インターネットロックページ共同執筆 新譜/名盤クロスレヴュー
月刊 ロック・クルセイダーズ No.009 Aug.'99
1999/08/20 Updated







今月は新譜の月です
Brand New Choice of this month

Randy Newman : BAD LOVE

MVCA-24027 (Universal Victor) 1999/06/18



あこがれるオヤジ像のイメージ

 ジャック・ニコルソンが主演した「恋愛小説家」という映画をご存じだろうか。主人公の男は女心を魅了させる表現たっぷりの文章を綴る恋愛小説を書くという職業をしていながら、実像は他人の傷を思いきりえぐる言葉を平然と吐き、極度の潔癖症でいくつものジンクスを信じていて、女心を全くわかっていない最低の男なのだが、時折出てくるやさしい心づかいで人の心をうるうるさせるのだ。

 なんでこんな話しをしたかというと、この映画の主人公と今回紹介するランディ・ニューマンのイメージは僕の中でかなり共通するところがあったからだ。
ランディ・ニューマンの作る音楽というのはどこかひねくれている感じがあるし、(それがハナにつく人もいるかも知れないが)知的な感じもするけど、その根底にはとても心やさしく、ロマンチックな感受性を持った男の顔が見え隠れする。そんな彼の子供と大人の同居した独特の感覚をハリウッド映画界は好むのかも知れない。

 「サダ・デラ」のいちコンテンツとしても存在するこのロック・クルセイダーズのコーナーだから当然ここをご覧になる方は映画もそれなりに見ている人が多いと思う。(それどころかかなりの映画ツウの方もおられるだろう)
 ということは、おそらくあなたがランディ・ニューマンというアーティストを知らなくても彼の音楽、彼によってかかれた楽曲を耳にした機会はあるはずだ。
 「パックマン家の人々」「レナードの朝」「マーベリック」「マイケル」「トイ・ストーリー」「ベイブ都会へ行く」「バグズライフ」「ユー・ガット・メール」...ほら、いずれもレンタルビデオでおなじみの作品ばかり。彼のことを知らない人にあなたが説明する時、「彼はハリウッド映画界のコムロなんだよ」とでも言えば、相手はランディ・ニューマンに興味を持ってくれるかも知れない。

 さて、昨年彼の音楽活動30周年をまとめたCDのボックス・セットが発売されていたが、なんとオリジナルとしては前作から数えて11年振りにあたるそうだ。プロデューサーにすっかり90年代サウンドのひとつのトレンドを築いたミッチェル・フルーム&チャド・ブレイクのコンビをプロデューサーに迎えて作られた本作はひと言で言って「大人だけが聴きこめるアルバム」という感じさだ。まさに30年のコクを含んだ極上のウィスキーのような味わい。かといって激シブというわけでもなく、ずーっと前からひとつの味を熟成しつづけてきたような普遍のサウンドだ。このアルバムをまだ血の気の盛んな20代前後の人にこの良さを理解しろといってもきっとわかんないと思うし、もしわかるとしたら僕はその人に迷わず「おいおい、そんなに早く人生落ち着いてどうすんだよ」とツッコミを入れたくなると思う。
 ミッチェル&チャド関連の作品と聞いて、ロス・ロボス系のガラクタころがしぶっこわれ知的ハイパーサウンドを期待することなかれ。もともと楽曲勝負の人だからピアノ一本でも十分聴かせられる人なんだから。事実、ミッチェル&チャドの担当はリズムセクションのみで、上ものアレンジ面はランディ自身が仕切ったということだし。ミッチェル&チャドを起用したのは2人のサウンドクリエイティングよりも、ランディの楽曲を汚さないだけの基本の音楽性ができてる(音楽をわかっている)プロデユーサーがいなかったと考えるべきだろう。

 32才の僕は残念ながらまだこのアルバムの似合う成熟した大人になってはいないと思う。でも、願わくばジイちゃんになった時にこのアルバムの似合う大人になっていられるようないい年齢のとり方をしていけたらなー。
そう、このアルバムのランディの声は、僕があこがれるオヤジ像のイメージを彷彿させてくれるのだ。

岩井喜昭 from " Music! Music! Music! "



眼をそらさないランディ 

 30年のキャリアを持ちながらアルバムを発表するのは11年ぶり、という根性があるんだかないんだかわからないシンガーソングライター、ランディ・ニューマン。11年の空白の間、主に映画音楽の仕事に携わっていたわけだけど、去年は3本の映画でアカデミー賞3部門にノミネート、そしてボックスセットの発売で注目を集めて、おいしいタイミングでの新作となった。
 しかも、プロデュースに当たるのはミッチェル・フルーム&チャド・ブレイク。エルヴィス・コステロがアトラクションズと組んだ「ブルータル・ユース」や、スザンヌ・ヴェガの力強い近作で知られる名チームだ。ベテランと旬のコラボレーションは、しばしばどちらかがどちらかを飲み込んで破綻してしまうもの。賛否両論、不安と期待が渦巻く中、第一声を聴いただけで僕のこのアルバムに対する愛情は決まってしまった。ランディのあの曲とランディのあの声、ほかに何がいるよ?

 ランディは、ヴァン・ダイク・パークスや幼馴染みでもあるレニー・ワロンカーと共に、流麗なオーケストラに包まれたストレンジなポップス、いわゆるバーバンクサウンドを作り上げた人物だ。オーケストラは次第にシンセにとって変わられ、80年代の作品ではその気になれば普通に聴き流せるコンテンポラリーなポップソングに仕上がっていた。実は今回のアルバムについて、80年代の路線を踏襲したものになんじゃないかと予想していた。エレピ中心のポップな演奏に、ミッチェル・フルーム&チャド・ブレイクのざらついた質感で時代の肌触りを加味したものになるんじゃないかと。しかし、聴こえて来たのは99年型のバーバンクサウンドだった。
 ラフなロックから甘過ぎるバラードまで、くすんだ弾き語りからユーモラスなラグタイムまで、中心にあるのはランディのボーカルとピアノ、そして「いい曲」だ。ミッチェル・フルーム&チャド・ブレイクの不思議なノイズとゴツゴツした音像を期待する向きには肩すかしかもしれない。でも二人は素晴らしいバンドと演奏、そして99年の隠し味を提供した。ランディは、自分のスタイルに余裕と自信をもって望んでいるように見える。ミッチェル・フルーム&チャド・ブレイクは決して得意技を売るだけのプロデューサーでなかった。そしてなにより、二人はこのセッションが楽しかったろう。

 ランディの回帰はジャケットにも見て取れる。偶然か狙いか知らないけど、こんどのジャケット写真はデビューアルバムと同じアングルで撮影されているのだ。デビューアルバムのランディは、いかにも神経質な面もちで視線を右下にそらしている。31年後のランディは、焦点の合わない空虚な眼をしているものの、いちおう視線をリスナーに合わせている。
 ランディは時に、弱者を嘲笑したり金の亡者になってみたり、皮肉に溢れた歌詞で僕らを驚かせる。これらの言葉は彼の本心ではなく、様々なキャラクターを演じてみせることでアメリカ社会の暗部に光を当てているのだ、と説明されている。でも僕には、彼がそこまで客観的になりきっているとは思えない。ランディは自分自身のふがいなさに対する怒りを、マイノリティの姿に投影しているように思える。
 独特のしゃがれ声で物語を綴るシンガーソングライターといえば、前にこのページでも取り上げたトム・ウェイツがいる。ランディとトムのしゃがれ声を比べてみると、やっぱりランディの歌うストーリーはランディの声なしにあり得ない。キャラクターを演じるシンガーソングライターを演じているのは、どうしようもなくランディ自身なのだ。今回のアルバムは、「比較的」ストレートなラブソングが多いように思う。かつての皮肉屋ランディは、自分のスタイルを見つめ直した上で、改めてリスナーを見つめるだけの余裕を手に入れたのではないだろうか。

 ちかごろやたら「自然体」を売りにするミュージシャンがいる。例えば伊勢佐木町の二人組とか、別に好意も悪意も持っていないけど、彼らもしょせん芸能界の掟の中で生きていることに変わりはない。ランディがこのアルバムで見せる気負いのなさは、30年間の芸能生活を経てハリウッドの現実をくぐり抜けて、もがきながら手に入れた環境がもたらしたものにほかならない。だからこそ平々凡々な僕らは、このアルバムのナチュラルな手触りに安心して心を預けて、素晴らしい楽曲を楽しむことができる。無邪気な自然体とやらにこのアルバムを聴かせてあげたい。ついでに、無邪気な本物志向とやらにもだ。
 ランディは、やっぱり長い苛酷な日々を乗り越えて平安を手にしたブライアン・ウィルソン&ヴァン・ダイク・パークスの「オレンジ・クレート・アート」(プロデュースはレニー・ワロンカー)を聴いただろう。このアルバムは、「オレンジ・クレート・アート」のてらいのないバーバンクサウンドへの、ランディなりの回答なのかもしれない。

山下元裕 from " POYOPOYO RECORD "



こういう音楽がある、ということ 

 「ランディの新譜、聴いた?」−6月の終わりごろ、音楽仲間に会う度に聞かれた。超ヴェテランの11年振りの新譜、数々の映画音楽での成功、ミッチェル・フルーム&チャド・ブレイクのプロデュース...確かに異常に触手をそそるニューリリースであった。

 「いや、まだ聴いていない」と言い続けて半月、会社の帰りにふっと買ってみた。そして家に帰って聴いてみると...うっ、渋い。
 アメリカのやんちゃ小僧、ミッチェル&チャドのプロデュースだが、思い切り新しいサウンドの上にランディのヴォーカルが乗っているんだろうという邪推は見事にハズレた。ふうむ、彼らはこういう音づくりも出来るのか。ミッチェル&チャドといえばノイジーなパーカッション、破壊的なギター、マニヤックなキーボードなどがウリだが、ここではそのテのサウンドは全く登場しない。徹底的にオーソドックスなロック、そしてサウンド・トラック的ブラス・アレンジ、更に少々のジャズ・タッチもある。

 しかし考えて見ればこういうサウンド・メイクってのが今、一番難しくて、貴重なことなのかもしれない。ヒップ・ホップでもない、オルタナでもない、徹底的に当たり前のロックをきっちりとやること、これは(非常に逆説的なことなのだが)今や貴重な行為である。
 疑問もあった。ミッチェル&チャドならば、もっとユニークなことが出来ただろうにという疑問だ。しかしそれはこのアルバムを何回か聴いているうちに薄れて行く。それは彼らのアレンジが、全て「ランディのヴォーカルとピアノを活かす為に注力している」ということに気づいたからだ。ステージの中央にグランド・ピアノを置き、ちょっと芝居がかったヴォーカルを聴かせるランディ、その周りを囲むバンド、ブラス、女性コーラス、スポットはランディにあたり...そんな光景を想像しながら聴いてみると実にしっくり来る。そしてそんな感じが、アメリカのロック・ビジネスの最も渋い形なのかなとも思う。

 だがまだ疑問も残る。ミッチェル&チャドのプロデュース・ワークで私が一番感心したのはチボ・マットでもロス・ロボスでもなく、実はヴェテラン女性ロッカー、ボニー・レイットのアルバム『ファンダメンタル』('98)なのだが、あのアルバムでやった様に、超ヴェテランの新譜を若い連中に飛びつかせる、病みつきにさせる、そんな事をこのランディの新譜でも出来たのではないかという疑問だ。乳母心のようだが超ヴェテランと新鋭のプロデューサーが組み、新しいリスナー層を切り開くこと、それはものすごく価値のある行為だ。
 でもそれもおせっかいなのだろう。若い連中に聴かれ、チャートを上り...だけがロックの姿ではない。日本では年配層がロックを聴かないのでつい忘れがちだが、大人のためのロックだって当然存在するのだ。
 ランディは1943年生まれ、今年で56歳にもなる。アルフレッド・ニューマン、ライオネル・ニューマンという二人の叔父はいずれも映画音楽の巨匠。プロのソングライターとしてスタートしたのは実に17歳の時だった。UCLAをドロップ・アウトして'68年、かのヴァン・ダイク・パークス・プロデュースのアルバム『ランディ・ニューマン』でデビュー。ははは、かろうじて私は生まれていたけれど、このページの読者の多くはまだ生まれていなかったのではないだろうか。それくらい昔から、ロックをやっているひとなのだ。
 アメリカでランディに共感する人々、彼の「同世代」は、上は50代後半から...となる。うん、これまたアメリカのロック・ビジネスの懐の深さを見る思いだ。33歳の私が聴いても心地よく、そして親の様な世代も納得させる、こういう音楽の作り方もあるのだろう。いや、あって当然だ。

 こんなところで引き合いに出して恐縮だが、'98年発売のブライアン・ウイルソンの新譜『イマジネイション』を聴いた時に感じたのが、「ブライアンのまわりにいいパートナーはいないのだろうか」だった。趣味の悪いジャケット、耳につくチープなシンセ...ブライアンの創るメロディー・ラインはさすがに見事なものだったけれど、周囲を固める仕事人たちがあまりにも陳腐で彼の天才さを台無しにしていた。せめて一人でいい、的確なサウンド・メイクの出来る人間がいれば...そう痛感したのだ。ブライアンは'42年生まれ、ランディとたったひとつしか違わない。
 その意味では、このアルバムは大成功だ。一人はおろか、二人もいる(笑)。新生ドリームワークス・レコードはアートワークも見事だ。ヴィンテージ・キーボード・マニアでもあるミッチェル・フルームのハイグレードな音色がサウンドのグレードを上げて...うむ、これはなかなかの名盤なのではないだろうか(ふと思い出したのだが、同様の関係は'94年発売のフェリックス・キャバリエとピーター・ゴールウェイについても言えた)。

 問題は聴き手側だろう。カウチに横になり、古いキンセラなどを読みながら、ランディをかけて...というライフ・スタイルは日本ではあまり、というかほとんど一般的ではない(笑)。アメリカ随一の皮肉屋と云われる彼の歌詞で、ほくそえんだりしてるんだろうなぁ。
 米国崇拝の心情などさらさらないが、ううむ、なんか、ちょっと、負けたという感じもする。こういうサウンドを作り、そして受け入れてしまう国なのか。やるなぁ...。とりあえず、私も、がんばります(何をだ?!)。
 ともあれ、こういうサウンドが作られて、しかるべき筋で好評を得ているということは絶対に知っておくべきだろう。くだらない雑音に流されない為に。最近の日本は雑音だらけだ。

定成寛 from " サダナリ・デラックス "






See you next month

来月は " Good Oid Choice " 名盤の月です


(C) Written and desined by the Rock Crusaders 1998-1999 Japan





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