インターネットロックページ共同執筆 新譜/名盤クロスレヴュー
月刊 ロック・クルセイダーズ No.002 Jan.'99
1999/01/20 Updated







今月は名盤の月です
Good Old Choice of this month

XTC : Oranges & Lemons

VJCP-23141 (Virgin) 1989



ドラマー不在のバンドの逆襲の成果? 

 音楽をクリエイトしていく上で、そのバンドの楽器編成というのは実は重要なカギになっている。なぜなら、作品を作っていく中でそれぞれの楽器によってつちかった音楽性が下地として大きな意味を持つからだ。
 例えばギタリストが曲を作ると大抵ギターの開放弦を含んだA・G・Eなどといったキー(調)から曲を作ることが多いし、キーボーディストだったら和音構成の複雑な曲を作ったりする。ビートルズの「レット・イット・ビー」やイーグルスの「デスペラード」といった曲がピアノの初心者でも割と弾けてしまったりするのは、曲を作った本人達が、もともと鍵盤楽器を本職としていないギタリストやベーシストでありながら、作曲時にピアノを弾きながら作ったためにその演奏力のボキャブラリーの少なさが関係して、ああいったシンプル(簡単)なコード進行の曲になっている。(別にそれが悪いというわけではないので。念のため)

 で、なんでこんなことを言い出したかというとこの「オレンジ&レモンズ」を聴いていると、これがよくも悪くもこのバンドのメンバーの担当楽器をよく表わした内容になっているのだ。そしてそれが聴く側にとっての好き嫌いの判断材料に大きく関わっていると言ってもいいだろう。
 リッケンバッカー社の12弦ギターが気持ちいいアルペジオを鳴らしながら、その下でまか不思議なベースラインが蛇のように動きまわり、ポップかつ複雑なメロディーラインがのる「THE MAYER OF SIMPLETON」は、10年経った今なお新鮮に響く。しかし、演奏の中味に目を向けるとギターとベースは曲をぐいぐい引っぱっていきつつも、リズムを担うドラムの方は便宜上鳴っていると言ってもいいほどシンプルなプレイである。ドラムが鳴っていなければ、それはそれで物足りないとは感じるだろうが、それは物理的な感覚に近く、音楽的な貢献度というのは低い。おそらく曲がつくられる時にドラマーの存在はなかったのだろうということは察しがつく。だから、その物足りなさを解消すべくギターとベースがあれだけ動いているのだ。そういう意味ではこのバンドのメンバーのアンサンブルのセンスとそれをこなせるだけの演奏力は大したものである。

 たしかにアンディー・パートリッジ(以下パートリッジ)ほどのメロディーセンスがあれば、別にドラムのグルーヴを借りなくたって通用するだけの曲はできあがる。ましてやこれだけのアンサンブルを鳴らせる他の2人のメンバーがいれば鬼に金棒だろう。
 しかし、音楽のクオリティというのはメロディー&ハーモニー、音色、リズム&グルーヴといった各要素の総合力によって決まるものだ。ドラマー不在の彼等にとってどうしたってリズム&グルーヴの面で不利を強いられることは、その分他の要素に請け負う負担が当然多くなるわけである。もし、メンバーの中にドラムを聴いているだけでも気持ちいいグルーヴを刻んでくれる程の力量を備えたドラマーがいたら、彼等ももっと楽ができる分、アレンジもシンプルになったかも知れないし、あるいはパートリッジの書くメロディーももっと違ってたかも知れない。
 以前、パートリッジは「ロックンロールには直接的には全く影響を受けていない」と言ったことがある。「リトル・リチャードもチャック・ベリーも僕には火星人みたいなもので、すばらしい思い出なんてひとつも残ってない」とのたまう彼の言葉が「うちのバンドじゃロックンロールをやろうにも、気持ちいいグルーヴを出してくれるドラマーなんていないんだよ」という不満の声の裏返しに聞こえてしまうのは私のかいかぶりだろうか。
 XTCというバンドが6作目のアルバム「MUMMER」制作中にドラマーが脱退した時期からレコーディング・バンドとしての体裁をとりはじめていったことにしても、彼の音楽的欲求の中にドラマーの依存度が高かったにもかかわらず、自分の満足できるドラマーがいなかったことが今の音楽性へ向かうきっかけになったのではないかとさえ思えてしまう。そう、あの山下達郎が自分の満足できるコーラスを再現できる人間にめぐまれなかったために「ひとりアカペラ」という方法論をとったように。度重なるプロデユーサーとのもめごとにしたって「ドラマー不在のこのバンドの音楽を一番真剣に考えているのも、一番うまく鳴らせるのも俺だ〜!」というパートリッジの責任感と意地のあらわれにさえ思えてくる。
 もし私の読みが当たっているとしたら、私は迷わずこのアルバムに「大変よくできました」のハンコを押してあげたい。

岩井喜昭 from " Music! Music! Music! "



恥ずかしい話をしよう 

 ロックの歴史に多大なる影響を与えた...訳ではない。当時爆発的にヒットした...訳でもない。ましてや近年再評価の気運があるでもない。でも、80年代を「生粋のTokyo Shyness Boys」(もしくはGirls) として過ごしたなら、XTCの名前は胸の奥底に、甘酸っぱく恥ずかしいトラウマとして潜んでいるはず。
 ロックという音楽、いや、ありとあらゆる表現活動には、普遍的な価値なんてどこにもないのだ。例えば僕が50年代のサンフランシスコに生まれていたら、ロンドンに生まれていたら、胸の奥になにを潜ませていたろうか。

 ライブバンドとして人気だったXTCがステージ活動を辞めることを決めたのは1982年のこと。バンドの顔役アンディ・パートリッジの、精神面でのトラブルが原因だ。ロックの歴史を紐解けば、ステージフライトからライブ活動を辞めて、レコーディングに専念したミュージシャンなんていっぱいる。ロックの名盤のいくつかは、そういった状況下から生まれている。でもそれは、商業的に大きな成功をおさめた後だから許されること。新進バンドにとって、プロモーションの核になるのはやっぱりライブ活動だ。そして、ステージを去ったXTCにはまだ、悠々自適のレコーディング生活を送るだけの余裕はなかった。
 ライブ活動を辞めたXTCは「リボルバー」も「ペットサウンズ」も生み出さなかった。覇気のないアルバム「ママー」、オーバープロデュースの「ビッグエキスプレス」。見事に売れなかった。最初の奇跡は、そんな閉息状況の中で起きた。レコード会社にも見放されて暇を持て余したバンドは、発売の目処もシガラミも何もない状況でテープを回すことができたのだ。
 ビートルズ、ストーンズ、シドバレット、スモールフェイセズ、マンフレッドマン、キンクス、ホリーズ、バーズ、ビーチボーイズ...。10代の頃に買ったドーナツ盤のサウンドを、煮詰めて煮詰めて作ったフランケンシュタインの怪物たち。60年代のロンドンで思春期を過ごした3人の、胸の奥に潜んでいたロック。この究極のパロディアルバムは、「倉庫の奥で発見された60年代の幻のバンド、デュークス・オブ・ストラトスフィアの音源」として発売された。そして売れた。

 次に訪れた大きな奇跡が、XTC名義での傑作ポップアルバム「スカイラーキング」と「オレンジズ&レモンズ」だ。ふうっ。前置きが長くなったなあ。
 「スカイラーキング」は、芝生の上の瑞々しい色気に溢れたアルバムだ。アンディ・パートリッジとプロデューサーのトッド・ラングレンとの間に確執があったことは有名。だけど、トッドの薄味のサウンドは、アンディのメロディセンスと少年性を見事に浮き彫りにした。トッド正解。
 その反動から、アンディのマニア体質を思いきり爆発させたのが「オレンジズ&レモンズ」。統一感のある「スカイラーキング」には納まりきれなかった、雑多でパワフルでコミカルなロックのスープだ。アンディ正解。カラフルなジャケットを開けば、うねるリズムが地上の楽園へと誘う。いかれたギター。もちろんあります。転がるベース。もちろんあります。はきはきドラム。もちろんあります。胸踊るメロディー。情景。逃避。気高さ。そして胡散臭さ。
 全くタイプの違うこの2枚が、同じように聴く人の胸を掻きむしるのはなぜか。それは、デュークスのレコーディングで取り戻したロック少年のときめきを、XTCというプロの目で捉え直した結果だから。図らずも、「スカイラーキング」には60年代の少年アンディの内面が、「オレンジズ&レモンズ」には彼が見つめる60年代ロックの熱が凝縮されることになった。この2枚、セットでお楽しみいただきたい。

 ロックは基本的に少年少女の娯楽だ。成長の過程の中で、自分の可能性について、自分の価値について、劇的に広がる世界の中で自分の所在なさを思う時にふっと現れる。そして、心踊らせるリズムで少年少女の青臭い「疑問」を肯定する。だから、一度ロックに取り憑かれてしまうと一生世間に違和感を持ちながら生き続けることになる。「オレンジズ&レモンズ」は、社会不適応者のまま三十路も後半に差し掛かったロック親父が、自らを陥れたロックに示した忠誠の告白なのだ。

 後日談。「オレンジズ&レモンズ」から3年を経て発表された当面の最新作「ノンサッチ」は、名曲・名演揃いで恐ろしく完成度の高い、駄作でありました。アンディが方法論に埋没したのか、聴き手の僕が変わったのか。いずれにしろ、魔法は消えてしまったのだ。以上、アップルとオレンジとレモンと、もうひとつのロックのお話でした。

山下元裕 from " POYOPOYO RECORD "



ロックはヒネクレ者の為にある 

 '80年代のはじめのことだ。私が高校生の頃、ロック・ファンの間ではスティングのバンド、"ザ・ポリス"が大人気だった。「ホンモノのロック」、「ストレートなロック」...ヒットチャートを賑わしてもいたけれど、ちょっとウルサいロック・ファンも彼らのことは認めており(一目置いていた、という感じだ)、幅広い層に聴かれていたといえる。しかし、私は自分から進んでは聴かなかった。確かにいい曲が多く感心はしたが、ラジオやTVで流れてくるので十分だと思った。そして私は、"XTC"に夢中だった。

 XTCは自分から進んで聴いた。いや、「進んで」なんてもんじゃない、むさぼる様に聴きまくった。ラジオやTVから自然に流れてくる様なバンドではなかったせいもあるが、とにかく、取り憑かれていたのだ。メジャーなポリスと、自主的に接しなければ聴けないXTC(マイナーか?というとそうとも言えない微妙な位置にいるのだが)−彼らには一種の共通点と、そして大きな相違点があった。
 共通点はブリティッシュ・サウンドの系譜を確実に感じる「ホンモノのロック」であること。ギターを中心とした愛すべき骨太ロックであり、口ずさめてしまう様な明解なメロディー・ラインを持つ点も似ていた。しかしだ、私がポリスを放ったらかしにして、XTCに狂っていた理由は−当然のごとく−その相違点にある。XTCはヒネクレていたのだ、しかも強烈に。

 これはXTCの、というかリーダーであるアンディ・パートリッヂ(g,vo)の最大の特徴だと思うのだが、明解なメロディー・ラインを持ちつつも、なんとも、それが、ヒネクレている。これは「ポップかつアヴァンギャルド」と言い換えても良い。
 学校のクラスで考えてみよう(ロックのレヴューでこんなのアリか?)。スポーツ万能でギターも巧い、おまけに勉強も出来やがって...がポリス。スティングなんてその通りだ(笑)。それに対して、体育の授業は仮病でサボり、ドン臭い奴かというとそうではなくて、ギターを弾かせるとめちゃくちゃ巧い。勉強は好き嫌いによるムラが激しくて...がXTCだ。実際アンディって、きっとこういう人だったのではないだろうか。高校時代の私も明らかに後者であった。まぁギターはいくらやってもヘタッピだったけどね。
 前述の通り、両者に共通するのは「ホンモノのロック」を演ろうという強い意志。お互いの精神と音楽は認め合い、リスペクトし合うが、当然サウンドは異なって来る。そして私は「クセのあるヒネクレ者」に惹かれた、というわけだ。「ホンモノのロック」ではあったけれど、「ストレート」ではなかったねぇ(笑)。XTCには「ぐにゃぐにゃ」という言葉が良く似合う。

 XTCなるバンドがどの様な連中なのかはこれでお判りいただけただろうか。しかしそのヒネクレ者集団にも時代による微妙な変化があった。私が聴き始めた頃はまさに「パンク円熟期」とでも言える時代で、ドラム、キーボードを含む4人編成で剃刀の様なキケンな...というよりも「ナタ」の様な大胆さで、タイクツな日常をズバズバとカッ割いてくれた。「こんなに激しいのに、こんなにポップ。何者なんだよこいつら?」と思う程の衝撃だった。正直に言うと「ポリスなんか聴いてらンねぇよ!」だったのだ。

 その後、キーボードの脱退、ドラマーの脱退があり、なんだか未だ見ぬ「桃源郷」を求める様な地味なアルバムが続き...一時期ちょっと辛かったなぁ。そして'89年に9作目にあたるこの『オレンジズ・アンド・レモンズ』。傑作である。ここで、何か掴んだのダナ(ちなみに「脱退したキーボード」とはロバート・フリップ(g)の"リーグ・オヴ・ジェントルメン"に参加ののち、シェリーク・バックを結成したバリー・アンドリュースである)。
 ギターの激しさ、跳ねるリズムは往年の「パンク円熟期」を彷彿とさせるものがあり、そして、それに最高の味付けがなされている。'60年代ロックのソース、ブリティッシュ・ロックの伝統の味、サイケ・フレイバー、更にはビートルズのエッセンスまでも!。そう、このアルバムには'60年代から脈々と流れる、ロックのエッセンスがギュっと凝縮されていると言っていい。

 このアルバムは売れた。XTCの歴史でも空前の売れ行きだったそうだ。世界中のヒネクレ者のヒーローだったXTCが、良識あるロック・ファンの認めるバンドへと脱皮したのだ。
 リーダーのアンディは'80年代の前半に精神のバランスを少々崩し、「ステージ・フライト」−ステージ恐怖症になって、「ライヴしません宣言」をしたのだが、このアルバムのあまりの売れ行きに気を良くして、アメリカのMTVでスタジオ・ライヴを行った。私は偶然にその光景を観たのだが、まぁ、満面の笑みで弾き語りをするアンディの楽しそうなのなんの(笑)。
 実はこの3年前、8作目にあたるアルバム『スカイラーキング』の製作過程でプロデューサーだった米国ロックの巨匠、トッド・ラングレンとアンディが大衝突。トッドのアゴでアンディが突かれたとか、アンディのパンチがトッドのチンに決まったとか、まぁ、ともかく「暴力沙汰もあったらしい」と噂されていた。で、その、トッドのアゴ...いやハナを明かすべく「俺達だけでヤリたいことヤルぜ!」が大成功したわけだ。そりゃ楽しいに決まってる(笑)。

 私にとってのロック、それはすなわちXTCであると言っていい。元気のいいドラムが鳴る、歪んだギターが追う、太いベースがグッとハマる、そしてちょっとエキゾチックなサウンドが溢れ出す...そんな音楽を聴きたいのならば、是非このアルバムを。英国音楽ファンには文句なくこの『オレンジズ...』を、米国音楽ファンにはガス・ダッジョン・プロデュースの10作目『ノンサッチ』('92年)をお薦めする。
 しかし、こんなアルバム「つい最近のもの」と思っていたのに、もう10年も経つのか。今の現役大学生が小学生の頃の...俺もオヤヂになったなぁ(苦笑)。

 昨年CSを導入、MTVを観る機会が増えた。本場アメリカのアンプラグドなどを良く観るのだが、私はあの連中に、なんか、違和感があるのだ。アイツラ、ナンカ、ヘンダゾ。金儲けの巧い優等生にロックを渡すな!ロックはヒネクレ者の為にある。

定成寛 from " サダナリ・デラックス "






See you next month

来月は " Brand New Choice " 新譜の月です


(C) Written and desined by the Rock Crusaders 1998-1999 Japan





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