのお気に入り!)、『放浪記』(昭和37年・宝塚映画)、『乱れる』(昭和39年・東宝、秀逸!)、『乱れ雲』(昭和43年・東宝)といった名作を次々に発表した。ふむ、この他にもまだまだある。この人ほど、「名作」の数が多い監督も珍しいのではないだろうか。
 以下は日本中、いや世界中のの邦画ファンを敵に廻すような発言だが...「小津より成瀬」の声も良く聞く。日本映画を数多く観た人ほどそう言う。確かに私も、うむ、成瀬派だ(そして「黒澤より岡本(喜八)」?)。

 複雑な人生を辿った監督でもある。元々は松竹蒲田の小道具係であった。やがて助監督となるがその次、監督昇進は控えめな性格が災いしてか小津安二郎や清水宏ら後輩よりも後だった。その後も好評と不評の間を行き来し、新興企業だったPCL(のちの東宝)から引き抜きの声がかかる。時の松竹蒲田撮影所長・城戸四郎(のちの松竹社長)は「二人目の小津はいらない」と移籍を引き止めなかった。松竹においては「不要な監督」とされたのだ。その後も長いスランプ期があったり...彼の人生自身がまるで漂泊する映画の如きものなのだ。

 スクリーンの上で、なかなか乾いた人間ドラマに出逢えない昨今、成瀬のこの「視線」は貴重である。再評価の気運高し。つい先日、渋谷の書店に行ったところ成瀬の研究本が何冊も置いてあった。一緒に主演の森雅之の研究本もあった(むむ、そういえばこのページ、両方とも森雅之)。海外での評価も高く、この'98年夏、遠くスペインで「成瀬巳喜男回顧展」が開かれるそうだ。


フランス公開時のポスター


 '84年のパリ上映時に、この『浮雲』を観たフランス人監督レオス・カラックスは成瀬の熱烈な信奉者となったそうだ。彼の作品、『汚れた血』('86年)や『ポンヌフの恋人』('91年)に、成瀬の影が映っているのか?どちらも公開時に観たが、残念ながらそういう観点からは接していなかった。信奉者であることはごく最近知ったのだ。
 「僕は成瀬が好きだ。そして僕の作品は、彼の映画と親しげに語り合っている」と彼は言う。どうやら成瀬とカラックスはセットで観なければいけない様だ。


− 98/7/26 追記 −
 スペインまで行かなくても、東京で観られます!98/8/5から9/22までの1カ月半にわたり、銀座・並木座で「名匠・成瀬巳喜男の世界」と題して後期の代表作を一挙14本公開!これは快挙です!しかし、これを最後に並木座の閉館も決定。最後の特集が成瀬なのでした(涙)。



この『浮雲』は東宝からレーザーディスクが発売されています








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