99/12/20
第五回
ベストアルバム
1990-1999

Selected by Sadanari Deluxe







− おどるポンポコリンな年に、ラテンやストリート・ジャズが始動−




スカパラ登場
Tokyo Ska Paradise Orchestra
ESCB1052 (EPIC/SONY)


■ オリーブ少女に管楽器を持たせた1枚 [ SKA, ROCK ]


 いきなり、スカパラである。彼らの存在は'80年代の終わり、私がまだ大学生だった頃から知っていた。しかし、今となっては申し訳なさまで感じるのだが、キワモノ・バンドかと思い当初はあまり接近しようとは思わなかったのだ。
 いずれゆっくり書くが、スカには時間を経て3つの流れがある。'50〜'60年代のオリジナル・スカ、'80年代初頭の2−TONEスカ、そして'90年代のネオ・スカである。そのネオ・スカの雄はギャズ・メイオール率いるイギリスの"スカ・トロージャンズ"と、そのイギリスで人気を博したオーセンティック・スタイルのジャパニーズ・バンド"スカ・フレイムス"の2つ、とされていた様に記憶する。そんなわけで私もこの両者ばかりをチェックしていた。失敗であった。
 ある日のこと、「まぁ、スカパラとやらも聴いてみるか」とふと手にしたこの1枚で完全にブッ飛んだ。その後の狂い方は極めて激しく、1週間に2回ライヴを観たりしたよ(笑)。

 それにしても'90年代の音楽界に彼らが果たした役割というのは計り知れないものがある。ロック・ファンにスカやジャズを浸透させ、オリーブ少女に管楽器を持たせ、高橋幸宏、佐野元春から小沢健二、真心ブラザーズに至る様々なアーティストのサウンドを重厚にし...。なによりも、「ロッカーは態度悪くてルーズに演奏スルモノ」みたいな'80年代末のけだるい音楽界に折目正しいスーツ姿で颯爽と登場、真剣に楽器をプレイすることがいかにカッコイイかを教えてくれたことが最高に重要だ。同じホーン・プレイヤーとしてウレシくて涙が出る。特にtb北原、tpナーゴの金管コンビ(東京学芸大先輩後輩コンビでもある)のライヴ・パフォーマンスは本当に最高であった。

 ストリートやクラブ感覚、ジャズ、ソウル、ラテン、インスト、レトロ歌謡等、ある意味'90年代の流れを決めた1枚とも言えるのでは。翌'91年の『ワールド・フェーマス』以降はちょっとスタジオ・ライクなサウンドになってしまったかな。個人的にはストリート時代の魅力を詰め込んだザラっとした感触のこのアルバムがベストだ。

 しかし、'99年の今日、中ジャケのメンバー写真を見てみると...脱退者2名、転職者1名、死者2名、幸い「逮捕者」は出ていないが、色々あったなぁ...。しかしそれでも依然最前線で活動を続けているのがスカパラならではの底力だろう。




COMPOSTELA
篠田昌巳(as,ss,brs)
puf-1 (puff up)


■ 拝啓 篠田昌巳様 [JAZZ , WORLD ]

 拝啓、篠田昌巳様。天国はどんな処ですか?そちらでの音楽活動は順調ですか?

 この文章を書くために久し振りにアルバム『コンポステラ』を聴き、私は震えてしまいました。貴方の創り出すサウンドが、世界が、その後10年間のジャズ・シーンを先取りし、そう、すべてが貴方の考えていた通りになったからです。

 つい先日、ユーゴスラビアの鬼才、エミール・クストリッツァ監督の新作『黒猫・白猫』を観ました。とても素晴らしい作品でズバリ'99年のベスト1という感じなのですが、劇中歌が貴方の最も得意としたジプシー音楽でした。クストリッツァ監督は'95年に前作『アンダーグラウンド』でカンヌのグランプリを獲ったのですが、あの作品にもバルカン・ブラスが溢れていました。あの映画でシプシー音楽を知った若者も多いと思います。
 梅津和時選手(as)や巻上公一(vo)などの活躍もあり、ジプシー、クレッツマー系のサウンドはそれなりに注目を集めてもいます。そんな中に元祖ともいうべき貴方がいないというのは本当に残念なことです。

 そうそう、アメリカでは'97年にクラリネットのドン・バイロンがクラシカル・ジャズを中心に『BUG MUSIC』というユニークな作品を発表しました。どことなくフランス風な不思議なサウンドでしたが、これも貴方が得意としたものでしたね。
 貴方も参加していた"渋さ知らズ"も妖しい快進撃を続け、スラブ風のへんてこな曲を演奏し続けていますよ。今は片山広明さん(ts)がトップ・テナーになっています。つい先日、'99年10月の横濱ジャズ・プロムナードでも嵐の様なライヴを繰り広げていました。
 まだあります。このアルバム収録の「我方他方」から、私はアシッド・ジャズ、クラブ・ジャズ的なエッセンスまでも感じてしまいました。まだそうしたムーヴメントが起こる以前の録音にもかかわらず、です。ともかく、全て、貴方が演っていたことばかりです。貴方は凄い人でした。

 私がそちらへ伺うのはまだ暫くあとになりそうです。でも"その時"には愛用のバリトン・サックスを持って行きます。一緒に演っていただけますか?そもそもこのバリトンも貴方の"旅立ち"と関係があるのです。
 '92年末のある日、千葉の独身寮に住む私に音楽仲間が電話をくれて、そこで一言、「篠田さんが、死んだ」と聞きました。私は動転して声を荒らげた記憶があります。「そんなことがあっていいのか?篠田さんのかわりは誰もいないんだぞ!」と。
 私は何がなんだか判らない様な悲しさと怒りに襲われて、その数日後に衝動的にバリトンを購入していました。アルトからバリトンへの転向は、これがきっかけでした。7年前の冬の頃、そんなことがあったのです。

 このたび'90年代のアルバムに順位などを付けることになり、貴方の代表作『コンポステラ』を'90年の第二位とさせていただきました。第一位は『スカパラ登場』ですが、この2枚は実質的には同率一位です。
 そういえばスカパラのドラマー、青木達之選手もごく最近そちらへ行きましたね。いかがですか?彼のドラムは?篠田さん好みのユニークな裏ノリを出しますよ。

 本当に、今すぐには拝聴出来ないのが残念です。ではいずれ、また。




WORLD CLIQUE
DEEE-LITE
WPCP-3713 (WARNER PIONEER)


■ 今や懐かしき'90年代のレア・グルーヴ? [ HOUSE , TECHNO ]

 1位のスカパラが'90年代の流れを決め、10年経った今でもそのサウンドが確実に浸透、定着しているとすると、この『ワールド・クリーク』はぱったりと途絶えてしまったサウンドの様な気がして実に残念。キモチイイのになぁ...。
 坂本龍一のDJ番組『サウンド・ストリート』の名物企画「デモテープ特集」に彗星の如く現れた横浜の美大生、テイ・トウワ青年がオモウトコロあって渡米、超弩級ダンス・ユニットとして再登場したのがこの"ディー・ライト"であった。いや、このアルバムにはハマった。

 全編に流れるユル〜いテクノが極楽の如きグルーヴを醸し出しているのだが、テクノはこのあと変化に次ぐ変化。ハードコアになったり、ブリープになったり、レイブになったり、ゴアになったりで、このアルバムの様な「まったり感」にはここ最近出会っていない。まぁ、ステレオ・ラブあたりが近いかなぁ...。
 大きく揺れるリズムに乗せて奏でられる古典的ハウス・サウンドには、'70'sソウルのビートもアリ。更に時にはYMOのサンプリングなども飛び出す。'90年代のレア・グルーヴ(?)、ディー・ライトのまったりテクノを未体験のヤングは是非!今のクラブ少年少女が小学生の頃のダンス・ミュージックである。




THEY MIGHT BE GIANTS
THEY MIGHT BE GIANTS
WPCP-4043 (WEA MUSIC)


■ 新しくて懐かしいアメリカのイギリス [ ROCK ]

 '80年代はそれなりに意味のあった「ビルボード・チャート」も'90年代に入るとなーんとなくズレて来て、代わりに気になり始めたのがカレッヂ・チャートだった。
 全米の大学生達が本当に自分の感性に合うものを支持するカレッヂ・チャートで絶大な人気を誇っていたのが彼ら、ゼイ・マイト・ビー・ジャイアンツである。

 しかし不思議なことにそのサウンドはグランジ風でもオルタナ風でもなく、なんとも、'80年代ブリティッシュ・ニューウェイヴ風なのであった。「10ccの再来」なんて言われ方もしていたな。確かに10cc〜ゴドレー&クレームっぽいところもあったけれど、私はむしろCUREやエコー&ザ・バニーメンあたりのブリティッシュ・サウンドを強く感じた。アメリカの若いデュオで、アクセント的には強烈すぎる米語なんだけどね。

 ヴィデオも非常に気に入って買ってしまい、なんと'92年の来日ライヴにも行ってしまった(笑)。ワタシ、ハマリマシタ。アルバムを通り越して、バンド自体にハマってしまったのだ。今でも大好きです。胸がキューンとする様な、切ないロックが最高である。




DE LA LUZ
ORQUESTA DE LA LUZ
BVCR-9 (BMG VICTOR)


■ この一枚からサルサ、ラテンの波が [ SALSA , LATAIN ]

 サンディの『MERCY』が来ると思った方も多いかもしれないが(笑)、最後はデ・ラ・ルスである。このオルケスタ・デ・ラ・ルスとサダナリは妙に符合するところがあるのだ。

 まずは大学時代、「毎月最終金曜日の原宿クロコダイル」にしばしば通っていた。オルケスタ・デ・ル・ソル・ナイトである。デ・ラ・ルスの兄貴分にあたるデ・ル・ソルだが、私が通っていた頃のフロントはNORA(vo)&大儀見元(vo,perc)のツートップだった。そして大学4年の3月末、正確には'90年の3月30日金曜日のライヴを最後に2人はデ・ル・ソルを"卒業"、自らのバンド、デ・ラ・ルスでの活動に専念した。実はこのステージが私にとっても"卒業ライヴ"で、学生時代に観た最後のライヴなのだ。
 明けて4月2日月曜日、デ・ラ・ルスは渋谷クラブ・クアトロで本格デビュー・ライヴを行い、私は入社式のため丸の内に初出勤した。

 その後のデ・ラ・ルスの活躍は御存知の通り。アメリカ・ツアーが話題を呼び、ビルボード・ラテン・チャートで堂々の1位。サダナリの活躍は...千葉や八戸の工場でボロ雑巾の様に働いていました(笑)。
 知る人ぞ知る存在だった「サルサ」をお茶の間に教え、"オバタラ"や"熱帯JAZZ楽団"に至るラテン・ジャズの流れまでも作ってしまった彼らのアルバムをこの年の5位にしたい。
 今となっては信じ難い話だが、「サルサの国内盤が近所のレコード屋で簡単に買える」ということが、当時は大事件だったのだ。「中南米音楽」あたりの通販で苦労して買っていたもんなぁ...。そんな時代の、貴重な1枚である。





・礼宮さん紀子さん結婚の儀、紀子さんのお父さんのモミアゲ削除は残念
・統一ドイツ誕生、あんなにアコガレた社会主義やら共産主義とはナンダッタ?
・サダナリ大学卒業、某電線メーカー入社
・千葉工場勤務で始めて実家出る、超多忙でボロ雑巾と化す(24〜25歳)





Go To Album






'90's INDEX ・ 1991 ・ MENU ・ HOME