インターネットロックページ共同執筆 新譜/名盤クロスレヴュー
月刊 ロック・クルセイダーズ No.013 Dec.'99
1999/12/20 Updated







今月は一年を振り返って...

Revew 1998-1999




2000年に向けて

 2000年問題が一体どのレベルで起こるのか、人それぞれ自分なりの対策をとっている(何もしない人もいるだろう)いつもよりひと味違う師走の忙しさの中、ひとつの悲報が僕の耳に届いた。

 「12月10日、ザ・バンドのベーシストであるリック・ダンコが死去」

 この悲報はネット上をまたたくまにかけめぐり、多くの音楽ファンが悲しみにくれた。時を同じくして日本公演の行われていたリトル・フィートのコンサートではリックの写真が飾られたという。
 晩年の彼は太ってしまったこともあるだろうが、なんとなく緊張感に欠けるみたいなところがあってそんなに好感を持っているわけじゃなかったけど、それでもザ・バンドのベーシストは彼以外に考えられないし、リチャード&リック&リヴォンという強烈なヴォーカリスト3人のうち2人を失ってしまったのだ。たとえリヴォンやガースが「それでもザ・バンドを続けていく」と言ったところで、また奇跡的にロビーとリヴォンが和解してロビーがバンドに戻ってきたとしても、もう僕らの知っているザ・バンドの音にはならないのだ。

 もちろん誰しも死を迎える時はやってくる。ジョニー・ギター・ワトソンが亡くなった時だって僕は名古屋公演を見に行かなかったことを後悔したし、ニューオリンズでジャズ・フェストを見た時だって複数のアーティストの出演時間が重なっていた時に誰を見に行くかといったら(当人には失礼だけど)「今度来る時には見れないかも知れないアーティスト」を見に行っていた。しかし、1999年の終わりに「ザ・バンド」のメンバーが亡くなったということが僕にとってはとても象徴的なことに思えてしようがない。

 リックの死をきっかけに久々に自分のレコード棚の中からザ・バンドのアルバムを取り出して、彼等の音楽に浸りながら自分のザ・バンドにまつわるあれこれを思い出した人はきっと多いはずだ。そして改めて僕らがその音楽にたくさんの"何か"を与えてくれたことを思いおこすに違いない。もし、あなたにとってあの時もらった"何か" が、忘れかけていた大切なものだとしたら、もう一度それを持って2000年に行くのも悪くないんじゃないだろうか。

 つい先日、愛妻リンダを亡くしたポール・マッカートニーが、リバプールの200人程度のクラブでライブを行った。彼は2000年へと向かう前にビートルズとして初めて演奏したステージにもう一度立つことで、自分のこれまでを振り返り次の時代に自分が何を持っていくべきなのか再確認したのだろう。
 彼に習ってというわけではないけれど、リックの死は僕にとって「2000年へと持っていくロック」のセレクトを考えてみるきっかけとなった。これはこれからもこの「ロック・クルセイダーズ」を続けていく上で、ひとつのキーポイントになりそうな気がした。

 ...とここまで書いてきたけど、きっと「ザ・バンド」の音楽をまだ聴いたことがない人もいると思うので、ここで少し解説を。
 ロックン・ロールだけでなくカントリーやゴスペル、リズム&ブルースなどアメリカの伝統音楽を取り入れながら再構築することに長けていた「ザ・バンド」は、60年代末から70年代にかけて音楽ファンはもとより多くのミュージシャンに多大なる影響を与えており、ロックの歴史において欠かすことのできないバンドである。
 リチャード&リック&リヴォンという3人の強力なリードヴォーカリストに加え、天才的なひらめきを持ったガース、そしてその個性的な連中を見事にまとめあげたプロデューサー的資質に長けたギタリスト、ロビーの5人が作り出したサウンドは、唯一無比の存在として今なお、多くのファンを魅了している。かのエリック・クラプトンは「彼らのバンドに入りたかった」と公言したほどであることも付け加えておこう。

岩井喜昭 from " Music! Music! Music! "



偏屈ロックの2000年問題

 今年は不作だった。という声をしばしば耳にするが、そういう輩は去年もおととしも同じことを言っているので無視してよろしい。や、今年はなかなか豊作だったと思うんですよ。というおはなしをチョロチョロっと書きます。とはいえ、実は今年買ったレコードを聴く時間がなくてうず高く積み上げたまんま、こんなことで今年を語れたもんかどうか...。

 美術の世界が良くも悪くもイズムやエコールを失ったのは戦後のことか、ロックは70年代末にパンクという初めての「反芸術運動」を経てから世界規模でのムーブメントがない。大衆音楽界で絶対のカリスマだったロックは、数多の選択肢のひとつになってしまった。それもかなり卑屈な場所で。必ずしも先端ではなくなってしまったロックにとって、90年代はおさらいの10年だったと思う。
 まずは、ほんとにそんなムーブメントがあったのか知らないが、日本に伝えられた時にはセカンドサマーオブラヴという名前になっていた60年代の空気。そして70年代のアーシーな感触。好事家たちの50年代再評価や、レコード会社先導の80年代ブームもあったような気がするが、やっぱり広く好まれたのは60年代〜70年代の音楽だった。そして今年1999年は、おさらいの中で取りこぼした音楽に光をあてて、安心して2000年を迎えるための1年だったように思える。

 まず最初のトピックは、長年リリースが途絶えていた大物たちが、ブランクを感じさせない傑作を次々と発表したこと。このページでも取り上げたランディ・ニューマンは13年振り、トム・ウェイツは7年振りのアルバムリリースだった。ほかにも7年振りのXTC、11年振りのCSNY、年末にきてクラフトワーク13年振りの新作まで登場するありさま。全部聴いたわけではないけど、これらの作品について否定的な意見をほとんど聴かない。まだ枯れてない、一緒に2000年に連れてってくれと言わんばかりの気合いだった。
 そんな中でもピカイチだったのは、ポール・マッカートニーの「RUN DEVIL RUN」だ。一時期の低迷から抜け出して、ぬるま湯加減の佳作が続いていた最近のポール、御隠居どもの復帰作と一緒にしないでくれと言われそうだが、このアルバムは「元ビートルズのポール」ではなく、「一介のロックンロールキッズ」としてのポールが40年振りにリリースした素顔なのだ。ポールは今までにもライブやアルバム「CHOBA B CCCP」で50年代テイストを振りまいていたが、そこはまあベテランの余裕っていうんですか、昔はこんなこともやってました的なスタンス。マニアをにんまりさせるには充分なクオリティだったかも知れないけど、ロックンロールを知らない少年少女を驚かせる内容ではなかった。
 60年代以降の悩めるロックや知的な音の遊戯を、僕はなんの抵抗もなく楽しむことができる。しかし50年代の音楽にまで遡ってしまうと、ヒラヒラをつけた大味な男のくぐもったシャウトや、こってりした3連バラードを思い浮かべてしまう。それは、お父さんの娯楽だ。でもそんな誤解は、たかが音質によるものだったのかも知れない。50年代の楽曲を50年代のやり方で演奏したというこのアルバム、いま聴いてもめちゃめちゃ燃える。いきなりこんな音楽を聴かされた当時の少年少女のはしゃぎっぷりが目に浮かぶようだ。ロックという現象が初めて世界に与えたインパクトは、このアルバムに寄生することで2000年に語り継がれることになった。

 もうひとつのトピックは、ニューウェーヴの復権だ。YMOのツアータイトルに「2000-20」なんてのがありましたね。新世紀がなんとなく視野に入ってきた頃の、嬉し恥ずかしい綿菓子みたいな「未来」のイメージ。そんな美意識をテクノやラウンジに譲って、最近のロックは生のグルーヴにこだわり続けてきた。ニューウェーヴやネオアコは触れちゃいけない過去だった。
 ところが、夢の2000年もやがて過去になることがなんとなく実感できるようになった今、あの頃のテイストが違う形でニョキニョキと蘇ってきた。早い話が今年はフレーミング・リップスの年だったのだ、僕には。リップスの音楽には、あの頃のニューウェーヴが持っていた刃のような痛みはない。停滞を経てほどよく疲れたニューウェーヴの末裔たちは、これからだるい目をこすって過ぎゆく2000年を裏側から眺めることになる。フレーミング・リップスがみせた鈍器の痛みへの微かな抵抗は、おさらいの10年が取りこぼしてしまった「80年代」の蘇生法、無邪気なだけじゃない夢の見方を提示してくれたように思う。
 まあでも、後の世の音楽史家が、21世紀初頭のロックのパイオニアとしてフレーミング・リップスを挙げることはないだろうなあ。たぶんベックの「Midnite Vultures」あたり。20世紀のアメリカの大衆音楽を、知識ではなくユーモアのレベルで融合した怪作だった。客観的にみればベック、個人的にはポールとリップス、この3枚が僕にとっての今年の気分だ。

 さて、1999年も暮れ、にわかには信じ難いことだがあと十数日で西暦2000年がやってくる。テレビをつければ世紀末だの今世紀最後だの、おいおいちょっとまて、20世紀は来年まで続くのだ。これまたにわかには信じ難いことだが、今年で20世紀が終わると思っている人がけっこういる。あなたは大丈夫ですか。なんでミレニウムは0年でリセットされるのにセンチュリーは1年でリセットされるのか。なんで0時0分0秒があるのに0月0日がないのか。考えればきりがないが、そうだっていうんだからそうなのだろう。
 西洋の歴史を紐解けば、非常に大雑把に見て世紀末に好まれるのは退廃的な表現、新世紀に好まれるのは希望に満ちた表現である。半世紀を生き延びたロックは、このたび初めて大きな暦の境をまたぐこととなった。いくら負け犬根性をひけらかしたって、ダメ人間美学を振りかざしたって、目を覚ました世界は浮かれちゃうかも知れないんだぜ。ミレニウムのはじまりでありセンチュリーの終わりである来年を、ロックスピリットはどう乗り越えるんだろうかと。

山下元裕 from " POYOPOYO RECORD "



うたのもんだい1999

 まるで実験の様だった。年齢も、職業も、住まいも違う−そして直接会った事も、電話で話した事すらない−三人が、きちんと毎月レヴューを発表するなんて...。

 さて、その「実験」の中間報告は...うむ、過去のレヴューを読み返すとなんだか私は「歌にこだわるオヤヂ」の様だな(苦笑)。4月のニューラディカルズの時に、「この声、この歌、辛かった」と酷評。ファンの方から見事に抗議のメールを頂いた。10月のフレイミング・リップスの時にも同じような事を書いた。今度はメールは来なかったけどね(笑)。しかし、やはり、この時代、私は「歌」が気になるのだ。
 今回は年末特別企画「'98〜'99年を振り返って」なのだが、えい!思い切って、SPEEDとUA、そして宇多田ヒカルについて書く。SPEEDの解散はメイン・ヴォーカルである島袋寛子ちゃんの「トロピカル・ラブ」の結果なのかもしれないが、同時にある時代も象徴している様に思う。「ハイノート時代の終焉」である。ミレニアム・ブームの昨今ではあるが、私はもっと現実的に、10年刻みでヴォーカルの変化などを、ちょっとしっかり書いてみよう。

 '70年代の女性ヴォーカルというと私はまずキャロル・キングを思い浮かべる。当時は日本でも−例えばシュガー・ベイブにおける大貫妙子の歌唱も−皆どことなくキャロル・キング風であった。ぶっきらぼうな位にストレートな唱法が、あの時代の雰囲気であったことが後追いではあるが感じとれる。
 '80年代は結構しっとりと正当な歌い方が目立った。竹内まりややEPOなど、もちろん音楽的には素晴らしいのだが、今聴くと少々古臭く感じるところもある。海外に目を向けるとシャーデーやスウィング・アウト・シスター、スザンヌ・ヴェガなど、やはり正当な、しかし少々装飾的な歌い方の歌手が話題となっていた。

 そして'90年代。個人的には非常に、本当に、ツラかった。広瀬香美、SPEED等々、とにかく高い声が出ればエラくて、もうそのうちに「肉声でガラスを割る超音波歌手」なんてのが出てくるんじゃないかと心配していた。その他モロモロ、あえて名前は出さないがみんなキーキー歌ってやがったなぁ...。日本ほどではなかったが、海外でも高い声の歌手がすごーく売れていました。特に映画のタイアップがあったりすると、もう、映画館に響け!とばかりにウルセエのなんの。
 思うに'90年代の「歌」は、RAPなどにも押されてその意味を、その方向性を失っていたのではないだろうか。その中で「歌のようなもの」として擬似的に「流通」していたのが、歌番組から流れていた一連の「超音波」であり、ニューラディカルズのような途中で止めたくなる「声」だったのではないだろうか。
 わかりやすいのでJ−POPを中心に説明したが、この「歌の消滅」は世界的な傾向だった様に思う。自分のメインページで'90年代のベストアルバムを年毎に選定したのだが、後半になるにしたがってブラジルものが多くなり、ロックのベストなのか、ブラジル音楽のベストなのかわからなくなってしまった。「歌」を求めて世界を彷徨ううちに、多くの「歌手」が活躍する、かの国に辿り着いてしまった様だ。

 そんな中、まずUAの登場に驚き、宇多田ヒカルのブレイクで安心した。音程が良い、発声も良い、表現がオトナである。そして、崩し方が巧い(良いロックの絶対条件)。10年区切りで考えて、2010年までのこれからの10年、これからの「歌」を彼女たちのヴォーカルが象徴している様に思うのだ(その前後の「ディーヴァさんの乱立」にはちょっと戸惑ったが)。
 海外に目を向けると、アメリカではエリカ・バドゥ、イギリスでは...うーん、ちょっといないな。ブラジルではメリーザ・モンチ。時代を超えていつまでも聴かれるであろう「歌」があちこちで発生して来た。やっと「歌」が、帰って来た。

 みなさんどんなうたがききたいですか?私は本当にこれが知りたい。宇多田を「イイじゃん」と思った女子高生は、またSPEEDに戻ることがあるのだろうか。それとも「キーキー言っててツライッスね」ともう戻らないのだろうか。UAファンの女子大生が、そっくりのスタイルのエリカ・バドゥに辿り着くことはあるのだろうか...こらからの音楽がどうなるか、サラリーマン稼業の傍ら、見続けて行きたい。

定成寛 from " サダナリ・デラックス "






See you next month

来月は" Brand New Choice " 新譜の月です


(C) Written and desined by the Rock Crusaders 1998-1999 Japan





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