インターネットロックページ共同執筆 新譜/名盤クロスレヴュー
月刊 ロック・クルセイダーズ No.008 Jul.'99
1999/07/20 Updated







今月は名盤の月です
Good Old Choice of this month

ELVIS COSTELLO : SPIKE

WPCR-351 (WEA JAPAN) 1989



コステロに僕が望んだこと 

 フジテレビの朝のワイドショー番組のテーマ・ソングが流れてきた時は、思わずびっくりしてしまった。そうか、あれはエルビス・コステロの声だったんだ。恥ずかしながら私、これを聴くまでずーっとあの曲はフィル・コリンズが歌っているんだとばっかり思ってました(笑)
 さて、そんなわけでフィル・コリンズと間違うほどポップなセンスを持ち、ミス・チルをはじめ、日本にも彼にリスペクトを送るミュージシャン及び音楽ファンの多いエルビス・コステロのこのアルバムは、ジャズ風あり、トラッド風あり、ロックン・ロールあり...とさまざまなスタイルの楽曲が詰め込まれていて、音楽のランチ・バイキングをしたような感じである。普通ここまで手を広げると節操がなくなりそうなものだが、ハズレな曲がないというのがこれまたお見事。彼の作家能力を知らしめるには十分の内容だと言えよう。サウンドの仕上がりも80年代後期の作品ということもあってか、あの時代特有のバブリーな感じは薄く、今でもそれなりに聴ける味付けになっている。

 でも、このままだとなーんか好きになれないんだな。(山下さん、ごめん)アルバムとしての完成度も、コステロの実力もわかるんだけど。「いい人だとは思うけど、恋愛対象にならない」って答える女の子の気持ちがこの人聴くと「それってあるよねー」と同意してしまえるのだ(なんじゃそりゃ)。
 コステロ同様に自己の音楽性のプレゼン・スタイルをころころ変える人でジョー・ジャクソンという人がいるが、ルックス的に落ちるジョー・ジャクソンの方がその分音楽でリベンジしてる気がして魅力的に映るのに比べ、コステロの場合はそれなりに優遇された星まわりの上で生きてきた感じがしてどこか甘ちゃんな感じがするのだ。
 真面目な作風もマナーの良い音楽性も、僕の目には歯がゆく感じてしまう。それは彼の類いまれな才能と(おそらくそうであろう)めぐまれた星回りに僕自身のひがみがあるのかも知れない。でも、たとえそれがひがみという感情から来るものだったとしても、やっぱり人は自分と匂いの同じ人間を好むものだし、ましてや生活の中でともに暮らしていく音楽はどうしたってそうなる。
 とは言うものの、「Grace of my heart」のサントラでかのバート・バカラックと共演した時のコステロは聴けるのだ。僕の抱いている「はがゆいコステロ」のイメージのまんま、情けない声で切々と歌うコステロに、僕は自分の情けない部分と同じ匂いを嗅ぎ分けることができた。

 「スパイク」で僕がコステロに感じた歯がゆさというのは、彼の本来もっている僕と同じ匂いの「情けなさ」を出来の良すぎるアルバムでコーティングしてあるところからくるのかも知れない。ありのままをさらけだすか、完璧に作った自分を提示してくれるかどちらかにしてほしかったのだ、僕は。

岩井喜昭 from " Music! Music! Music! "



喪黒福造厳選・お薦め商品カタログ 

 むかし好きだったレコードを久しぶりに聴いてみると、結構しょぼい音でがっかりすることがありますよね。特に80年代ものは危険。産業ロックなんて言葉があるくらいでただでさえしんどい時代、しかもまだ客観的に振り返るには早すぎて、中途半端で一番恥ずかしい頃合いになっているはず。
 エルヴィス・コステロのヒット作、「スパイク」も発売から10年、ちょうどヤバい時期に差し掛かってきた。おそるおそる聴いてみると、のっけから風呂場のようにリバーブがかかったドラムが聴こえる。ああ若かったあの頃。思い出にしておけばよかった。と、そこで目を背けてはいけない。「あれーこんなんだっけ」がだんだん「あーこんなことしてたんだ」に変わってくるから。

 コステロをまだただの「怒れる若者」だと思っている人はそういないと思う。だってもう44だしね。去年なんかバート・バカラックとの共作による素晴らしいアルバムを発表したのは周知の通り。そして最近はやりの(僕的に)ルーツ巡りの楽しい旅をしていると、ブルースの影でカントリーのコーナーでニヤリと笑っているのが皆様の「The Beloved Entertainer」コステロおじさんだ。
 やあや。また会ったね。今度は60'sポップスに興味をお持ちかい。ちょっと待ってねおじさんがいいのを見繕ってあげるから。そんな風にここ数年、至る所でコステロのコメントを目にするのだ。そんな時おもいだすのは、スパイクのジャケットで人買いみたく不敵な笑みを浮かべるあの顔。ああなんかくやしい。過去を否定するパンクシーンから登場したはずのコステロが、なんでルーツ巡りの旅に添乗員みたいについて来るのか。

 ポール・ウェラー、デヴィッド・バーン、アンディ・パートリッジ。テクニックに溺れ、職人化してゆくロックを否定した音楽家たち。音楽を意識に引き寄せる必然性を直感できた彼らは、やがてパンクというフォーマットに閉じ隠ることさえも否定して、豊潤なルーツの大海に飛び込んだ。得てして彼らのルーツ巡りの冒険は、U2のようになにか明確な決意のもとに挑んでいる感じがあんまりしない。彼らのインテリジェンスは頭の中に閉じ隠ることをも否定して、「豊かな音楽に出会いたい」という情念のほうが逆に知性をコントロールしているように思える。
 エルヴィス・コステロは、アイリッシュの家系に産まれ、ビッグバンドのトランペッター・ボーカリストを父に持ち、リバプールの街に育った。ロックの重要なルーツのひとつであるアイリッシュトラッドを血に宿して、人種を超えた音楽の出会いと発展の歴史、そしてアマチュアリズムとエモーションを武器にしたロックの台頭とその形骸化の歴史を、肌身で感じながら育ったはず。
 パンクが取り戻したかったのは音楽家としての表現衝動。コステロが育んできたのは、ロックに対する価値観の変化を察知する感性、そして音楽への愛と情念。だからこそ彼は、音楽をごく自然に時代から引き剥がして、バカラックとアルバムを作りあげ、ポールマッカートニーにアドヴァイスをし、トリッキーと互いの作品をリミックスすることが出来たんじゃないだろうか。

 アルバム「スパイク」は、レコード会社移籍のための長いインターバルの間にたまりにたまったアイデアを、一気に爆発させたようなアルバムだ。そんな訳でこのアルバムのサウンドについて書こうとすると15本の原稿が必要になる。なにしろほぼ全曲、別のバンドが演奏していると言っていいのだ。ジ・アトラクションズとの鉄壁のコンビネーションで作られた初期のアルバムみたいな、バンドならではのコミュニケーションの豊かさはここにはない。でも、客寄せパンダを集めただけのアルバムなんかでは決してない。
 一見バラバラに見える楽曲や演奏を一本の線に貫いているのは、カラカラの声をひねり出すようなボーカルの力と、1989年現在のコステロの視点だ。ジャンルやサウンドで統一感を取るのではなく、彼の眼に自然に映る音楽を並べてみたらこうなった。その感じが、10年の月日を超えて今も耳に新しくて気持ちいい。怒りのための怒りでなく、誠実さと穏やかさを願う怒りが、こんなにも生き生きとした音楽を選びだしてしまったって感じがする。このアルバムは、コステロが浚ったロックの可能性のインデックスだ。案内役は不敵に笑う白と黒の道化師。ニューオリンズへもアイルランドへもお連れするよ。
 ここから老練な仙人音楽の深みにはまっていくのは、それはそれで素晴らしいことだ。でも。ロックは少年少女のためにあり、そして生きている。子供達が怖気づきながらも覗き込んでしまうフリークショーであり、そして大人のふりしたかつての子供達にとってはココロの隙間に忍び込む喪黒福造でなくてはならない。コステロは真摯な音楽を求めながらもバブルガムな楽しさを知っている。エンターテイメントの背後にある空虚さを知りながらも、やっぱりそれを愛してしまう。だからこのアルバムは、仙人音楽の袋小路に陥ることなく、ロックとしての猥雑さと誠実さを保っている。その辺のバランス感覚は忘れたくない。

 アルバムのジャケットに「The Beloved Entertainer」という言葉を掲げたのは、なんの皮肉でもなく彼の素直な願望なんじゃないでしょうか。

山下元裕 from " POYOPOYO RECORD "



Walk on the Costello side 

 1965年生まれの私は'80年代には特別な感情がある。ニューウェイヴ前夜という感じの'78、'79年が中学1、2年、テクノ旋風の吹き荒れた'80年が中学3年、クラフトワークが初来日した'81年が高校1年、YMO散開、ネオアコ登場の'83年が高校3年、カヘバー全盛の'86年に大学入学、大学4年が'89年、会社は「'90年バブル入社組」である。
 うーん、こう書いて見るとつくづく自分が「'80年代の子供」なんだと思うな。中学3年から大学4年まで(実は全く計算が合わないが)、最も重要な10年が見事に'80年代、なのだ。

 そんなわけで今ちょっと影の薄い「'80年代の音楽」ってヤツはいつか自分のページで総括しようと思っている...のだが、1月のXTCに続き、再び'80年代の名盤登場。ロックの「名盤」というとすぐ'60年代のアレやコレが登場するのだけれど、いまや'80年代も遙か昔になりにけり。このページで'80年代モノをちょっとずつ紹介するのも面白いかな。

 『SPIKE』か...懐かしいなぁ。発売当時、本当に毎日聴いていたし(当時は学生でビンボーだったので数少ないCDを繰り返し聴くしかなかったのだ)、直後の来日公演も観に行った。このライヴが最高で、コステロの怪演に100回くらい笑わされた。考えてみると数えきれないくらい観たロック・コンサートの中で最も楽しかったのがあのライヴかもしれない。今、思い出しても胸がジ〜ンとして来るのだ。

 走り続ける人、である。痩身に黒縁メガネ、細身のスーツをびっちり着込んでデビューしたのが'70年代の終わりのこと。雰囲気も、サウンドも、ほかのパンク・ニューウェイヴ勢とは違っていたなぁ。ビートは確かにパンクっぽいのだが、メロディーもヴォーカルもなんとも古臭くて、そのルックスと相まって「バディー・ホリーのパンク版?」なんて考えたりもした。
 ごく初期の作品は中学生だった私にはちょっと渋過ぎて「ハマル」という感じではなかったけれど、'83年の『ゲット・ハッピー』あたりからは彼のサウンドがなんともしっくりと滲み始めた。前後のアルバムを買い、新譜はすぐに買い...以来20年近い「お付き合い」となる。
 今、この文章を書いていて気がついたのだが、中学時代には判らなかったコステロ・サウンドの良さが歳を追って判る様になったというところに、ちょっとしたポイントがあるかもしれない。中学時代はとにかくテクノ全盛、自分もコドモだったし、もっと「オモチャ」っぽいサウンドを欲していたのだろうな。ところがコステロは「オモチャ」ではなかった。オモチャでもギミックでもないホネのあるロックで'80年代を走り抜けた。それがコステロの最初の10年だ。

 そして'89年に現在のところ彼の最大のヒット作であるこの『SPIKE』が発表される。実は今、パソコンの横にコステロのCDを山積みにして、あれこれかけながら書いているのだが、なるほどこの名盤が彼のひとつのターニング・ポイントであったことが良く判る。
 '60年代と'80年代のビートを絶妙にミックスし、攻撃的なギターとオルガンで疾走したそれまでの10年(途中カントリーやアメリカン・ロックに寄り道もしたが)を終え、ここでは実に多彩なアプローチを試みている。マーク・リボーらオルタナティヴ・ミュージシャンとの接近や、アイリッシュ・ミュージックの導入、ダーティーダズン・ブラス・バンドによるインスト・ナンバーなどだが、今になって考えるとこれはそれからの10年、'90年代のコステロの方向性を示したものであったようにも思える。
 そして何よりもこのアルバム収録の「Veronica」の大ヒットによってポピュラリティを得たということが、その後の活動に大きな影響を与えたのではないだろうか。売れる売れないと音楽の善し悪しは関係がないと考えるが、ディストリビューション面において不遇であったコステロが、この「Veronica」及びアルバム『SPIKE』のヒットにより最前線に位置するビッグ・ネイムとしての地位を確立し、アルバム製作はもちろん、ツアーも、ユニークなユニット活動もスムーズに行える様になったことは幸運であった。良質な音楽を生み出しているにもかかわらず、プロダクション・マターで苦戦するミュージシャン数知れず。今からは想像の付かないことだが、日本盤が発売されなかった『Blood & Chocolate』('86)の頃、もしかしたらコステロもそうした「知る人ぞ知る」ミュージシャンの仲間入りをしてしまうのではないかと心配していたのだ。

 なんか、アルバム評というよりも、コステロ小史だなぁ。まぁいいか、サウンドについてはあとの2人にお任せして、私はエルヴィス・コステロという人物について記そう。'90年代もコステロは走り続けた。'91年のアルバム『マイティ・ライク・ア・ローズ』とそのツアーはちょっと掴み処がなかったけれど、'94年の『ブルータル・ユース』で復調、'96年の『オール・ディス・ユースレス・ビューティ』は彼の歴史の中でも屈指の名盤だと思う。
 '96年の来日公演はデビュー以来活動を共にして来た"ジ・アトラクションズ"の解散公演にもなってしまったのだけれど、新宿厚生年金会館でそれを観た私は、なんというか、「コステロを観る幸せ」みたいなものを感じたな。はっきり覚えているよ、'90年代版「Veronica」といった趣のある「You Bowed Down」を聴いていた時だ。更にステージ中央に丸く集まって、ジャグ・バンド・スタイルで往年の名曲「Pump it up」を演奏する姿には、最後の場面に立ち会えた喜びと悲しみで感慨深いものがあった。

 こうして書いてみると本当にアクティヴで、息が長く、かつ引き出しの多い人だと思える。'90年代にはこのほか室内楽カルテットとの共演や、ピアニスト(かつてのアトラクションズのキーボード、鬼才・スティーブ・ニーヴ)とのデュオも行った。最近の話題はつい先日、TVのCBSニュースでも報じられたバート・バカラックとの共演だろう。かつて自分のページのバカラック特集で「私はバカラックと共に歳をとって来た」みたいなことを書いたけれど、ロック面においては「コステロと共に...」とも言えなくもない。そしてその二人が満を持して共演したというのも不思議なものである。
 '80年代のビート感と'90年代の多彩さが凝縮された名盤がこの『SPIKE』であると言える。コステロ入門に最適な一枚。私が「このオッサンの音楽をこれからも追いかけて行こうかな」と決意したのもこの一枚であった。

 ちょっと長くなってしまったけれど、この通りコステロについての思い出というのは(青森出張で'94年のライヴ・チケットをフイにしてしまった事を除けば)しみじみとした、良いものばかりだ。Walk on the Costello side−コステロのそばを歩いて20年が経とうとしている。

定成寛 from " サダナリ・デラックス "






See you next month

来月は " Brand New Choice " 新譜の月です


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