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98/07/05
若人のための
日本映画入門
戦後黄金期編






名匠・小津安二郎の世界 

























































































「どうも木魚の音、いかんですわ」
「どうして?」
「なんや知らん、お母さんがポコポコちっそうなって行きよる...」




 結論から書く。小津安二郎の最高傑作、全ての人に観て欲しい究極の名作である。それにしてもこの映画は辛い。45年も前の、架空の家族の物語の筈なのに、その世界にどんどん引き込まれ、劇中のやるせない出来事が自分の身内に起こったことのように感じられるのだ。そして、心臓がちくちくと痛くなる...。



 物語は広島県尾道市の風景から始まる。瀬戸内海を望む小高い山の中腹にある家で、老夫婦が旅支度をしている。引退した市の職員、平山周吉(笠智衆)と、その妻とみ(東山千栄子)が子供達の暮らす東京を訪れようとしているのだ。
 そして東京−しかしこの東京が、二人を温かくは迎えてくれない。最初に訪れたのは長男・幸一(山村聰)の処だった。東京のはずれで町医者をしている幸一の暮らしぶりは、どうも周吉らの想像していたものとは違っていた様だ。そして東京見物にまさに出掛けんとしたその時、急患が入ってしまう。見物は中止、二人は長女・志げ(杉村春子)の処を訪ねる。
 やはり下町で美容院を営む志げだが、店があるので二人には構っていられない。そんな二人を手厚くもてなしたのは戦死した次男の嫁、未亡人である紀子(原節子)だった。会社を休んでまで東京を案内し、帰りには一人で暮らすアパートに招いた。そしてしばしの間、亡き次男の思い出を語り合うのだった。
 その間に長男、長女は策を講じる。「あたしもここんとこ手が空かないのよ」「俺もちょいと困ってたんだ」。志げの発案で二人を熱海旅行にやってしまう...「いい宿屋知ってんの。見晴らしが良くって、とっても安いの」。

 ところがこの宿屋が最悪なのだ。徹夜マージャンに興ずる慰安旅行の一団、表には妙な流しの3人組...夜中になっても眠れやしない。翌朝、散歩の途中でとみが立ちくらみを起こす。「よう寝られなんだからじゃろう」...。
 一泊で帰って来た二人を志げは歓迎しない。組合の講習会があるので泊められないというのだ。力なく笑いながら「とうとう宿無しになってしもうた」と言う周吉であった。周吉は東京に暮らす知人を訪ね、とみは再び紀子の世話になる。あくまでやさしい紀子、このシーンでの原節子は絶品である。

 翌日、いよいよ帰郷の途につく二人。21:00東京発広島行きの特急安芸(あき)号。尾道着は翌日の13:35である。しかし次のショットは大阪駅、駅員である三男・敬三(大坂志郎)の会話で、車中でとみが具合を悪くして、途中下車したことが判る。二人は敬三の寮に泊まり「僅か十日ほどの間に、子供らみんなに逢えて...」と語る。「幸一も志げも、子供の時分はもっとやさしい子だった」とも...。

 数日後、幸一と志げの元にに電報が入る。尾道に残っている三女・京子(香川京子)からで、とみが危篤だというのだ。幸一、志げ、そして紀子の3人が尾道へ向かう。とみの容体は思いのほか悪く、3人が到着した日の晩、そっと息を引き取る。
 一睡もしていない周吉が、家を抜け出して明け方の寺に佇むシーンは映画史に残る名場面である。探しに来た紀子に向かって一言、「きれいな夜明けだった。今日も暑つうなるぞ」...。

 冒頭のセリフ「どうも木魚の音、いかんですわ」はこれに続く葬儀のシーンでの敬三のものである。一番影が薄かった敬三が、ここで大きな役割を果たす。「俺、孝行せなんだでなぁ...今死なれたらかなわんわ...」と続く。ここが、いい...。
 幸一と志げは形見分けなどをして、早々と東京へ帰ってしまう。只一人残ったのはまたしても紀子であった。「妙なもんじゃ、自分が育てた子供より、いわば他人のあんたの方が、よっぽどわしらにようしてくれた。いやぁ、ありがとう」。



 「招かれざる客」と言っては言い過ぎだが、前半の展開で幸一や志げが周吉たちを「持て余して」いることがじわじわと伝わってくる。純粋なな二人の気持ちと、現実的な幸一たちの事情に挟まれて、なんとも複雑な感覚が続く。そして、熱海の散歩のシーンで思わず「あっ」と声を挙げてしまう。防波堤の上に座り海を眺めていた二人、帰ろうと立ち上がった瞬間、とみがよろけて、ぺったりと座り込んでしまうのだ。ここは本当に辛い。自分の親の容体が悪くなったかの様な錯覚を覚え、心臓が激しく締めつけられた。




有名な朝のシーン

原節子、大坂志郎



 全くの私事で申し訳ないのだが、40年ほど前のこと、劇中に登場する特急安芸号に乗りやはりこの尾道から東京へ出て来たのが...私の父親である。随分珍しい名字だとお考えかもしれないこのページのタイトル「定成」はこの尾道の対岸に浮かぶ「因島」に住む一族−と言っても今や数名−の姓である。そんな訳で私はこの映画の舞台も言葉も、痛いくらいによく判る。しかし尾道に縁のない人でも、いや、ドイツ人でもフランス人でもアメリカ人でもこの映画にきっと故郷と家族を見るはずだ。
 ドイツの映画監督、ヴィム・ヴェンダースは83年のドキュメンタリー映画『東京画』の冒頭にこの作品『東京物語』のフィムルをそっくり引用(複写)、自らのセリフを重ねていた。彼は語る「私は彼の映画に世界中のすべての家族を見る、私の父を、母を、弟を、私自身を見る」「我々はそこに自分自身の姿を見、自分について多くの事を知る」。悔しいのだが、これ以上の賛辞を、私は思いつけない...。
 ヴェンダースが引用しているのはフランス語字幕版、作家・村上春樹氏はドイツのホテルでドイツ語吹き替え版を観たそうだ。私は英語字幕版のヴィデオを見かけたことがある。世界中で観られている。逆に、日本は、大丈夫だろうか...。

 なお、尾道といえば同所出身の大林宣彦監督作品が有名だが、『転校生』(昭和57年・NTV/ATG)登場迄の尾道はなんといってもこの『東京物語』の街とされていたのだ。若い映画ファンの方、「へぇ、小津とかいう人も尾道の映画を撮ってるんだ」などというとんでもない勘違いをしないように。特に大林信者で勢い余って「尾道詣で」をしたような人、要注意である(大林の尾道は...全部観てるけれど「まぁまぁ」って感じだったなぁ。作品としては初期三部作よりも後の『ふたり』(平成3年・NHK/PSC)が良かった。でも大林のベストは柳川を舞台にした『廃市』(昭和58年・ATG)だと思うが...)。

 『東京物語』−ともかく観て欲しい。レンタル・ヴォデオでも良く見掛けるし、名画座にもよく掛かる、たまにテレビでも放映される。海外に於ける再評価の噂を聞く度に、私は気になっているのだ。日本−の映画ファン−は、大丈夫だろうか、と。






















































































「じゃ、兄さん、何か紀ちゃんに...」
「いや、もう、何も言うことないんだ...」





 小津安二郎中期の名作。その描写対象を大学生、下町の職人、父と幼子と遷(うつ)してして来た小津が、ここで「父と娘」という主題に着目した。そしてその主題は以降十数年、遺作『秋刀魚の味』まで受け継がれた。
 主題の問題と共に、構図や表現の面に於いても後期の小津調を構成する重要な要素が数多く詰まっている。また舞台となった北鎌倉は晩年の小津が居を構え、そして墓のある街でもある。小津を知る上で見逃せない重要な作品であると言える。


 国鉄横須賀線、北鎌倉駅。この駅のそばの閑静な住宅街に東大教授・曾宮周吉(笠智衆)が、ひとり娘・紀子(原節子)と住んでいる。厳格なように見える周吉だが、締め切りの過ぎた原稿を放って麻雀をしようと言い出す茶目っ気もある。

 買い物に出た銀座の街で、父の友人の京大教授・小野寺(三島雅夫)に逢う。夕食を共にする二人、そこで紀子は最近若い女性と再婚した小野寺に、「なんだか汚らしい。不潔よ」と言う。苦笑する小野寺。二人は北鎌倉に向かい、小野寺と曾宮は酒を酌み交わしながら旧交を温めた。そこでの会話で、紀子がかつて身体を壊し、療養生活を送っていたことがわかる。
 湘南海岸を紀子がサイクリングしている。一緒に走っているのは周吉の助手、服部(宇佐美淳)である。砂浜に腰を降ろし、他愛のない会話で楽しむ二人。周吉の妹・マサ(杉村春子)は、紀子も年頃なのだから二人の間柄を聞いてみた方がいいという。夕食の席で、「お前の結婚相手にどうだ」と聞く周吉。それに対して紀子が噴き出す。「服部さん、結婚するのよ」。この二人には私も騙された(笑)、絶対に出来てると思ったのにな...。
 紀子の同級生・アヤ(月丘夢路)が家にやって来た。旧友の話などするが、次第に紀子の結婚の話題に移って行く。このアヤ、自分は離婚しているのにやたらと紀子に結婚を勧める。しかし、紀子は乗り気ではない。

 ある日のこと、マサが紀子に縁談を勧める。相変わらず気乗りしない紀子、その原因は自分が嫁ぐと父親が困るからだという。するとマサは、周吉の再婚相手にお茶の仲間の未亡人、三輪(三宅邦子)はどうかと持ち出した。「お父様さえ良かったら...」という紀子だが、内心激しく怒っていた。
 周吉と一緒に能を観に行った紀子は、その場所で偶然三宅と会う。お互いに気がついて、挨拶を交わす3人だが、間に挟まった紀子は辛い表情を見せる。夕食に誘う周吉を「用事があるから」紀子はといって断る。幅の広い真っ直ぐな道を、左右に別れて歩く暗示的なショットがそれに続く。
 その夜、紀子は周吉から再婚の意志のあることを聞く。ショックで自室に籠もる紀子に、周吉はマサお勧めた縁談相手に会って来いと言う。しかし、紀子は顔を覆って泣き出してしまう。

 しばらくして、アヤが周吉を訪ねてくる。見合いから何日も経つのに、紀子が返事をしないというのだ。帰って来た紀子に真意を確かめるアヤ、紀子はようやく嫁に行くと答えた。アヤが喜んで帰る一方で、周吉は何事かに苛まれるようにがっくりと肩を落とす。それには理由があるのだが...。

 紀子の結婚を前に、京都へ最後の父娘旅行に出掛ける。地元の小野寺が相手をするが、そこで紀子は「汚らしい」と言った小野寺の後妻と会う。その人柄に触れて、かつての失言を後悔する紀子。
 東京への帰り支度をしながら、紀子は思い詰めた様に語り始める。「私、このままお父さんといたい。どこへも行きたくないの」。「このままにさせておいて」とまで言う紀子に周吉が、結婚は歴史の順序で、自分達で幸せを創り出すのだと諭した。

 紀子が嫁ぐ日がやって来た。花嫁衣装の紀子が部屋を出る時に、荷物を持ったマサがくるりと回る演出は、小津が特に注意をしたものだそうだ。忘れたものをなにかこう、探す様な不思議な仕種であった。冒頭に挙げた「何も言うことないんだ」は、この時の周吉の台詞である。このドライな感じは小津ならではといえよう。
 式の晩、いつもの料理屋で周吉とアヤが呑んでいる。そこで周吉は、自分の再婚話が紀子を嫁に行かせるための一世一代の嘘だったことを打ち明ける。嘘までついて嫁がせたが、ひとりになるとやはり寂しい。ひとりだけの我が家に帰り、自ら林檎を剥く周吉。しかしその途中でがっくりと肩を落とすのであった。


 それなりに進歩的な考え方をする父と、日本的な父娘関係から離れられないでいる娘、今からは考えられない関係かもしれないが、そういう時代だったのだ。女性の幸福と、「家」からの自立を描いた秀作。原作は広津和郎の小説『父と娘』であった。
 しかし原作にあった父親の再婚話−嘘から出たマコトで、原作では結局父も再婚してしまう−を削り、嫁ぐ娘と残される父親の姿に絞り込んだところに、小津と野田高梧のストイックさが感じられる。



原節子、笠智衆



 ところが主人公2人の言動があまりにストイック過ぎて、逆説的にその裏にある危うい関係、紀子の強烈なエレクトラ・コンプレックス(精神分析用語で、女の子供が無意識のうちに父親に愛情をもつこと)も感じるのだ。そしてその危うさは原節子という神秘的な女優によって創られている。実は「アブナイ映画」なのかもしれないな。

 さて、この「娘の結婚と父の再婚」を現代風にアレンジして、'90年代に小津調を復活させたのが、台湾の新鋭監督、アン・リーである。「父の再婚」が出てくる作品は『推手-プッシング・ハンズ』('90年・香港)と、『恋人たちの食卓』('94・台湾)。特に後者は見事な出来ばえであった。笠智衆的存在のラン・シャンと、小津を知る人ならば「ああ、これは原節子だな」とすぐに判る娘役のウー・チェンリン。のちほど「小津を知る作品」で紹介するので、詳しくはそちらを。

 時代を追って小津が何を描いて来たか、を観るのも面白い。小津自身のものの見方であると同時に、昭和という時代の、ひとつの価値観の変遷でもあるからだ。
 名画といわれる作品だが、コギャル時代の現代の女性に、この父娘関係ははどのように映るのだろうか。









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