インターネットロックページ共同執筆 新譜/名盤クロスレヴュー
月刊 ロック・クルセイダーズ No.010 Sep.'99
1999/09/20 Updated







今月は名盤の月です
Good Old Choice of this month

RY COODER : Bop Till Your Drop

WPCR-2627 (WEA JAPAN) 1979/1998



リスナーの使命があるとしたら

 ライ・クーダーという人はプロ・アマ問わずギタリスト達の中ではボトル・ネックを用いたスライド・ギターの第一人者として尊敬されている。左手の指にボトル・ネックをはめたことのあるギタリスト達は、まず間違いなく自分のスライド・ギターの師匠の一人に彼を選ぶはずだ。
 1947年生まれ、66年にライジング・サンズというバンドでデビュー。同じバンドのメンバーにはタジ・マハールもいた。その後、ロスでセッション・プレイヤーとしての活躍もしながら、ソロ名義の作品を発表してみたりバンドに参加してみたり、そして映画のサウンドトラックを担当してみたり...。
 特に既成の音楽フォーマットにしばられずに創作できる映画音楽の仕事では、その才能をいかんなく発揮しており「パリ、テキサス」をはじめとする数々の秀作を残している。担当した映画のサントラからコンピレーションされたベスト・アルバムが発表されている事実がなによりの裏付けであろう。

 そんな彼が1979年に発表した作品がこのアルバムなのだが、作品のクレジットを見ると彼がソングライティングに名を連ねているのはわずかに1曲だけ。残りの曲は他人の曲、それも50〜60年代に書かれたものがほとんどである。ところがこのアルバムを聴くかぎり、アレンジにしてもアルバム全体の空気にしても正真正銘70年代後期の音であり、おおよそ一般に言われるカバー・アルバムとは全く異なっている。
 オールド・ソング、それも当時爆発的なヒットを飛ばし誰もが知っているような曲でもない作品達を掘り起こし、自分の音楽知識と技術で見事に新しい命を吹き込み蘇生させてしまう...しかもオリジナルに決してヒケをとらぬ出来映えに仕上げられたオールド・ソング達は、オリジナルテイクを知らない者達はあたかも彼の作品だと錯覚してしまうほどに。もっともライがそれを自分の歌だとうそぶくことなんて一度だってなかったに違いないが。
 この作品を聴いていると、ライ・クーダーという人がギターの腕前はもとより、音楽への分析力というか探究心が著しく深いことがわかる。現代に生きる音楽学者として表彰されるべきだと言っても言いすぎではないと思うのだが...

 子供が親の背中をみて育つように、ミュージシャンとして音楽を鳴らす者であれば、必ず自分の表現方法を体系づくった先人達の音楽が存在する。その数も種類も千差万別であるのは言うまでもないが、その親となる音楽に対しどれだけ真剣に向き合い、学んでいったかでそのミュージシャンの力量はあきらかに変ってくると僕は思っている。
 「何となくカッコいいから取り入れてみた」というスタイルだけなぞった軽いものではなく、ひとつの音から少しでも多くを学びとろうとすること。自分の琴線を揺らしたあのトーンがどこから出てきたのかをひたむきに辿っていく旅路の中で体得したものを決して自分の宝だけにせず、次の世代に伝えていくことをすることこそミュージシャンとしての使命だと僕は思う。そしてライはその使命を見事に果たしている最高のミュージシャンの一人だ。

 どんなに素晴しい音楽でも、それを伝える人がいなければその音楽はやがてその命を終えてしまうだろう。このアルバムを聴いた僕等はライのおかげで先人達の残した遺産の素晴しさを知ることができた。そして、僕等は次の世代に彼が教えてくれた音楽と一緒にライ・クーダーという素晴しいミュージシャンのことを伝えていかなければならないと思う。それが僕等の心に何かをくれた先人達とその音楽に対するせめてもの感謝の気持ちであり、その音楽を素晴しいと感じたリスナーの使命なのかもしれない。

岩井喜昭 from " Music! Music! Music! "



音楽の産まれる必然性を見つけだすギター 

 バーバンク周辺のセッションミュージシャンとして登場して以来、ブルースからハワイアンまで多彩な音楽を次々と吸収して、最近は映画音楽家としても大活躍のライ・クーダー。バーバンク大好き、エキゾチック大好き、映画大好きの僕は、いたるところでライの名前を見つけてはその評価を耳にしてきた。でも今まで、どうも彼のレコードに手を出をのばせないままでいた。
 それは「スライドギターの名手の...」という、彼につけられたキャッチフレーズのせいだ。スライドギターといえばブルース。ブルースと言えば大阪である。泥臭く男臭く鬱陶しく、ひどく敷居が高そうなオーラが僕の手を拒む。しかも名手だそうだ。体育会系か?ギターも弾けないくせにロックを語ろうなんて君、勘違いも甚だしいんじゃないの、なんて凄まれてもなんなので、クワバラクワバラ微妙に避けて通る小心者。
 そんな訳でおっかなびっくり望んだライの音楽。お題のアルバムがなかなか見つからず、とりあえずベストアルバムを買って聴いてみることに。驚いた。なんてイマジネイティブでアイデアに溢れた、楽しい音楽なんだろう。君にこのテクニックがわかるか、みたいな教則本スピリットとは全く対極にいる音楽家だった。至福。電車の中で思わず体が動き出してしまった。いかんいかん。

 粘っこいR&Bからサラっと晴れ上がった南洋のリズムまで、ほんとにバラエティに富んだ音楽性だ。そういえば、このアルバムのライナーノートで「テックスメックス」という言葉を初めて目にした。なんか産業ハードロックみたいな語感だが、メキシコのカントリーミュージックみたいなもんらしい。アコーディオンのまるさのせいか、泥臭いのに軽やかで素朴で楽しい。
 僕みたいな視野の狭いロックファンにも未知の音楽を教えてくれるライの音楽が、単なるワールドミュージックのインデックスに収まらないのは、彼がオリジナルのスピリットを尊重しつつも、遠いものを強引に結びつける茶目っ気をあわせ持っているせいだろう。例えば沖縄音楽への取り組み方。五十数年前に起こったことを考えれば、もう少しナーヴァスに捕らえるべき題材を、一見不用意なやり方でものにしている。戦争の影を漂わせながらも、脳天気に楽しい島として描き、猥雑な魅力を放つビビッドなアメリカンポップスにしてしまったのだ。
 彼は、音楽の裏に潜む悲劇の存在を知っている。でもそれ以上に、悲惨なシチュエイションの中で、音楽がいかに人を支えてきたかも知っている。世界中のリズムを吸収しながら結局はアメリカンポップスに帰結する彼の手法は、批判の対象になってもしかたがない。でも、アメリカンポップスもまたアメリカ人のバイタリティを支え、癒してきた音楽であることに変わりはないのだ。そんなことさえ想像させるほど懐の深い、ユーモアに溢れた音楽だった。

 さて、ベストアルバムの興奮覚めやらず、ついにお題のアルバム「BOP TILLYOU DROP」を聴いた。あらら、いまひとつ覇気がない。地味とか派手とかいう尺度じゃなくて、ちょっと薄味なのかな。お子様にもわかるように編纂されたベストアルバムと比べて、オリジナルアルバムの味を噛み締めるにはもうちょっと聴き込まなくちゃ駄目みたい。そう思ってここ3日ほどMDウォークマンの中に入れっぱなしにしているのだが、注意を払って作られたサウンドは耳に心地よくて全然飽きない。
 音楽の基調になっているのは、歌心に溢れタペストリーのように折り込まれたギターと、軽い手触りの弾むようなリズムだ。4曲目に収められたインストゥルメンタル「I Think It's Going To Work Out Fine」の瑞々しさ。穏やかさでちょっとユーモラスなお喋りみたいな演奏は、ライの人となりを想像させる。続く「Down In Hollywood」は、打って変わって豪放でファンキーなナンバー。ちょっと暴力的な歌詞も楽しげに聴こえるのは、ちょっとユーモラスなボーカルのせいか。ライはとてもリラックスしてレコーディングに望んでいるように思える。穏やかなサウンドに、時にピリッと刺激を与える不思議なアレンジメントも、奇をてらって狙ってみましたという感じが全くないのだ。

 ロック研究家たちはこのアルバムを、ライのR&Bへの挑戦と呼ぶでしょう。そして、(僕は楽器を弾かないので確信は持てないけれど)彼はおそらく練習熱心なギタリストなんだろう。でもライは、練習や研究の成果を披露しているわけじゃない。耳に入ってくる音楽にいちいち興味を示して楽しんでいる。ただそれだけのような気がする。
 R&Bという音楽に求められた快感、音楽が産まれる必然性を敏感にキャッチするセンス。曲の粒が珊瑚の産卵のように自然に噴き出すアイデアの吐息を、わくわくしながら耳をすませて待っている、そんな創造の楽しさを感じるのだ。


山下元裕 from " POYOPOYO RECORD "



彼らとの付き合い方 

 ライ・クーダー、ランディ・ニューマン、ニルソン、アラン・トゥーサン、タジ・マハル、ローウェル・ジョージ...何を羅列しているかというと、「中学生くらいで知って、何年も聴いていなっかたアーティスト」である。『ミュージック・マガジン』という雑誌をかなり早いうちから買っていたので、このへんの実力派ミュージシャンの名前と、顔と、作品名と、ジャケットは沢山知っていたのだが...肝心の音を聴かなきゃイミないよねぇ(笑)。

 もちろん彼らは必聴に値する優れたミュージジャンばかりなのだけれど、何故聴いて来なかったのか?10代前半に感じた「彼らは大人のためのロックを演っているのだ」という考え方をずっと引きずってしまったのだな。そう、私はまだコドモなのだ(苦笑)。
 しかし、まぁ、そういう事も言っていられないか。「30過ぎの大人が聴くのだ」などと考えていたのだが、気が付けば自分もその年齢、いや、その年齢をとうに過ぎていた。あれあれ。
 でもこうした事柄って、テクノでキッチュな'80年代にティーン・エイジを過ごして、気付いたら15年以上経ってしまったという「'80年代型ロック少年・少女」(と言うのかな?今は30過ぎでも)の偽らざる気持ちなんじゃないかな?「うん、偉大だよね。いつか聴こうと思っているよ」と言い続けて10年、15年...気が付けば30代も折り返し地点だ。

 さて、それでは私が彼らとどの様にお付き合いさせてもらっているかというと、何組かは数枚のアルバムを辿り、何組かは正直、全くの「未着手」だ。ごめんなさい。ちなみに「数枚」のケースではデヴュー・アルバムと代表作、気になるプロデューサーがタッチしている作品なんてのを買っている。オイシイところをつまみ喰いしているのだ。このへんに手が着き出したのはここ5〜10年くらいのこと。会社員になって、安定して給料を貰えるようになったからだ。ビバ!サラリーマン!

 このライ・クーダーについては確かに「つまみ喰い」ではあるが、かなり、おなかに残るつまみ喰い。私が敬愛するヴァン・ダイク・パークスのプロデュース作ということで'71年発表のデヴュー・アルバムはかなり前から愛聴盤。友人に薦められた『流れ者の物語』('72)も良く聴いている。そして何よりのマイ大ヒットは現在進行形のプロジェクト、ライがキューバのヴェテラン・ミュージシャン達と演った『ブエン・ビスタ・ソシアル・クラブ』だ。もう、最高!'97年発表のファースト・アルバムはその年のマイ・ベスト、今年出た続編、『イブライム・フェレール・ウィズ・ライ・クーダー』も'99年夏のマイ・ヘヴィー・ローテーションになっていた。あとは映画音楽で何回か聴いているな。
 むむ、さっきちょっと誤解を呼ぶ書き方をしてしまったかな。「おなかに残る」とは「もたれる」みたいな悪い意味ではなく、極上の、おいしいサウンドということなのだ。

 正直に言うとお題となったこのアルバムは、ぽっかりと抜けていたんだけどね。'80年ごろに放送されていた元祖MTV番組、『ベストヒットUSA』のオープニング・タイトルに登場していたか、同じ頃に放映されていたパイオニアのCMに使われていたかでジャケットの印象は強烈なのだが...いかん、いかん、音を聴かなきゃ、だったな(笑)。

 '79年のリリース。そうだった、こういう音があった。「ワーク・アウト・ファイン」や「ドント・ユー・メス・アップ・ア・グッド・シング」の雰囲気はクリスタルでブリリアントなあの頃のもの。でも、ここが大事!流行だけを追ったサウンドは10年、20年経ったら聴けたものではないが(例えばDX−7のシンセ・ベースにLINNドラム。グエ〜)、このライはエヴァー・グリーンだ。それは彼のギタリストとしての天才さ、ミュージシャンとしての「深さ」(ライの場合は特にこの言葉を使いたい)に因るものだろう。それは「ルック・アット・グラニー・ラン・ラン」や「苦悩をのりこえて」でのルーツ・ミュージックの昇華からも判る。この音は、いい加減な、者には、出せない。ミュージシャン・シップ−私はこの言葉を多用してしまうのだが、ライからは特にそれを強く感じる。

 ライのことを「浮気なミュージシャン」と呼ぶ事はたやすい。ヴァン・ダイクと演ったバーバンク・サウンド、ジャズへの傾倒、カントリー、R&B的なアプローチ、琉球音楽からごく最近ではキューバ音楽まで。拡げ過ぎた風呂敷に皮肉を言いたくなる人もいるかもしれない。しかし、文句があるなら(?)音を聴け。いずれのスタイルでも高いクオリティーを保ち、我々に驚きを与えて、同時に好奇心と若干の知識欲も刺激する。それこそが奇才ライ・クーダーの音楽活動ではないだろうか。
 私の様ないい加減なリスナーが、ライのサウンドを聴いて考えたのはそんな事だ。今回文章にするにあたり、多彩過ぎる活動から「ライって一体何者?」と掴みかねていたのだが、なるほど、刺激的な人だよ。
 そんなライのキャリアの中でもこのアルバムは余分なチカラの抜けた秀作。最初はちょっと淡白にも感じたけれど、聴いて行くうちに快感になって来た。

 しかしだなー、我々中途半端な後追いロック・ファンには、名盤を数々残しているライの様な存在は堪らないね、うん。「予定」を組のが楽しみになってくるのだ。人脈を辿るのもまた楽しい。そうだったな、彼はタジ・マハルとも一緒に演ていたんだったな。では次は全く「未着手」のタジあたりを。そしてもう一回、ライに戻るか...。
 

定成寛 from " サダナリ・デラックス "






See you next month

来月は " Brand New Choice " 新譜の月です


(C) Written and desined by the Rock Crusaders 1998-1999 Japan





Back to the Index page