99/12/20
第五回
ベストアルバム
1990-1999

Selected by Sadanari Deluxe







− 愛は勝つの年に、終息や台頭 −




heartbeat
ryuichi sakamoto
VJCP-30093 (Virgin Jpan)


■ 天才、坂本龍一最後の名盤? [ HOUSE , TECHNO ]

 「坂本龍一最後の名盤」などと呼んだら顰蹙だろうか。しかし'70年代後半からもう20年以上、その活動のほとんどを追って来たので、これくらいの断言は赦しても欲しい。大ファンゆえの発言、である。

 サカモトのアルバムというのはいつも「特別なモノ」であった。'81年の『左うでの夢』も、'86年の『未来派野郎』も、'89年の『Beauty』も。'84年発表の『音楽図鑑』など私の人生の10枚に入るかもしれない大傑作だと思う。
 それに伴うライヴも、いつも「特別な出来事」であった。長い浪人を経て、大学入学直後の高揚した気持ちで観た『未来派野郎』の「メディア・バーン・ツアー」には熱狂した。学生時代終盤に観た「Beautyツアー」も穏やかながら忘れ難いものであった。
 この「ハートビート・ツアー」のオンプニング、静まり返った場内にピアノの佳曲「Epilogue」が流れ出した時、「これから凄い事が始まる!」という緊張感を強烈に感じた。そしてラストの「Tainai Kaiki」まで、ある時は笑い、ある時は踊り、そしてある時は聴き惚れていた。まれに見る充実したライヴだった。

 しかしこの作品以降(律儀に全てチェックしているが)、アルバムもライヴもあの「特別さ」、魔力の様な輝きが薄れてしまった様にも思う。アルバムも、ライヴも、あまりにも淡々と流れて行くのだ。もちろん音楽的なレヴェルは極めて高いのだが、なんというか...。
 評論家、四方田犬彦氏は近年に於けるサカモトの変化をゴダールを用いて書いた。「坂本龍一の音楽からは確実にゴダールを感じる(しかし最近それは極めて薄くなってしまったけれど)」と。

 サカモトを追い続けていた10数年間のエッセンス−エキゾティシズム、ダンス、ジャズ、クラシック等々が凝縮された名盤。若い音楽ファンの人達は、例の「癒しのピアノ」などで満足せず、是非濃厚なこのアルバムを!これこそがサカモトである。




最後の晩餐
Moonriders
TOCT-6088 (Toshiba)


■ '90年代のムーンライダーズ = '70年代のビーチボーイズ [ ROCK ]

 ムーンライダーズは奇跡的なバンドであった。'76年発表の『火の玉ボーイ』(名義は"鈴木慶一とムーンライダース)以降11枚、アルバムとしての「ハズレ」は皆無、特に'79年の『モダーン・ミュージック』以降はいわゆる「捨て曲」もゼロという信じ難いクオリティを維持していた。そしてバンドとしては実に5年振りとなるこの『最後の晩餐』でもその奇跡を再現、珠玉の名曲を連ねた大傑作を世に出した。但し、このアルバムまでは、である。

 翌'92年、東芝との契約を履行するためにアルバム『A.O.R.』発表。この作品はムーンライーズ史上初めての「駄作」であった。ブライアン・ウイルソン的ヴォーカル・ワークやハウスのテイストを盛り込んだ年末のライヴもイマイチ、不振であった。このころから、ちょっと寂しくなって来たのだ。
 続く『ムーンライダーズの夜』('95年)で若干復調、翌'96年1月に行われた「いかにもライダーズ」という感じのライヴはそれなりに好評だった。またこの年はメジャー・デビュー20周年にもあたり、その記念ライヴでは往年の名曲を過激なアレンジで再現、まだまだパワーのあることを証明した。'95から'96年中盤はがんばっていたな。

 しかしその後の活動には疑問が多い。'96年末発表の『Bizarre Music For You』はライダーズ的エッセンスを多分に含んではいるものの、それが結晶していない不満作。学園祭ノリのライヴにはかつての「孤高のバンド」の面影はなく、観ていて、ツラかった。
 所属レコード会社"ファンハウス"の倒産という不幸にも見舞われ、8社目にあたるキューン・ソニーに移籍、'98年、現時点での最新アルバムである『月面讃歌』を発表するが...斉藤和義や曽我部恵一(サニーデイ・サービス)、根岸孝旨(ドクター・ストレンジ・ラヴ)など実力派の若手とのコラボレーションを図るも生み出されたものは非常に「?」だった。ライヴの「盛り下がり」も酷く、最も盛り上がるハズのアンコール前、本編ラストの曲で「シラ〜」っとしていた。ううむ...。

 なんだか、ビーチボーイズ、みたいだ。'60年代の奇跡の快進撃から一転、『カール・アンド・パッションズ』('72年)や『オランダ』('73年)といった「奇作」の数々を発表、熱心なファンたちを混乱に陥れる...なんとも似通った雰囲気を感じるのは私だけではない筈だ。
 偶然にも前述のサカモトと重なるのだが、'80年代をリードした2組のアーティストは、この年発表のそれぞれのアルバムである「時代性」を終息させてしまった様に思う。なんとも厳しいレビューだが、これこそ本当に書かせて欲しい。元・ムーンライダーズ・ファンクラブ会長としての冷静な発言である。

 しかし、もうそんな'90年代も終わる。2000年代のムーンライダーズに、期待。やがてブライアンの様に蘇るのであろう。それまではミラノ・ハウスとムーンライダーズ・サウンドが完璧に融合したこの名盤を聴いていよう。




女性上位時代
ピチカート・ファイヴ
COCA-7575 (SEVEV GODS)


■ 第三期ピチカート初頭の微熱感 [ ROCK ]

 1、2位の2組が「有終の美」をその2枚で飾ったのと対照的に、小西康陽率いるピチカート・ファイヴはこの『女性上位時代』で頭角を顕し、'90年代の牽引者となった。
 小西がムーンライダーズのリーダー鈴木慶一と犬猿の仲であり、またテイ・トウワの様にサカモトの流れではなく、細野晴臣の線上に位置するというのも興味深い。まぁ、3代目ヴォーカルの野宮真貴は慶一プロデュースでソロデビューののちムーンライダーズ・オフィス所属のポータブル・ロックに在籍、コテコテのムーンライダーズ系なのだが(笑)。

 個人的なことを言うと、ピチカートの全てのアルバムの中で、この『女性上位時代』ほど繰り返し聴いたアルバムはない。「一時期ちょっとハマった」などという生易しいものではなく、'93年に次回作『Bossa Nova 2001』が出ても、この『女性上位時代』を愛聴。ついにはテープが伸びてダメになってしまったほどだ。

 ピチカートの作品にはアルバムごとにちょっとした特徴がある様に思う。この『女性上位時代』は意外かもしれないが、「生活密着型アルバム」なのではないだろうか。
 クールでグルーヴィーなオシャレ・ポップを目指したピチカートが生活密着型?と不思議に思うかもしれないが、例えば「お早う」に見る都市生活の点描、「大人になりましょう」の諧謔精神や、「むづかしい人」「きみになりたい」のミニマムな心理描写など、このアルバムを聴きながらふと自分の日常を考えたりした人は−男女を問わず−少なくはないだろう。

 ハリウッド映画の様に華やかな『Bossa Nova 2001』を好きな人は多いと思うが、私は少々地味なこの『女性上位時代』が大好きである。野宮時代は「第三期」と呼ばれるが、それも微妙に変化している様に思う。シングル「ラヴァーズ・ロック」に始まり、一連の「5X5シリーズ」、そしてこの『女性上位時代』までの初頭の「微熱感」が忘れられない中堅ファンも多いはずだ。




MAIS
MARISA MONTE
CDP7 96104 2 (WORLD PACIFIC)


■ 現在進行形のブラジル、入門の一枚 [ BRASIL , ROCK , CLUB ]

 雑誌「ラティーナ」は'80年代の後半、大学生の頃からチラチラと眺めていた。カエターノ・ヴェローソやミルトン・ナシメントといったブラジルのビッグ・ネイム達の情報を得るためだが、新人・若手アーティストとなるといまいち認識度が低く、手を出せなかった。要するにどれも同じように見えて、セレクションが出来なかったのだ。

 しかし、'91年のある日に見たこのメリーザ・モンチは違った。記事が、写真が、特別に見えたのだ。そして入手、本当に驚いた。
 若さと円熟を兼ね備えた歌声と歌唱、ロックを超える表現力、アート・リンゼイを中心に坂本龍一やジョン・ゾーン、マーク・リボーまでも参加した斬新なコラボレーション。「私が求めていたのはこれだ!」とまで思うほどの完成度であった。

 10年近く経った今でも愛聴盤のひとつ。この一枚からフェルナンダに、カルリーニョス、チンバラータに、そしてレニーニ&スザーノにハマって行った。罪深い(?)アルバムである。




2nd Wind
Todd Rundgren
WPCP-4075 (WEA)


■ 鬼才トッドの最後のバンド活動 [ ROCK ]

 鬼才・トッド・ラングレンは'80年代も意欲的だった。サンプリング&プリグラミング技術でテクノロジー時代のソウルと骨太ロックを模索した意欲作、『アカペラ』('83年)はロック史上に残る名盤のひとつだと思うし、続く『ニアリー・ヒューマン』('89年)はストレートなロックのフォーマットに乗せて、まったくストレートでないヒネクレ・ロックが流れる秀作であった。

 そして明けて'90年代最初のアルバム『2nd Wind』は、なんと「コンサートホール公開一発録りレコーディング」であった。
 '83年の『アカペラ』ではバス・ドラムからベース、キーボードに至るまで全てのサウンドを自らの声のサンプリングで表現、来日ライヴもコンピューターに周囲を囲まれたワンマン・パフォーマンスであった(アメリカではプラス・コーラス・グループというユニークな編成。日本に500枚だけ海賊盤アリ)。
 そうした方向性に走っていたトッドが、実に60人以上のスタジオ・ミュージシャンを起用した『ニアリー・ヒューマン』というプロセスを経て、究極のバンド・サウンドに挑戦したのがこのアルバムだったわけだ。当然の如く、プレイヤーのレヴェルは高く、聴きごたえのある名盤である。30年に及ぶトッドのキャリアの中で、「ユニークな試み」として記録されるべきのだが...ここまでだったのかな?

 この次にトッドは、"TR-T"なる名前に「改名」(?)、インタラクティヴ方式のCD-ROMを出したり、またしても機械に囲まれてライヴを行ったりした。'93年に行われた盆踊りの櫓の上に乗った様な珍妙なシンセ・ライヴは一応観に行って、おまけに「マシンの故障」とやらで当日延期決定(会場に行ったら「XX日後にもう一回来てくれ」)なる目にも遭ったりしたけれど、なんというか、この『2nd Wind』を最後に「あっちの方」に行ってしまった感じがあるな。

 そして遂には南の島に移住し、「インターネットだけで新譜を発表する」などと仰る人になりにけり。'98年のトリビュート・ライヴにも行ったけれど、一番良かったのは鈴木慶一が演った「Sons of 1984」。トッド本人のピアノ弾き語りは会場もイマイチ、盛り上がらなかった様な気がするのだが...。





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