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98/04/29 第五回 入魂企画 はじめてのJAZZ 世界一わかりやすいジャズ入門 新入生歓迎企画 トーキョー・ジャズ・スポット Vol.1 |
■ ジャズ喫茶は死んだか? 日本だけのものだそうです。壁一面にレコードがあり、巨大な音量でジャズがかかり、そして「お喋りはご遠慮下さい」。苦いコーヒーをすすりながら、目をつぶって、首を振って...なるほど仏教的、求道的なものを感じますな(笑)。 歴史的なハナシとしてはジャズ・メンの来日もなく、輸入レコードが貴重だった戦前に「モダン・ジャズの聴ける店」をウリにしていたカフェーがそのルーツのようです。日本のジャズというとすぐ「戦後、進駐軍」という言葉が登場しますが、ジャズ喫茶の歴史はそれ以上に古く、故・殿山泰司氏のエッセイを読むと昭和12、13年にデッカやブランスティックのレコードをかける喫茶店が四谷新道、今のしんみち通りに存在していたようです。有名な横浜・ちぐさのオヤジさんが店を構えたのもこのころじゃなかったかな。 ジャズ喫茶の黄金期というとなんといっても'60年代から'70年代初頭であったといわれます。村上龍、村上春樹(もっとも彼は経営者でもあったが)、中上健次などなど「政治の季節」に青春を送った数多くのの人々がジャズ喫茶の思い出を語っています。 どうして過去形で語られるようになってしまったのかな...。いくつかの理由が考えられますね。まずはジャズと時代のアンマッチ。'70年前夜、催涙ガスに煙る渋谷駅が閉鎖され、新宿駅前では路石が宙を舞っていたころ(今の大学生は想像がつかないだろうが、つい30年前の日本はそういう国だったのだ)、そんな街の雰囲気にジャズ喫茶の巨大なスピーカーから流れるアルバート・アイラー(as)や、アーチー・シェップ(ts)、そして過激にフリー化したジョン・コルトレーン(ts,ss)の爆音が見事なくらいハマっていた...らしい。文献で読んだだけです。いくらサダナリでも幼稚園時代からジャズ喫茶には出入りしてません(笑)。 しかしそんな季節も終焉、どういう結果に終わったのか未だによくわからんが、ともかくオシマイ。「そういう雰囲気」ではなくなってしまったんだな。'70年代に入ると、なんか、シラケてきた。街も、若者も、音楽もシラケてきた。ジャズや、ジャズ喫茶のモーレツさがマッチしなくなって来たんだな。若者はアーバンでファッショナブルでクリスタルなロックにシフトしちまったし。これが理由その1。もっともこれはジャズ喫茶に限らず、ジャズ全体の問題点でもあるんだけど。 理由その2。音楽ビジネスの変化。続く'70年代の中盤から後半にかけて、レコードの流通形態が変わって来ます。いわゆるメガ・ショップ的な輸入レコード店の日本上陸で、輸入盤が手軽に、しかも安価に購入出来るようになってきたんだ。もう20位年前になるか、開店直後の渋谷・タワーレコードに行った私は、夢のような場所だと腰を抜かさんばかりに驚きましたよ。わざわざジャズ喫茶に行かなくても、家で、廉価盤なるもので聴けてしまうようになったのだ。それに今時の大学生ならばミニ・コンポくらい持っているしね。昔のヤングはホラ、「ポータブル・プレーヤー」っていうフタと把手の付いた電池でも動くアレ(スピッツやピチカート・ファイヴのCDジャケットで最近リヴァイバルしたヤツ)が主流だったから。僕も小さいころはあれでドーナツ盤を聴いていましたよ、「黒猫のタンゴ」とかね。 さらには大物ミュジーシャンの来日が頻繁に、しかもコマーシャルなものになったという理由も若干関係があるかもしれない。これは広告代理店やマスコミがライヴを「イヴェント」として扱い始めたからでしょう。殆どが「冠コンサート」となって派手に宣伝されて...。昔は「神原音楽事務所」ばっかりだったのに(笑)。喫茶店なんかで窮屈な思いしながら聴くよりも、ジョギパンにスニーカーで横浜スタジアムで、というのが'70年代後半のスタイルかな。 しかしそれでもまだまだ頑張っていたんです。ところがまさに息の根を止めた理由その3が'80年代初頭のバブル景気。信じられないような地価高騰の影響から、ショバ代が払えず廃業したジャズ喫茶数知れず。地上げによって跡形もなく消えたところもあった。色々書いたけど、この時代が一番の試練だったのではないでしょうか。ジャズ喫茶に限らず、客単価の安い喫茶店業界全体が窮地に追いやられ、なかでもレコード代、オーディオ装置など特別な出費を伴うジャズ喫茶は絶体絶命の危機だったようです。 なんとなく映画館の衰退と似ていますね。昔はどんな街にもひとつふたつの映画館があり、週末ともなれば入りきれないくらいの人で溢れていたのに...。ジャズ喫茶もしかり。私が育った神奈川県の逗子・鎌倉付近にもありましたよ。鎌倉駅前、小町通りの入口に看板が出ててね、高校くらいでも怖くて入れなかった(笑)。「大人になったら入るぞ」と心に決めていたのだが、大人になったら潰れていた(苦笑)。時代の空気や、産業構造の変化、娯楽の変移などが影響しているのでしょう。なんとも残念ではあります。 ■ どっこい生きてるジャズ喫茶 とまぁ、「古き良き時代の思い出」としてのジャズ喫茶についての文章を沢山読みました。何回かTVで観たこともあります。そして街に出てみると...確かに数は減ったけど、まだまだ健在、がんばっているじゃないか!まったくマスコミってヤツはなんでも「ノスタルジー」にしたがるからな。現在進行形、'90年代のトーキョーでジャズ喫茶を楽しんでみよう!という特集であります。 さすがに多様化の時代ゆえ、ひとことに「ジャズ喫茶」といってもその営業形態は様々なようです。タイプによって随分違いがあるので...例によってちょっと表でご説明。 |
音量 | おしゃべり | 営業時間 | アルコール | 生演奏 | 備考 | ||
1 | 純粋ジャズ喫茶 | 巨大 | 可、不可両方 | 昼のみもアリ | ナシ | ナシ | 貴重品 |
2 | ジャズのかかる喫茶店 | 小さい | 可 | 昼のみもアリ | アリ | ナシ | 貴方の街にも |
3 | ジャズ・バー | 中くらい | 可 | 夜のみ | アリ | アリ | 最近の主流 |
4 | ジャズのかかるバー | 小さい | 可 | 夜のみ | アリ | ナシ | スカシてやがる |
5 | ジャズ喫茶兼ジャズ・クラブ | 色々 | 可 | 一日中 | アリ | アリ | 数多し |
実際のところはこの5つが入り交じっていますが、まぁ、乱暴に分類すればこんなところでしょう。「数が減った」と行っているのはなんといっても1、ニッポン・ジャズの座禅寺ともいうべき純粋ジャズ喫茶は残念ながら減少傾向にあります。 意外な穴場が2、これは要するにマスターがジャズ・ファンで自分の趣味が店を浸食しているということだ(笑)。あらためて見ると結構あちこちにあったりする。そして夜はスナックになったりして、常連がクダ巻いてたりする。まぁかつては私も品川区大井町の某所でそのひとりだったんですが(笑)。 3と4は「ジャズ」と「バー」の比率によって決まる。吉祥寺の某所はジャズの比率高し、客層もジャズ・ファン主体でBGMも良く聴こえる。それに対し渋谷の某所は単なるバー。ジャズなんかどうでもいいというスカシた客がワイワイと騒ぎ、何がかかっているのか分からない。ここは「ジャズを聴きに行く場所」ではないな。そして両店に共通しているのがモーレツに値段が高いことだ。私も投資に見合うだけの「重要な目的」のある時しか行かない。 5は歴史の長い店によくある形態。普段はジャズ喫茶なのだが、月に数回週末などにライヴもやるよというところ。店もちょっと広めで、私は好きですね。東京、横浜のほか、大阪、富山、福岡などで発見しました。 そろそろ行きたくなって来たでしょう(笑)。しかしその前に、ジャズ喫茶に関するいくつかのキーワードを説明しておきましょう。これさえしっかり理解すれば、ジャズ喫茶はコワクない! おしゃべり禁止−有名ですな。「店内で喋ったら『ご遠慮下さい』という紙を持った店員が飛んで来た」「壁に『喋るな』と張り紙してある」等々、本当ですかと言われると...場所と状況によっては本当です。さすがに張り紙は見た事ないけど(笑)。表中1の店では今でもたまにあります。巨大なスピーカーから、巨大な音量でジャズが流れているので「喋れない」というのがまず現実的な理由(笑)。あと、場所によっては目をつぶって頷きながら聴いているオジサンなどがいるので、なんとも憚(はばか)られますね。ともかく店内の雰囲気を察知して、臨機応変に対応して下さい。但し最近、2以降の「喋れるジャズ喫茶」も登場、友達と話しをしたい場合はお店を選びましょう(店内でコーナーをわけているところもある)。 古雑誌−どこに行っても山積みになっているのがタバコの煙でたっぷりと煤けた「スウィング・ジャーナル」「ジャズ・ライフ」「ジャズ批評」のバックナンバー。どこでも「ご自由にお読み下さい」です。場末のラーメン屋に油でベゴベゴになった「アサヒ芸能」や「週刊大衆」「漫画ゴラク」が置いてあるようなものだ。しかしいいよね、これ。高級オーディオでジャズは聴き放題、ジャズ雑誌読み放題、代金はコーヒー一杯程度。やはりジャズ喫茶はジャズ・ファンの桃源郷か?実はマンガの充実したところも多い。 レコード・リスト−「リクエスト・ノート」という独特の呼び方もある。これが置いてあって、しかも「どうぞ」と勧められるようなところは本当に貴重品。天然記念物級の純粋ジャズ喫茶といえる。しかし、これはビビるぞ。そもそもジャズ喫茶のマスターなんてサラリーマン社会に反旗を翻してジャズ喫茶なんか始めちまったヒネクレものなんだから、素人っぽいもの、マスターの趣味に合わないものなんか頼んだ日には...。しばらくの間は「おまかせします」が賢いか。実際、マスターに任せると意外な名盤に出会ったりして発見も多いのだ...なんか、ワイン・バーに於けるソムリエに似てるね。 ちなみにリクエストでかけられるのは原則的にA面のアタマから最後まで、B面はかからない。聴きたい曲がB面に入っている場合は「...のB面」と頼むこと。 コヒー一杯2時間まで−伝票のウラにそう書いてあるところもある。ジャズ・ファンなんて友人も少なく、ビンボーでやることもないので、放っておくと一杯で開店から閉店まで居すわられてしまうからだ。経営者の立場で見ればこれは当然のことですね。書いていないところでも常識的な時間で帰るか、あるいは追加オーダーしましょう。そのあたりは大人の判断で...なに?大人の判断ができりゃジャズなんか聴いてない? ■ 「マイ・ジャズ喫茶」ノススメ さて次のページで数件ご紹介しますが、本当はねぇ...。「マイ・ジャズ喫茶」を持ってもらいたいと思います。あちこちにちょこちょこ行くよりも、一軒に長く通ってみるのがいいと思いますね。有名店信仰もどうかな? ちょっと「遅れて来た」感のある昭和40年生まれの私も、実はしっかり「ジャズ喫茶出身」です。但し有名なところではなかった。以前住んでいた品川区大井町の小さなジャズ喫茶兼スナックのようなところです。なんといっても家から走って30秒、毎日はおろか一晩に2回行った事もあります(笑)。レコードはアナログ盤が2000枚くらいだったかな。ジャズ喫茶としては決して多くはないけれど、ビッグバンド期のジャズと映画にめちゃくちゃ詳しいマスターにもう「手取り足取り」という感じで教えてもらいました。それまでは'60年代のモダンばかり聴いていたので、あそこで聴くジャズはどれも新鮮で、本当に勉強させてもらったな。 そんなある日、マスター夫婦がカウンターの中で「ほら、あれを、サダナリさんに...」となにやらゴソゴソと話をしている。なんだろうと思うと店のジャズ雑誌を全部引き取って欲しいというのだ。そりゃうれしいけど、店はどうするの?「実は立ち退きで、閉めちゃうんだ」...。ショックでした、どうすりゃいいんだと思っいました。なにしろほぼ毎晩、そこで晩飯を食べていたわけだから、生活の一部になっていたんです。しかし、立ち退きでは仕方がない...。 この「サダ・デラ」の記事の多くが、実はその時に譲り受けた貴重なバック・ナンバーを参考に書かれています。いや、あの財産がなければこのページは立ち上げられなかったかもしれない。その意味でも、まさに「学校」「出身校」のようなところでしたね。 吉祥寺あたりの有名店で、こんな経験が出来るかというとちょっと疑問ですね。確かに由緒ある名店かもしれませんが、なんとも聖地、観光地化されて、学びとるものがあるようなないような...。それよりも長く付き合える、地元の店ですよ!「東京じゃあるまいしそんな店ないよ」...そうでしょうか。有名店はなくても、こじんまりとした「ジャズのかかる喫茶店」があると思います。最初のページで書いた通り、私は札幌、八戸、仙台、郡山、富山、広島、福岡でそうしたところを訪ねました。「そういえば、なにか独特の雰囲気の店があるなぁ」などと思い当たるところはないでしょうか。 常連が威張ってそうでコワイ、と良くいわれますが、意外にもどこのジャズ喫茶も「新人さん」の登場を歓迎します。また「マスターなんてヒネクレもの」とも書きましたが、丁寧に尋ねれば色々と教えてくれる人もいます。こわがらずに、まずは地元から!全国のジャズ喫茶検索法については最後にお教えします。 ただしね、あまりに一店に深入りしすぎてデカいツラの「常連」になるのもどうかと思うよ。常連同士で草野球チームを作ったり、マスターに人生相談を持ちかけたり、どんどんジャズからかけ離れてしまう人がいるのだ。これじゃフツーのスナックと変わらん。ウエイトレスの女の子に一目惚れしてストーカーになったりしたらもう人生オシマイって感じだ。 |
とりあえず新宿と渋谷
入りやすそうな数店をご紹介します
がんばってますよ
レレレのレ
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