インターネットロックページ共同執筆 新譜/名盤クロスレヴュー
月刊 ロック・クルセイダーズ No.003 Feb.'99
1999/02/20 Updated







今月は新譜の月です
Brand New Choice of this month

RUFUS WAINWRIGHT : Rufus Wainwright

MVCA-24010 (Universal Victor) 1998/05/21



完成されすぎたデビュー・アルバム 

 このアルバムを最初に聴いたのは、確かタワーレコードの試聴コーナーだったと思う。その日はちょうどクリスマスを目前にひかえた日曜日で、人でごった返していてたし、店内には「アタシのアルバムを買って〜!」と叫ばんばかりにマライア・キャリーのあのクリスマス・ソングが鳴り響いていたという、つまりじっくり自分のお気に入りのCDを探せるようなシチュエーションじゃなかったわけで、そんな中で聴いたこのアルバムは、私の耳にはひっかからなかった。
 こうして改めてコーヒーを飲みながらゆったりとした気持ちでこのアルバムをかけた時、その洗練されたソングライティングのセンスをじっくり堪能することができた。メロディーラインに演劇的な要素みたいなものが感じられるところにトム・ウェイツに通じるものもある気もするが、彼のインタヴューなどを読んでオペラからの強い影響もあると知って納得がいく。

 全体を聴いて感じたのは、彼の作る曲は、ポップな要素を含んでいるものの「ポップ・ソング」ではなく「作品」とか「楽曲」とかいう言葉がしっくりくるような気がする。単純なコード・シークエンスの繰り返しをバンドサウンドでならすのではなく、練り上げられたメロディーラインを武器にして聴く者を曲の世界へ引きずりこんでいく。引きずりこまれてしまった者はいつしか自分がそれまでしていた他事の手を止めて、彼の音楽に聞き入ってしまうのだ。(私自身、そうだった)
 しかし、そのソングライティングの実力は確かに素晴しいのだが、商業的にはどうにもそれが逆にアダになるような不安もするのだ。たとえば、私がFMラジオの番組ディレクターだとしたら、彼の曲をかける時はかなりそのシチュエーションに注意を払うだろう。いや、場合によってはかけたくてもかけないかも知れないとさえ思えてしまう。なぜなら、そのあまりの音楽の完成度の高さが、何かをしながら軽く聴き流せるという曲ではないと思えてしまうのだ。
 例えば、あなたがこのCDを誰か(例えば彼女だとしよう)に「いいCDがあるんだ」と言って聴かせたとしよう。おそらく「二人とも聞き入って黙ってしまう」か「BGMとしての機能をはたさないBGM」になるのではないだろうか。

 幸か不幸か、私達が日頃耳にして聴き慣れている音楽は、その多くが「ポップ・ミュージック」としてのフォーマットを持った音楽である。そしてそのポップ・ミュージックの歴史はまだ50年もたっていないほど、この世に存在する音楽の中では歴史の浅いものだ。しかし、ルーファス・ウエィンライトの作り出す音楽の中に色濃く入っているDNAはオペラやクラシックというしっかりした歴史を持つ音楽だ。ポップ・ミュージックなんて小さなフォーマットの中で表現できるほど彼の音楽の世界は狭くない。そんなDNAを備えた「良識を持ったサラブレッドな音楽」が、「良識のない方が多いであろう音楽」がひしめきあうミュージック・ビジネスの中で生き残っていくことができるのかどうか。
 これとタイプは違うが、かのライ・クーダーなどはそのポップ・ミュージックが幅をきかす時代の犠牲者の一人であろう。その卓越したギターの腕以上に、素晴しい音楽家でありながら商業的にはなかなかめぐまれず、映画のサントラを担当したりすることでどうにか生き残っている。そしてライもまた、ポップ・ミュージックというフォーマットの表現の狭さ(&その商業主義に)に窮屈さを感じているミュージシャンだ。
 このルーファス・ウエィンライトも同じ道をたどる可能性はじゅうぶんある。レニー・ワーロンカーがバックについてることにしたって、商業的に成功しなかったら「君、これから、僕の事務所の裏方にまわってね」なんてパターンを想像させてしまうのだ。
 生き残るためには「あざとさ」も必要なんだから、次作ではメジャーどころと共演して話題をかっさらっていってほしいと願う私である。

岩井喜昭 from " Music! Music! Music! "



模倣に終わらない新しい古典 

 プレイボタンを押すと、ゆったりとしたピアノに導かれて、回転数を間違えたような眠たい声が流れてきた。ありゃりゃ。間違えて隣のトレーに入ってるランディ・ニューマンが掛かったかな? そんなはずはない。トレー1には青山陽一の素晴らしいアルバムSo Far, So Closeが、トレー2にはニューラディカルズのデビューアルバムが入りっぱなしになっているんだった。そもそもランディ・ニューマンなんて、ここ何年も聴いてないぞ。むむっ、ということはこの眠たそうな音楽は、間違いなく98年の新人の、デビューアルバムの1曲目なのだ。
 この1曲目「Foolish Love」は、映画のシーンが次々と展開するみたく、曲想が次々にかわっていく構成だ。映画音楽みたい、というより、映画そのものみたいなつくり。そんなところも、映画音楽家として成功したランディを彷佛させる。3曲目の「April Fools」は、アンビエントタッチのイントロから、ポップに弾けるコーラスが気持ちいいシングル向けの1曲。でも、90年代的なメロディが耳に残るのはこれとあと数曲くらい? アルバムを通した印象は、ルーファス自身によるピアノと流麗なストリングスに包まれたクラシックなサウンド。ポップさを保ちながらも、青白い夜と静かな色気をたたえていた。

 ルーファス・ウェインライトと彼のアルバムについての僕の知識は、ジョン・ブライオンとヴァン・ダイク・パークスの共同プロデュースであること、そしてゲイであること。ジョン・ブライオンは、ジェイソン・フォークナー脱退後のジェリーフィッシュにサポートメンバーとして参加していた人物だ。ジェリーフィッシュというバンド、ポップスのショーケースみたくバラエティ豊かな音楽で絶賛をあびていたけれど、僕にはちょっと胃がもたれる感じで実はあまり聴き込んでないのだった。ジョンのギターはさっぱり覚えてない。ヴァン・ダイク・パークスは言うまでもなく、バーバンクサウンドの伝説的プロデューサー。ランディのデビューアルバムも、ヴァン・ダイクのプロデュース作品だ。
 ジェリーフィッシュといえば、クィーンみたいなテカテカのイメージ。ヴァン・ダイクといえば映画音楽みたいな躍動感のあるストリングスが頭に浮かんで、二人が共同プロデュースするとどんな音が出てくるのか、全く想像がつかなかった。で、出てきたのがこの音だ。ジャケットを裏返してみて納得。なんだ。エグゼクティブプロデューサーはレニー・ワロンカーですか。ワーナーを離れてもヴァン・ダイクとつるんでバーバンクサウンドなのだ。ランディ似も無理はない。レニーとヴァン・ダイク、伝説の当事者達。そして彼らのグッドオールドミュージックを聴いていただろう若いルーファスとジョン。

 ルーファスと僕は同世代だ。若干サバ読んでるように見えるかも知れないが気のせいだ。グッドオールドミュージックに憧れる僕らは、音楽に目覚めた時すでにロックに「歴史」が出来あがっていた。革新を競い合った時代はパンクと一緒に終わって、60年代の音楽と90年代の音楽を同時に聴いてもいい平和な時代に育った。好きなレコードに囲まれて、「レコードを聴くようにレコードを作る」、レコードを聴いている心地よさをレコードにするミュージシャンがたくさんうまれた。
 そんな中で、ルーファスのスタンスはちょっと特異だ。彼の表現は、フィクションであってもマイノリティとしての自分の眼に支配されているように思える。単なるノスタルジーや憧れだけに陥らない切実さ、痛々しさ。ルーファスは、クラシカルな音楽に憧れているのではなく、新しいクラシックになろうとしているように見える。「バーバンクサウンドの子供達」ではなく、ヴァン・ダイクと同じ視座に立って、ガーシュインに連なるポピュラーミュージックの大きな歴史の中に身を置いているような存在感なのだ。
 ロックの樹形図を辿ってみると、60年代末に生まれたバーバンクサウンドは70年代後半には消えていった。ルーファスの音楽はその消えた線上ではなく、60年代末から新たに伸びる別の枝の上にある。そしてランディとは似ても似つかないベクトルに向かうのだろう。

 なーんてことを想像しながらもこのアルバム、単純にいい曲揃いで気持ちいい。けだるい冬の中央線で、皮肉も狂気も全部抱えて、生温かい椅子暖房に足がとろけて眠る瞬間のような。こういう音楽をだらだら聴いていると真面目に仕事するのが馬鹿馬鹿しくなってくる。でもただのネガティブではない、この偏屈な存在感も、やっぱりロックなのだ。

山下元裕 from " POYOPOYO RECORD "



歪まない、シャウトしないが、しかしロックだ! 

 そろそろここの執筆者3人のうちの誰かが書くかもしれななぁ。早いもの勝ちだ、えい!書いてしまえ。「ロック」そのものについて書く。

 多分3人ともが感じてると思うのだが、毎月1枚、コンスタントに「ロック」のレヴューを書いているうちに今更ながら考えさせられるのが「ロックとはなんぞや」という問題である。歪んだギター?シャウトするヴォーカル?激しいリズム?いずれも「十分条件」ではあるが「必要条件」ではないような気がする。クリアなギターにも、呟く様なヴォーカルにも、そして淡々としたリズムにも、更にある時は流れるようなストリングスにさえも、十分すぎるくらいにロックを感じることは出来ると思う。例えばこのルーファス・ウェインライトの様に。

 さぁ、ルーファス・ウェインライトを聴いてみよう。オープニング・ナンバーの「フーリッシュ・ラヴ」はいきなりピアノの弾き語りだ。しかし、ポップスという感じではない。バラードとも...ちょっと違うな。クセの強いヴィーカルが描く世界は明らかにロックだ。古き良きトラディショナル・ミュージックを思わせる2曲目はその名も「ダニー・ボーイ」。このナンバーもメロディー・ラインこそトラディショナルだが、小刻みなリズムと珍妙なパーカッションは明らかに"ニューウェイヴ以降"を感じさせるものがある。
 そしてこのアルバムで一番の聴きモノとなっているのがヴィデオ・クリップも作られた続く3曲目「エイプリル・フール」であろう。あぁ、この懐かしい感触はなんだろう!。この曲に流れるモコ〜っとしたシンセを皆さんはどのように感じられるだろうか。私は懐かしくてたまらなかった。'80年代の超名盤、イギリスのエレクトリック・ポップ・グループ"New Musik"のアルバム『From A to B』('80年)に入っていた、高橋幸宏と鈴木慶一のユニット"ビートニクス"の1st『出口主義』('81年)に入っていた、そしてグラスゴーの寡作バンド、我が最愛の"The Blue Nile"の1st『A Walk Accross The Rooftops』('83年)にも入っていた。あの音だ、あの音が、また聴けた。ここで、ロックには「不思議な音色」も重要であることに気づく。

 ロックファンのツボを押さえたこのアルバムの仕掛人はアメリカン・ロックの鬼才ヴァン・ダイク・パークス御大と、'90年代初頭にヴェテラン・ロック・ファンを唸らせた幻の極上ロック・バンド"ジェリーフィッシュ"のジョン・ブライオンである。超ヴェテランと、中堅プロデューサーと、新人アーティスト、なんとも面白い組み合わせではないか!。
 ヴァン・ダイクは私が師と(勝手に)仰ぐ音楽家である。追い続けて15年、'88年の初来日ステージも観た。ジェリーフィッシュも来日ステージこそ逃してしまったものの、ある一時期聴き狂っていた。そうした耳でこのアルバムを聴くと...まず耳に付くのは4分を刻む几帳面なピアノか。ビートルズの様な、クイーンの様な(笑)、そのピアノは明らかにブライオンの趣味である。後半は古いオペラを思わせる様なストリングスが出てくるが、そのへんはヴァン・ダイクのテイストかな。全てが満点というわけではないが、いずれにせよ最近の新譜ではちょっとお目にかかれなかった嬉しいアレンジではある。

 正直に書くと難点も多い。ルーファスのヴォーカルはあまりにもクセが強過ぎて、アルバム1枚通して聴くと、ちょっと、飽きる。このクセの付け方からトム・ウェイツを連想する人もいるかもしれないが、うん、ウェイツに飽きるってことはないよね(笑)。あの声は麻薬だ。ルーファスは、まだ、麻薬にまでは熟成されていない。しかしこれは今後の課題であり、もしかしたら、時間と経験が解決してくれるかもしれない。
 アレンジの問題もある。ルーファス君、いつまでもヴァン・ダイクやブライオンが面倒を見てくれるとは限らないよ(笑)。二枚目以降の製作体制がどうなるかはわからないが、ウルサがたのロック・ファンを惹き付ける、魔法の様な味付けを彼らがやってくれるのは今回限りになるかもしれない。結局はルーファス自身のソング・ライティングとヴォーカル、そしてサウンド・クリエイターとしての能力に懸かって来るのだ。がむばれ。

 と、いいつつ、実は私は彼の「次の一手」、しかも彼自身の才能の一層の開花に大きな期待をしている。未だ25歳というルーファスは実は音楽一家の一員でもある。母親ケイト・マクギャリグルは'60年代半ばから活動を続けるヴェテラン・ミュージシャンで、ニューオーリンズのジャズ&ヘリティッジ・フェスティヴァルにも参加する程の人物である。父親ラウドン・ウェインライトも数十年のキャリアを持つシンガー・ソング・ライターだ。
 残念ながら両親は離婚をしているのだが、母親に引き取られたルーファス本人も母親の出身地であるカナダのマッギル音楽大学を卒業している...ん?マッギル?バート・バカラックの後輩じゃないか!。斯くの如く彼は今後、我々を唸らせる実力派ミュージシャンになる(かもしれない)可能性を十分に秘めているのだ。
 このアルバムも全曲、彼のオリジナル。セッション段階では実に50曲以上が録音されたという。最近ハヤりの「引用型」ではない、正統派ソング・ライターの久々の登場に、否が応でも期待は高まってしまう。

 しかし、これ、ロックだなぁ。ちょっと辛めに星は「2つ」とさせて貰うが、コムロでオブチなウンザリ世紀末に、こんなに懐かしいロックが流れて来る!ということは嬉しくてたまらなかったよ。結局ロックとは...我々ロック・ファンが「これはロックだ」と思えばロックなのだ。それでいいのだ。

 追伸。このルーファス・ウェインライト、ほんの一時期ではあるが「GAP」のTVCMでお茶の間にも出現していた。真っ白なスタジオで、グランド・ピアノを弾きながら唸っていた彼である。こう聴いて「あぁ!」と思い出した(奇特な)人は、このアルバム、買うべし。

定成寛 from " サダナリ・デラックス "






See you next month

来月は " Good Oid Choice " 名盤の月です


(C) Written and desined by the Rock Crusaders 1998-1999 Japan





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