Back to the menu

98/07/05
若人のための
日本映画入門
戦後黄金期編


































殿










































































浦山桐郎の誠実
心を打つふたつの家族の物語




 寡作の監督、浦山桐郎のデビュー作『キューポラのある街』(昭和37年・日活)は頑固な鋳物職人の父親と、可憐だが逞しい娘の物語、貧しいながらも誠実に生きる人間讃歌...ということになっている。名画としての誉れも高い。しかし本筋であるこの家族の描写はあまりにも類型的すぎて、ひねくれ者の私にはあまり面白くはなかった。あまりに優等生すぎるのだ、人も物語も。
 それよりも私に深い感銘を与えてくれたのは、同時に進行する朝鮮人一家の姿であった。良く出来ていた。文句なしに良く出来ていた。物語としての深みも、映像としての完成度も素晴らしかった。
 東野英治郎と吉永小百合演ずる職人一家の話−ではない。彼らと同時に描かれたもうひとつの家族にこそ注目して欲しい。


 埼玉県川口市。キューポラと呼ばれる鋳物工場独特の煙突が林立する工業の街である。この街に暮らす石黒辰五郎(東野英治郎)も、やはりこの道ひとすじの鋳物職人であった。家族は彼を含め6人、妻(北林谷栄)と高校受験を控えた娘のジュン(吉永小百合)、弟のタカユキとテツ、そして生まれたばかりの赤ん坊である。
 物語は辰五郎の事件から始まる。勤めていた工場が買収に遭い、あっさりとクビを切られてしまうのだ。成績も優秀、ソフトボール部でも大活躍するジュンの将来に不安の影が忍び寄る。それを察したジュンは自ら地元のパチンコ屋でアルバイトを始める。同僚は同級生の親友、ヨシエであった。
 ジュンの友人のつてで、辰五郎は大手の鋳物工場に再就職を果たす、が、近代技術に付いて行けず辞めてしまう。喧嘩の末、修学旅行をさぼったジュンは、「店番みたいなもの」と言って夜の仕事に出た母親が、酒場で酔客と共に乱痴気騒ぎに興ずる様も見てしまう。父親の頑固さ、母親の不純さに業を煮やしたジュンは勉強をする気を失い、投げやりな態度に出てしまうのだった。

 暮れの押し詰まったある日、ヨシエとの別れがやってくる。彼女と父親、弟サンキチの3人は故国である北鮮−朝鮮民主主義人民共和国に帰るのだ(注・「北鮮」は戦後の一時期、北朝鮮に対して用いられた俗称。劇中では主にこの呼び方を使用している)。この出発シーンが素晴らしかった。夜の川口駅前に集うチョゴリを着た同胞達、故国の歌をハングルで歌い出発を祝っている。ジュンも、サンキチの親分格であったタカユキも、中学の先生(加藤武)や友人達も見送りに来ている。そしてここでちょっとしたドラマが起こる。
 ヨシエが一団に駆け寄る母親(菅井きん)の姿を発見するのだ。日本人である母親は、すでに別居中でもあり、帰国の話には乗ってこなかった。あわてて駆け出し、必死に止めるヨシエ。「昨日あんなに約束したじゃない。絶対に来ないって」「私はただサンキチにこれを渡そうと思って...」、母親の手には風呂敷包み。「だめ、とうちゃんも、サンキチも、お人好しで弱いのよ。会った途端に『行かない』って言い出すじゃない!」。母親に謝りながら泣き出すヨシエ。このシーンでのヨシエの逞しさは明らかにジュンを超えている。菅井きんの切なさ、歯がゆさも胸を締めつけんばかりであった(ここで菅井も一緒に帰国していたら、最近問題となっているいわゆる「日本人妻」ということになっていたわけだ。往年の名作のように見えて、実は極めて今日的な問題を孕んでいるのだった)。

 翌日、タカユキが「西川口と大宮から放してくれ」とサンキチに頼んだ最初の鳩が帰ってくる。次に帰って来たのは...なんと、鳥籠を持ったサンキチ本人であった。驚くタカユキにサンキチが説明する。最初の鳩は約束通り、西川口で放した。しかし川口の方に向かって飛んで行く鳩を見ているうちに、独り残された母親が可哀相になって「川口に帰してくれ!」と泣き叫び始めてしまった。最初は驚いた父親だが「しばらく母さんといろ、来たくなったらいつでも来い」と言って大宮で降ろしてしまった...。
 サンキチの回想シーンとして描かれる僅か数分のこのシーンはかなりの見モノである。テンポも良く、構図もサウンドも極めてユニークであった。ハッキリ言って、他のどのシーンとも異質である。私見だが、浦山と共に脚本を記した今村昌平のカラーなのではないか、とも思う。

 一羽目の鳩の足に括り付けられたヨシエの小さな手紙に勇気づけられて、志を新たにしたジュンに、やっとかつての明るさが戻って来た。工場の拡張で復職を果たした辰五郎から「もう進学の心配はいらねぇ」と言われるも、働きながら定時制高校へ行くと自らの決心を語るのだった。

 ラストは川口の陸橋である。眼下を走る帰国団の特別列車には再び鳥籠を持ったサンキチの姿。ちぎれんばかりに手を振る3人...。

 しかしこう書いてみるとこの映画のヤマ場は、朝鮮人家族にまつわるこれらのシーンではないだろうか。浜田光夫(辰五郎の後輩、克己役)と吉永の青春ドラマ...とは思えない。ご覧の通り、明らかにジュンとヨシエの「二つの家族の物語」である。見落とすことなかれ。



ヨシエとの別れの場面

中央・吉永小百合



 浦山桐郎監督−クラシック音楽をこよなく愛し、そして酒を愛し...過ぎた。今村昌平らと共に、川島雄三の助監督を務めた後、この『キューポラ』で監督デビュー、以降わずか9本の作品を世に送り、昭和60年10月20日、肝臓ガンのために帰らぬ人となった。実に23年振りに、再び吉永小百合を主役に据えた『夢千代日記』(昭和60年・東映)が遺作となってしまったというのがなんとも運命的である。
 代表作はこの『キューポラ』と『青春の門』シリーズであろうが、あと1本というならば『私が棄てた女』(昭和44年・日活、原作・遠藤周作、脚本・山内久)を推したい。浦山監督自らの姿を主人公に託した迫真の秀作である。


この『キューポラ...』は日活から廉価版ビデオが発売されています


























































駿



























今井正の抵抗(レジスタンス)
戦争を描き続けた監督




 暗い時代の青春の物語。第二次大戦真っ只中の東京。出征を目前にした大学生・田島三郎(岡田英次)が、図案家である小野蛍子(久我美子)と恋に落ちる。しかし、彼らの前には障害ばかりだ。軍人である三郎の兄・二郎(河野秋武)の反対、厳格な父親(滝沢修)からの苦言、そして何よりも重くのしかかる戦争の影...。
 単なる戦争映画、我々の生活とは縁のない話...そうだろうか。この作品の名画たる所以はそのキャラクター設定にあると思う。文学を愛し、詩を愛し(どうやら文科の学生らしい。動員が早く、応召後の扱いも悪い損な学部だ)、短髪を嫌う三郎と、図案家、つまりイラストレーター兼グラフィックデザイナーである蛍子、二人の姿に現代の我々の感覚を見いだすことは出来ないだろうか。
 いくら軍国主義の時代とはいえ、「一億総火の玉」というわけではなかったのだ。文学好きの大学生だっていた、女性デザイナーだっていた。そして、淡い恋愛も生れた。そう、この『また逢う日まで』(昭和25年・東宝)は「もし我々が、あの時代に放り込まれたら」という仮説でもあるのだ。そしてその結末はあまりにも暗く、哀しい...。


 昭和18年・東京。意気洋々と出掛けようとした大学生・田島三郎(岡田英次)に電報が届く。表情が曇る。そこに防空演習をしていた兄の未亡人正子(風見明子)が倒れたとの知らせが入る。正子は亡き夫の子を身籠もっており、流産の危険もあるというのだ。三郎は頭を抱える。

 三郎と蛍子(久我美子)が出逢ったのはその数カ月前である。敵機の来襲で逃げ込んだ地下室で、偶然、手が触れた。その温もりを、その表情を、三郎は忘れることが出来なかった。家に帰ると兵役に就いている兄・二郎(河野秋武)が来ていた。かつてはいい話し相手だった二郎だが、今や屈強な軍国青年となり、二人の会話ははすれ違うばかりだった。

 三郎が唯一心を和ませるのは、大学の友人たちとの語らいであった。しかし、そんな仲間達にも戦争の影は忍び寄っていた。文才のある同人が戦死し、話題は遺稿集のことだった。学友・井本(芥川比呂志)の弾く流麗なピアノが哀しく響いていた。
 遺稿集の用事で出版社に出掛けた三郎は、そこで蛍子に再会する。図案家である蛍子は、仕事を貰うためにやって来ていたのだ。
 戦時下の街で、二人は恋に落ちる。待ち合わせて、語り合う二人。三郎は蛍子に自分の似顔絵を描いて欲しいと頼む。しかし、そんな二人を兄・二郎が目撃、出征を早めるよう手配されてしまう。

 似顔絵のために蛍子の家を訪ねた三郎。彼女は街外れの林の中に母親(杉村春子)と一緒に住んでいた。恩師のアトリエであったこの家はとても静かで、ここにいると暗い戦争のことなど忘れてしまいそうだった。一旦帰りかけた三郎、窓辺に戻り、ガラス越しに蛍子にキスをする。有名なガラス越しのキス・シーンである。



岡田英次と久我美子



 兄・二郎は鉄道事故で命を落としてしまった。屈強な軍人だった二郎だが、死の直前には三郎に幼いころの思い出を語った。三郎に残された時間は少ない。学友たちも次々に出征、ひとりまたひとりと消えていった。そして、遂に、出征が決まった。その2日前、三郎は蛍子に言った「無事に帰って来た時に、結婚しよう」、蛍子は答える「どんなことをしても生きているわ」。

 そして、最後の日。二人は駅で待ち合わせる。三郎がまさに出掛けようとした時、電報が届く。翌日の出征が、一日早くなった。出発は今晩である。さらに防空演習をしていた兄の未亡人正子(風見章子)が倒れたとの知らせが入る。ここで冒頭に繋がるのだ。
 何時間も、独りで三郎を待つ蛍子。そこに敵機来襲。直撃を受けた駅舎は、木っ端微塵に破壊される...。

 最後のその日に逢えぬまま、お互いの最期を知らないまま...最後のシーンは昭和20年の秋である。三郎の部屋には蛍子の描いた似顔絵。そこに姉・正子が花を捧げる。蛍子の母もそこにいる。「蛍ちゃん、この部屋にいつまでも...さようなら」。



 今井正監督、その生涯を通じてある時はストレートに、またある時は無言で、戦争の悲惨さを語り続けていた。この『また逢う...』では過激なまでにストレートな描写が観られる。最後の日、行き違う二人の姿は息が詰まるほどやるせない。そして駅舎の爆撃シーン。これでもかと言わんばかりに、閃光を上げる駅舎を映す。このあたり、観る者に与える衝撃はすさまじいものがあった。
 遺作『戦争と青春』(平成3年。こぶしプロ)でもストレートな表現が見られた。東京大空襲の再現シーンである。主演した工藤夕貴は撮影と知りながら、セットと知りながらその恐怖感に泣き出してしまったそうだ。

 今回の特集ではもう一本、『ここに泉あり』(昭和30年・中央映画)を紹介した。あちらの作品には戦争に関する露骨な表現は出て来ない。「戦争によって云々」という台詞も出て来ない。戦後の混乱した風景が只、映されるだけだ。しかしその無言の語り口に、強い説得力があった。この苦悩を作り出した原因が何であるか、と。

 このアプローチの多用さ、表現の巧さこそ今井正の魅力だと思う。そしてその主題は一貫して、忌まわしき戦争であった。


この『また逢う..』は東宝からレーザディスクが発売されています








つぎは
和製ヌーヴェルヴァーグとアート・フィルムの傑作を観る2本立て
上のテロップをクリックして下さい




前頁 ・ 番組表 ・ MENU