インターネットロックページ共同執筆 新譜/名盤クロスレヴュー
月刊 ロック・クルセイダーズ No.007 Jun.'99
1999/06/20 Updated







今月は新譜の月です
Brand New Choice of this month

TOM WAITS : Mule Variations

ESCA-7457 (EPIC) 1999/04/14



ひとりきりで聴いて下さい 

 1973年にアルバム「クロージング・タイム」でデビュー。ジャズ&ブルースなどをバックグラウンドにしたがえたその唯一無比の個性に魅了されてしまったのは、音楽ファンのみならず映画界でも多く、ジム・ジャームッシュやフランシス・コッポラといった監督が彼を起用する程である。
 そんなトム・ウェイツが前作「ブラック・ライダー」から5年半振り(ただし、これは同名のミュージカルのサントラにあたるので、それ以前のスタジオアルバム「ボーン・マシーン」から数えると7年振り)になる新作を発表した。エピタフ・レコードへの移籍第一弾にあたる本作には、彼のキャリアの中でも特に人気のあるアルバム「ソードフィシュドトロンボーン」や「レインドッグ」の時と同じメンバーでレコーディングされており、そのせいもあってかトム・ウェイツの魅力を見事に網羅した最高の入門編アルバムともいうべき内容になった。

 「ボーン・マシーン」で見られたオルタナ性(というか、「がらくたサウンド」と言った方がいいかも知れない)がこなれた"Big In Japan"で幕を明け、ダミ声呪文が蛇のようにじりじりとせまってくる"Lowside Of The Road"、かのスプリングスティーンもこの人のパクリでしかないのではと感じさせてしまう"Hold On"を始めとするバラード群...一枚でも彼のアルバムを持っている人なら、期待を裏切れることなどない出来映え。あまりにもニーズを満たしている故に「ベタベタだなぁ」とケチをつけたくもなろうもんだが、こういうトム・ウェイツを聴きたくて買ってるんだから、もうどうしようもないのである。

 とはいうものの、このアルバムを聴かせた相手にトム・ウェイツの魅力がわかるかどうかというのは、聴く側にそれなりのキャパを要求するものであると僕は思っている。僕自身、小林克也氏が司会をしていたテレビ番組「ベストヒットU.S.A.」で初めてトム・ウェイツの音楽を聴いたとき(確かレインドッグのプロモビデオだった)はその声質に潜む"闇"に「死人が歌っている」ような印象を持ったのを覚えている。それがいつからかその声と音楽を心地よいと感じるようになったのは、かなり後(確か「ビッグ・タイム」から)のことだ。「レインドッグ」が85年、「ビッグ・タイム」が88年だから、3年かかったわけである、いや、発売してすぐ聴いてはいないから3年以上かかっているだろう。

 あの時トム・ウェイツを聴いた時に感じた"闇"の部分とは、おそらく『人の孤独感』ではないのだろうか...そんなことをこのアルバムを聴きながら漠然と考えていた。
 日々の生活の中で人だらけの世界に生きていながら、愛する人や心を許せる友人がそばにいたとしても、人間というのは最後にはひとりであると僕は思っている。(多くの場合死ぬ瞬間は皆ひとりで死んでいくように)でも、最後にはひとりであるという事を受け入れることで、そばにいてくれる人達と共有している時間をいとおしいと思えるのだと思う。「そんな寂しい考え方を」という人もいるだろうが(そう言った人が実際いた)個人的にはそれを認められない人間はどこか"闇"から逃げている感じがするのだ。

 「死人が歌っている」ような印象を持った音楽が、自分の中の孤独という"闇"を受け入れられるようになった時、とてもやさしく僕の心に響くようになった。それだけじゃない。"闇"をひきずった自分の弱い部分を認めることを彼は音楽を通じて諭してくれたような気がする。「なぁ、人間ってやつはいつだってそんなに強く、カッコよく生きられるわけじゃない。俺達の存在なんて、この星空の下ではほんとにちっぽけなもんなんだ。でも、あの満天の星空の中でいちばん小さな星だって、そいつが光り輝く様は綺麗じゃないか。ってことはどんな生き方をしていようが、生きてさえいればそれなりに魅力的だってことにならないかい?」
 彼の弾くピアノと彼の声を聴きながら、僕は今夜も星を見ていた。

岩井喜昭 from " Music! Music! Music! "



存在する必然性のある力強い音楽と
別にそれほどでもないリスナー 

 トム・ウェイツの名前を初めて意識したのは数年前のこと。ある絵描きさんがウェイツのしゃがれ声について熱く語るのを、アルコールに浸した頭で聞いてたような聞いてないような。当時の僕は、その絵描きさんの絵を元にCGアニメーションを作っていたのだ。彼女はコピーの裏紙やら段ボールやらベニア板やらそこらへんにあるもの手あたり次第に描きなぐるので、僕はそれを拾い集めてはスキャナーにかけた。
 夜が深けると新宿の街にくりだして、安い酒を浴びるほど飲んだ。音楽の話や宗教の話や、時には彼女がフロア清掃の仕事をしているビルの不思議な住人たちの話。僕はおとなしい子供だったので(今でもそうだけど)、彼女の激しくて楽しい日常のストーリーを、ちょっとの憧れをもって聞いてるだけだった。当時からミュージシャンに信奉が厚かった彼女は、その翌年に大ヒットアルバムのジャケットデザインを手掛けてブレーク。そして僕は今でも無名のクリエイターとして、こうして細々と生活している。
 ウェイツの名前を聞いて思い出すのは、そんな不思議な新宿の夜のこと。出来過ぎた話だけどほんとのことよ。

 で、実際ウェイツのアルバムを手にしたのは去年だったか今年だったか。このページでルーファス・ウェインライトを取りあげた時に、サダナリさんと岩井さんがウェイツの名前を挙げたので、ふと数年前の楽しい日々を思い出したのだ。聴いたのはデビューアルバム「クロージングタイム」、そしてセカンドアルバムにして代表作の「土曜日の夜」。初期のウェイツはしゃがれ声も控えめで、まだまだシンガーソングライター的な佇まいを残していた。けだるいジャズに揺れて呟くように歌う人。彼のパブリックイメージは皮肉屋? 荒くれ者? でも僕は彼の音楽に、ふらふらと揺れる新宿の夜を見た。
 都会の夜は別に退廃や洗練を競う所ではない。苛酷な昼を離れ、アルコールにまみれて癒される所。けたたましいノイズでさえ、色気に似た優しいフィルターに漉されて耳に心地いい。実際ぼくはそんな夜をたくさん知っているわけじゃないし、ロサンゼルスにて紫の煙りゆらめくバーなんぞに連れていかれたら居心地の悪さを感じるだろう。でも、ウェイツの感傷的なピアノと押し殺したような声は、僕の知らない不思議な物語を綴って、幻想の中にある「夜」に連れていってくれた。ややこしい柵に刄をたてて怒りを露にするでもなく、くすぶった自分がやっぱりちょっと好きな感じ。

 ウェイツが5年半ぶりにニューアルバムを発表したと聞いてレコード屋に走った。いや歩いたんだけど。「土曜日の夜」から25年間の遍歴を知らないまま、ピカピカの新作をトレーに吸い込ませた。

 ぶーぎゃぎゃぎゃごーごーぎゃごーぶんぶんごんぎゃごんごんがーごー。

 おいおいこれがウェイツかぁ!? 結婚して心機一転、ブラスバンドから民族音楽までごった煮にした混沌としたサウンドを展開しているという近年のウェイツ。でも本作は久しぶりにルーツに忠実だと聞いていたので、いきなりのノイズの嵐にはびっくり。でも3曲目のHold Onを聴く頃には、凄みを増したしゃがれ声にすっかり聴き入っていた。
 アヴァンギャルドなパーカッションとノスタルジックなレコード針のノイズ。一見バラバラで対極のイメージを持つふたつの音は、ウェイツのしゃがれ声を介してひとつの線上に結びついた。彼は自分の語るべき物語、演じるべきキャラクターを把握している。そして、古いこと、古いもののの持つ妖しい輝きを、常に新しい視線から捕らえようとしているように思える。上から光を当てると妖しい輝きはぶーぎゃぎゃごーとなり、下から当てるとぷちぷちぷちになるのだ。

 手管だけで作られた産業ロックを軽く蹴散らす存在する必然性のある歌、安定感がありながら狭い世界に閉じこもらない演奏がドスコイ。偉い批評家先生達は、このアルバムにケチのつけようもないだろう。でも、残酷な一介のリスナーが1999年の東京でディスクマンに投入するのは、「Mule」ではなくて「土曜日の夜」なんだと思う。「Mule」は聴いてて疲れるのね。とても。余りにも崇高で余りにも濃密で、そして余りにも長い。
 だって、ウェイツの音楽をたれ流しのBGMにする人はあんまりいないでしょう。声の魔力にどうしても耳が引き込まれてしまうのだ。彼が年令を重ねて純度を増していくほど、音楽は低俗なリスナーの日常にグサグサと突き刺さって辛い。やっぱどっちかというと「土曜日の夜」に癒して欲しい。音楽は鳴り響くべき場所があって、Big In Japanにはそれなりの理由があるのだ。

山下元裕 from " POYOPOYO RECORD "



ウェイツの本当の魅力とは? 

 ロック・ファンを10年、20年とやっているとアーティストとの"付き合い方"ってのも色々になって来る。10年で一回だけ聴いた人、20年間ずっと追い続けている人...。このトム・ウェイツというオトッツァンとはなんとも不思議なお付き合いをさせていただいている。私は彼のアルバムの熱心なリスナーとは言えないのだが、もう10年以上、彼のサウンドには接して来た。しかも繰り返し聴いていた。映画を通じてである。

 彼の名前を知ったのは13年前、ジム・ジャームッシュ監督の映画『ダウン・バイ・ロー』('86)を通じてであった。面白い映画だったなぁ。ケチなアクシデントからアメリカのド田舎にあるムショに入る羽目になったチンピラ、お調子者イタリア人とラジオのDJ。この3人が脱獄し、繰り広げる珍妙な逃避行。何が面白いって、脱獄映画のお約束、脱獄準備が全くないのだ。「映画で見た通りにやれば逃げ出せるんじゃないか」と言い出して、次のシーンではもう地下のトンネルを走っている。笑えますよ、コレ。
 脱獄後もヘン。同じところをぐるぐる廻ったり、昔話で盛り上がったり、匿ってもらったイタリア系グラマー美女と優雅にダンスを踊ったり...。新作ながら全編白黒。一体全体なんじゃらほいという映画である。
 この時のラジオのDJ役がウェイツだった。イイ感じだったなぁ。ちなみにチンピラは"ラウンジ・リザーズ"のリーダーでサックス・プレイヤーのジョン・ルーリー、そしてお調子者イタリア人は今をときめく『ライフ・イズ・ビューティフル』のロベルト・ベニーニだ。そう、ベニーニのことはこの作品で初めて知った...マズイな、ここは映画ページではないのだ。手短に書くと、この作品で最高にカッコいいサウンドを聴かせてくれたのがウェイツだった。使用曲は「ジョッキー・フル・オヴ・バーボン」と「タンゴ」。傑作と云われているアルバム『レイン・ドッグ』('85)からの選曲だったな。
 彼のサウンドには、そりゃもう驚いた。ニューウェイヴ系とも、ハードロック系とも違う、ちょっとジャズっぽい、ブルースっぽいサウンドに超ダミ声。「こんな音楽があったのか!」という驚きだった。当時私は大学1年で、周りの友人に「観たか?聴いたか?」と合言葉の様に繰り返していたっけ。
 ウェイツという人間を知るにはこの『ダウン・バイ・ロー』を観て貰えば十分なのだが、それではアルバム・レヴューにならないので、このへんで音楽モードに切り換えよう。

 ローファイ・サウンドとやらが大ハヤリで、プロデューサーチーム"チャド&フルーム"が手掛けたロス・ロボス、ラテン・プレイボーイズなどには、私も、もう、熱狂的にハマった。しかし考えてみれば彼らがやっているミョーなパーカッションや籠もったインストゥルメンツなんてウェイツが10年以上も前からやっていたことじゃないか。最近良く聴くちょっとハードなボトルネックにしても、やはりウェイツの十八番アレンジだ。
 そうした特徴的なアレンジはこのアルバムでも十二分に聴けるのだけど、そうだなぁ、そのイメージを総括すればまぁ"ハード・コア・ブルース"といったところか。参加ミュージシャンもイイねぇ。マーク・リボー(g)にレス・クレイプール(b)、にわとりさんにいぬさん(本物)と来たもんだ。
 破壊的なダミ声で有名な人だが、マトモに歌うと死ぬほど巧いし、酔わせるのだ。ちょっと驚いたのは3曲目の「Hold On」で、これを聴いた時に思い出したのは意外にも東海岸系の知る人ぞ知るシンガー・ソングライター、ピーター・ゴールウェイだった。曲も、歌も、ちょっと似ている。

 アルバムの収録曲はいくつかに分類される。一番目立つのがガナリ立てのノイズィー・ブルース、まぁ彼のパブリック・イメージ通りのナニだ。そして朗々と歌いあげるオールド・アメリカン・ソング。そのメロディーやピアノからはなんとティンパン・アレイの伝統まで感じてしまう。さらにこの前に書いた切々と語りかけて来る様なソングライター系のサウンド。
 ガナリ立てサウンドでウェイツを避けている人も多いかもしれないが、そんな人にこそフル・アルバムでしっかり聴いて欲しいと思う。朗々系、切々系のウェイツを聴いて、滲みて欲しいのだ。これらのナンバーでのウェイツは、もう、「珠玉」という感じである。こんなダミ声がなんでココロに滲みるのか自分でもよーわからんが、ともかく感じる。
 この文章、実は大阪帰りの夕方の新幹線の中で書いているのだが、岐阜羽島あたりの水田を眺めながら聴くとこれがまたハマるのだ。揖斐川がミシシッピ川に見えて来る...かというと、まぁそこまでは行かないが(笑)。

 しかし実はこのあたりがこのアルバムの難しいところでもある。そうした珠玉の名曲の次にガナリ爆発の過激ナンバーを聴くと、もう、ウンザリというくらいにクタビレちゃうのだ。本当に楽しそうに「いつもより過激にやっておりますッ」(by染之助・染太郎)という感じなのだが、これってウェイツの本当の魅力なのかな?
 雑誌のクロスレヴューでは絶賛の嵐。日本の評論家サンの間ではウェイツの活動に疑問を抱いてはいけないキマリになっているみたいだけど、うーむ、もうちょっと別な作り方もあったんじゃないかなという気もする問題作、だと思う。

 最後にまた映画の話。ウェイツと映画といのは本当に深い繋がりがあるのだ。大作の音楽を担当したり、主演作品があったり。中でもミュージシャンとしての才能が爆発したのは、やはりジム・ジャームッシュ監督の『ナイト・オン・ザ・プラネット』('91)ではないかと思う。ここでは彼は1曲しか歌っていない。ウェイツは、インストもスゴイのだ。しかしそう考えると、やはりウェイツの魅力はノイズではなく、味のあるメロディー・ラインやユニークなアレンジにこそある、となってしまうのだが...。

定成寛 from " サダナリ・デラックス "






See you next month

来月は " Good Oid Choice " 名盤の月です


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