インターネットロックページ共同執筆 新譜/名盤クロスレヴュー
月刊 ロック・クルセイダーズ No.004 Mar.'99
1999/03/20 Updated







今月は名盤の月です
Good Old Choice of this month

JIMI HENDRIX EXPERIENCE :
Axis: Bold As Love


MCD-11601 (MCA) 1967



「自分の生き方を探せ、そして自分の音楽を鳴らせ」 

 問題 :次につながる言葉を述べて下さい。
「ジミ・ヘンドリックスと言えば・・・・」
 さて、あなたはどう答えただろう?
「ギターに火をつける人」
「伝説のロック・ミュージシャン」
「マイ・フェイバリット・ギタリスト」
 十人十色の答えがきっと返ってくると思う。
 さて、ではあなたは彼の音楽(アルバム)を聴いたことがあるだろうか?
 そして「No」と答えた人は次のどちらかが当てはまっていないだろうか?
1. 自分はギターを弾かない
2. バンドというものをまだやったことがない

 1942年生まれ。15才の時にギターを手にし、20〜23才にいくつかのバンドに参加。やがて元アニマルズのベーシスト、チャス・チャンドラーと出会い、彼のすすめで渡英。66年、ベーシストにノエル・レディング、ドラマーにミッチ・ミッチェルが参加し、THE JIMI HENDRIX EXPERIENCE としてデビュー。数々の伝説を残しながらも、70年9月18日、ロンドンのホテルで睡眠薬服用で意識不明、自分の嘔吐物が喉に詰まり死亡。享年27才。4年弱の活動期間に発表されたアルバムはわずかに4枚。
 ロックの歴史を語る上で欠かすことのできない存在として知られるジミ・ヘンドリックスだが「ロック・ギタリスト」としての伝説があまりに強いため、自分でギターも弾かないし、バンドとかもやっていない人の場合、彼の名前は知っていても、彼のアルバムを聞いたことがないというケースは割と多いのではないだろうか。

 さて、このアルバム「Axis:Bold As Love」は1967年にイギリスで発表(アメリカと日本では68年)された彼のセカンド・アルバムにあたる。当時はサイケデリックが大きな盛り上がりを見せた時で(ビートルズの「サージェント・ペパーズ〜」などもこの頃)このアルバムのジャケからして、その時代の空気をそのまんま受けているが、30年近くがたとうとしている今、改めて聴くとこのアルバムが時代の中で風化していったカルチャーの中におさめられるようなものではないことがよくわかる。
 このアルバムの中におさめられている音楽は、正にミクスチャー・ロックの原点だ。各曲の中にジャズ、ソウル、ブルース、フォークといった複数のルーツが顔を覗かせる楽曲。それをギタ-、ベース、ドラムというロックにおける最小編成で演奏した結果がこれだ。ただ、彼の内に潜む音楽への衝動をもっとも表現しやすかったのがロックという方法論であり、エレクトリック・ギターだったのだ。

 黒人として生まれた彼がロックという方法論をとったこと。それは彼の黒人としてカテゴライズから解放される唯一の方法論だったかも知れない。「ブラック・ミュージック」という言葉を私達はごく自然に使っているが、「黒人の音楽」という差別的な要素を含んでいることとはまぎれもない事実である。ヘンドリックスがもし、イギリスに渡らなかったらおそらく既存のブラック・ミュージックの中に位置するブルーズ、ソウル、ジャズといった音楽の中にカテゴライズされて、自分の本当の音楽性を表現することは難しかっただろう。それと同時に彼はイギリスに渡ったことで、自分の中の「ブラックネス」が、自分のロックのアイデンティティーになっていることを感じたのではないだろうか。

 まだ、誰も聴いたことのないものをめざすというような作為的なものはなく、自分の中の衝動を音楽という絵筆を使って描いていったジミ・ヘンドリックス。その前例をみない音楽の登場に、人は彼を天才と呼び、多くのフォロワーを生みだした。にもかかわらず、彼を超えるほどの存在を持ったアーティストは彼の死後30年がやがて立とうとし、20世紀の終焉を迎えようとしている今なお、現われていない。そしておそらく二度と現われることはないだろう。彼はあの当時、異端な存在だったのだ。異端の烙印を背中に背負った彼は自分の存在を認めてもらうためにエレクトリック・ギターを手にして、ロックを鳴らした。そして、彼は自分の居場所を勝ち取ったのだ。
 今、このアルバムが私達に教えてくれることは、ロック・ギターの弾き方のお手本ではない。「自分の生き方を探せ、そして自分の音楽を鳴らせ」こんな大きなメッセージを伝えてくるこのアルバムこそ、正に「名盤」にふさわしい一枚だ。

岩井喜昭 from " Music! Music! Music! "



5年待ってて 

 ロックはヒネクレ者の為にある。と僕も思う。ヒネクレ者のロックファンの中でも特に辺境に位置する僕のようなリスナーにとって、ブルースロックからハードロックに至るいわゆる王道は、あんがい縁遠い所にあるものだ。ブルースの持つ、誰が見たって圧倒的に悲惨な状況からうまれた理解しやすい悲愴感。ロックのルーツにブルースがあり、それ故に偉大なロッカーは本物のブルースマンでなくてはならない、とかいう論理にも賛同しかねる。おいおい、ロックに「本物」は必要なのか。
 そしてハードロックに至っては、そのマッチョな肉体美の中にロックの偏屈なメンタリティなど微塵も見い出すことができない。かくして王道を外れ、ソフトロックとかいう胡散臭い音楽を愛することになるわけだが、これがなかなか風当たりが強いワールドなのだ。耳の肥えた大人のロックファンから鼻で笑われる己に、ちょびっとだけ異端気分を味わってみたりしてるんだから、最近の若いもんはまあすっかりダメ人間て感じだ。いいの別に。

 さて、今回のお題はジミヘン。ジミヘンといえばこれ歯でギターを弾き、そして燃やす人である。われわれ軟弱系ロックファンから見れば敵の大ボスと言えよう。のっけから斜に構えてプレイヤーの再生ボタンを押す。自己陶酔の中で耳障りなギターを弾く、豪放な男の姿を想像しながら。
 1曲目"EXP"は、フラワームーブメント華やかりし時代の空気をそのまま伝える、アルバムのイントロダクションだ。SE的に使われるギターはイメージしていた通りの音がした。そらそれ見たことか。ところが2曲目...3曲目...。印象的なリズムは、悔しいけれど気持ちいいのだ。「ギターが気持ちいい」のではない。「ギターとベースとドラムが気持ちいい」のだ。衝動だけで弾いているわけじゃない、リズムの構造を的確に捉えて、トータルなグルーヴを産み出すギターだ。叩き過ぎるドラムをフォローするかのように聴こえる時さえあった。どうやらジミは、傍若無人なゴリゴリ野郎ではなさそうだ。耳にこびりつくリフの臭い、そこから広がる多彩なリズム。パフォーマーとしてのジミのイメージばかりが先にあって、彼にアイデアマンとしての一面があるなんて思いもしなかった。
 ただ、泣き路線の楽曲にはやっぱり閉口だ。アルバムの人気曲、とライナーノートには書いてあった"Little Wing"の粘ったるさ。どうでもいいけどこの曲、やけに短くないか。

 と、思うところだけを書き並べて字数を稼いでみたけれど、ジミの熱心なファンが見たらきっと怒り出すだろう。こんないい加減なレビューはあまりない。なんてったってジミは天才である。天才であるからして、誰もが思いつく限りの美辞麗句を並べ立てて絶賛するのだ。でも、心の底から彼の天才を確信している人が何割いるだろうか。半分くらいだと思うよ。
 もちろんジミが天才じゃない、と言っているのではない。正直なところ、僕にはジミの天才を実感できないのだ。なぜなら彼の音楽は、僕がいま心から欲している音楽とは少し違うから。天才の天才性を理解するって、ほんとはとても大変なことだ。伝説のジミヘンだからということで取りあえず讃えておくことはできるんだけど、心無い誉め言葉を並べ立てるのはジミにもそのファンにも失礼だ。今の正直な感想は、まあだいたいこんなところ。

 余談ながら、Charがジミヘンの凄さを本当に理解したのは30歳を過ぎてからのことだそう。ジミ・ヘンドリックス、'67年当時25歳。そして享年27歳。早熟だよな。生き急いだかな。
 このアルバムの持つ、生活臭のない世界観やパンの目眩はまんま'67年の空気だけど、ジミのサウンドメイキングとは絶妙なミスマッチ感がある。ノエル・レディング作の"She's So Fine"だけが微笑ましいほど直にブリティッシュサイケデリック路線なので、ジミの違和感が余計に際立って感じられる。
 ロック史はジミにたやすく「天才」「ロックの基本」との評価をくだしてしまう。でもこの時代にあって、黒人のロックギタリストとしてイギリスのアメリカ人として、25歳のジミは基本なんかではなくむしろ異端であった。それ故に、彼にはエキセントリックなパフォーマンスが必要だったのだろう。このねじれこそが、ジミの音楽に今も力を与えているのかも知れない。
 僕はまだまだ青臭いロック少年みたいだ。でもいずれ僕にもジミの音楽が届く時がくるような気がするのだ。うーん、もう5年待ってて。

山下元裕 from " POYOPOYO RECORD "



天才は全てを「越境」して、消えた 

 全くややこしい時代になったものだ。ロックが好きだというから話してみると、お化粧系ヴィジュアルバンドのファンだったり、ジャズファンだと聞いて会ってみると、'80年代以降の"新伝承派"とやらの信者だったり、「映画観ますよ〜!」というから期待して聞くと、爆音轟くバイオレンス映画専門だったり...すいません、不肖サダナリ、何れも全く縁がございません。
 かくの如く、世の中は「多様化」の時代と相成り、ひとくちにロックファンだ、ジャズファンだと言ってもなかなか会話が成り立たないのであった。
 思えば今から10年前、「消費生活の多様化は新たなカテゴリー"個衆"を生み、マーケット・チャンスの拡大をもたらす」などという呪文を卒論として、都内某四流大学経営学部を出た私ではありますが、どうも極端な多様化はシラケだ断絶しかもたらさない様でした。10年目の反省。つまんねぇ世の中になったもんだぜ。

 さて、そこでジミヘン。ハードなもの、ヘヴィなもの、古臭いものという認識があるならば、それは大きな誤解である。ジミヘンこそ、ソフトでメロウでグルーヴィーなロックを追いかけるヤング世代と、我々、歪んだギターが嬉しいロックオヤヂの断絶を埋めるもの、という気がするのだが、どうだろう。もしかしたら、お化粧系バンドファンの彼とも、語り合えてしまうかもしれない、そんなサウンドが溢れて来るのだ。

 このアルバム『Axis: Bold As Love』は、ジミヘンの多様性を物語る秀作である。ミクスチュアー・ロックという呼び方がされるジミヘンだが、私の印象はそれを超えて、「スペクタクル」という感じだった。ちょっと細かくなるが、曲を追ってその印象を書いて行くならば...。
 Radio EXPのコラージュから始まるモダンな造り、なんと1曲目はノイズである。2曲目は一転、ジャズ風のシャッフルとヴォーカルが聴ける。つづく3曲目は天下のジミヘンの面目躍如、ヘヴィなギターが嬉しい。しかし突然の4曲目のクリアなギターに驚かされる。これは"メロウ・ソウル"に入れてもいい軽快さだ。"アーチー・ベル・ミーツ・ナイル・ロジャース"とはめちゃくちゃ強引(笑)。しかし、こう書けばオシャレなヤングも興味を持つだろうか。

 後半は若干ブルース調となる、と、思いきや、イイ感じのソウル風のナンバーもあり...うーん、ほんとになんでもアリだなぁ。妙な話だが、「あぁ、これは学生の頃に聴いたヨコハマのロックの感じだなぁ」とか、「こんなサウンドが、FENでよくかかっていたなぁ」などと回想することしきり。しかしそれは勿論、順番が逆で(笑)、このジミヘンこそオリジナルなのだろう。
 そんなことを考えながら聴き進めるうちに、とんでもないことに気がついた。もしかしたら、このアルバム、いや、ジミ・ヘンドリックスという人は、我々が「ロック」をやる時になにをすべきかを次々と提示してくれているのではないか。ギターのカリスマという枠では全く収まらない、リズムのネバり、ヴォーカルのシャウトからサウンド・メイクに至るまで、その多様性にこそ注目すべきだろう。そう考えて得た結論が、「これはロックのスペクタクルである」だった。
 アーチー・ベル&ドゥレルズ、ナイル・ロジャース、スライ&ザ・ファミリー・ストーン、ザ・バンド、フランク・ザッパ(?)、スロッピン・グリッスルにジョン・ゾーン(??)...どれほどの名前を挙げれば、そのサウンドを例えることが出来るだろう。いずれもナウなヤングたちの「必須科目」となっている様だが、では、このビッグ・ネイム、ジミ・ヘンドリックスのアルバムは聴かれているのだろうか?。少々不安になって来る。
 ちょっと突飛な発言かもしれないが、例えばサディスティック・ミカ・バンドに於ける高中正義のギターなども、このジミヘンあってこそ、などという気もするのだが...。

 しかし一体彼はどうやってこんな多様な引き出しを得て、さらに表現をして、そして消えてしまったのだろうか。どこかで、なにかの弾みに、「見えて」しまったのだろうな。もしかしたら神の様な存在が、「ちょっくらコイツにやらせてみるべぇ」と彼にその力を与えたのかもしれない。そして彼の出すサウンドは全てが「ロック」となり、生き方も、彼自身も「ロック」となり、消えた。あたかも1曲が終わるかの様に。もしかしたら、神の様な存在は"期限付き"で彼にその力を与えたのかもしれない。

 あぁ、なんてことを書いているんだろう(苦笑)。だが全くの無神論者で、宗教的な事象が非常に苦手な私でも、ふとそんな事を考えてしまう。それほどまでにジミが活動した(僅か)4年間というのは、不思議なものに思えるのだ。天才は全てを兼ね備えて−「越境して」という言い方も面白いかもしれない−吐き出して、ついでにゲロも吐いて、詰まらせて、死んだ。ともかく様々な事を提示して、消えてしまったのだ。もう、彼はいなくて、残されたのはこのアルバム、ということだ。

 お化粧系でも、メロー・ソウルでも、ソフト・ロックでも、なんでもいいよ。どんなジャンルでも、ギターというのはこうなるハズだし、リズムというのはこうネバる、こうハネるハズだ。優れた芸術は強い普遍性を持つ。映画の世界で良く云われることだが、このアルバムにも、そしてジミ・ヘンドリックスという人間についてもそれは当てはまる。
 レア盤探究では出会えない、濃ゆいエッセンスを知るべし。こういうの聴いておかないと、人生あとあと困るぞ。「オマエ、エラソウナコト言ッテ、聴イテンノカ?」だって?ふふふ、あっちこっちのライヴを繋げたヴィデオを持っていて、会社でヤなことがあった晩に焼酎呑みながら観てるのだ(笑)。

定成寛 from " サダナリ・デラックス "






See you next month

来月は " Brand New Choice " 新譜の月です


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