インターネットロックページ共同執筆 新譜/名盤クロスレヴュー
月刊 ロック・クルセイダーズ No.029 APR.'02
2001/04/20 Updated







今月は新譜の月です
Brand New Choice of this month

ERYKAH BADU : Mama's Gun

UICT-9501 (Universal/Victor) 2000/11/18



70年代の空気 

 デビュー・アルバムの『 バドゥイズム 』を初めて聴いた時は結構衝撃だった。何かの雑誌のレビューで「ヒップ・ホップ+ビリー・ホリディ」みたいな事が書いてあったんだけど、ほんとにその通りの印象だったから。クールな音の質感に込められた声の体温がなんとも言えない“念”を持っていた。
 オリジナル・アルバムとしては4年ぶりということだが、実際にはその間にライブ・アルバムを発表したり、ボブ・マーリィーのトリビュート・アルバムに参加したりしてるからさほど久しぶりって印象でもない。映画「B.B.2000」でも魔女役(ハマリ役!)で出演して『ファンキー・ナッソー』歌ってたしね。

 さてさて、そんな彼女のニュー・アルバムは『バドゥイズム』よりもアクティヴな感じのするアルバムだ。『バドゥイズム』がヒップ・ホップのリズム・トラックに彼女のゆったりした声が非常にDeepな感じを与えていたが、今回はヒップ・ホップ色よりも70年代のソウル・テイストがまず耳を引くサウンドだ。それと直接的ではないがレゲエ色が強いなとも思った。
 リズムがもろレゲエというわけでもないんだけど、グルーヴの向こうから伝わってくるものが結構熱いのだ。彼女と親交の深いミュージシャンでニュー・クラシック・ソウルの筆頭格のディアンジェロは70年代ソウル・テイストを感じつつも都会的(例えばニューヨークとか)なイメージを受けるのに対し、今回のエリカの音は“ジャマイカン・イン・ニューヨーク”って感じなのだ。

 さてさて、ここまで書いてきて一言も「ロック」という言葉が出てきてないのだが、僕は最初サダナリさんから「次回はエリカ・バドゥでどうでしょう?」とメールもらった時、おもしろいなと思た。僕はメールをもらった時点でこの『 Mama's Gun 』を聴いていなかったので、サダナリさんがこのアルバムのどこにロックを感じたのかに興味をそそられた。ぶっちゃけたハナシ、今回はサダナリさんのレビューを読みたいがために今回のお題をオーケーしたと言っていい(笑)
 と、同時にサダナリさんの感じるこのアルバムの「ロック」な部分がどこかを僕なりに想像する楽しみもあった。で、実際聴いてみて「あー、サダナリさんはここんところをロックに感じたのかなぁ?」って感じがいくつかあった。70年代TーNECKレーベル時代のアイズレー・ブラザーズや、サントラ『ジャッキー・ブラウン』で取り上げれたボビー・ウーマックのあの曲の感じとか、ジェフ・ベックの『 Blow by B low 』の肌触りとか、ね。とにかく70年代にロックもソウルもブラックもホワイトも関係なくアーティスト同士が刺激を受け合ってた頃の音楽に近いエモーションを『 M ama's Gun 』には感じるのだ。

 蛇足ながらこのアルバムを聴いてて思った事がもうひとつある。それは音楽の中によりエモーショナルを求めようと思った時、ミュージシャンはアナログよりの音色を好んでいく傾向が多いと言う事を改めて感じた事だ。この『 Mama's Gun 』のリズム・トラックも実際にドラマーが生で叩いている曲の方が多いし、上モノにしてもの生楽器の比重はかなり多い。シンセも出てくるけどやっぱり昔ながらのシンセの音だ。
 “昔ながらのアナログ”と言ってもその当時は革新的だったりしたわけで、どうも楽器テクノロジーの世界にもワインのような熟成期間を持たせた方がいい場合もあると言えるのかもね。

岩井喜昭 from " Music! Music! Music! "



全ては彼女の掌の中 

 知性と才能を持ち合わせた女性が、細心の注意を払って作り上げた佳作。ああまたしてもあなたは本物である。「それならば聴いてみたい」という人にとっては充分に期待に応えるアルバムだし、別に関心がない人にとってはまあそういうアルバムだ。僕はどちらかというと後者で、だからこれといって申し上げることもない。いわゆるブラックコンテンポラリー(と今でも言うのか知らないが)をあまり積極的に聴こうと思わないのは、僕が紛れもない偽物だからだ。
 アフリカのポップスは、たとえどんな怒りや悲しみを秘めていても、基本的には楽しく美しい。ところがアメリカのブラックミュージックは、得てして遊びの入る余地がないのは如何なものか。そんなものを聴くよりはブルーアイドなほうが楽しいし、ちゃらんぽらんな和製R&Bならもっと楽しい(いちばんみっともないのは、日本で怒りのポーズだけ真似している輩だ)。

 そんなわけでアメリカで売れに売れたエリカ・バドゥ。前作で大成功をおさめた後、出産を経て復帰っちゅうのもいかにもなパターンである。本物でありしかも母親。この時点で「参りました」というほかにない。このアルバムは案の定、ボーカルからサウンドプロダクションに至るまで、一点の隙もなくよくできている。痛いくらいよくできている。
 彼女は胸の奥に強いメッセージと確かな自信を持っている。でもそれを「怒り」なんてくだらない方法で表現するんじゃなく、あくまでソフィスティケイトされたスムースなスタイルに乗せて語りかけてくるのだ。濃密なサウンドはあくまで都会的に乾いている。彼女の声は、真摯であると同時にキュートでもある。ええかっこしいの無駄なフェイクなどカケラもない。

 これだけのものをつきつけられて素直に楽しめるかっちゅうと、これはもう聴き手の誠意の問題になってくる。極端な話「センスいいし踊れるよね」なんてフリーソウル的に消費することも可能なわけだ。実際ちっちゃい音で流し聴きするとこれが誠に快適で、隣ではネコも心地良さそうに眠っている。雑種の和猫がアメショに見えてくる。だが一度じっくり聴き込んでしまうと、なんか正座して拝聴しないと申し訳ないような気がしてくる。
 ダラダラと書いて字数を稼いでみたがこんなもんでいかがだろうか。結局このアルバムは実に素晴らしく、何度も繰り返し聴いているわけだが、「僕の好きな音楽はこれです」と言うだけの自信がないのだ。従ってなるだけこっそりと楽しむことにする。ああ、どうせなら浮かれきったラブソングでも歌ってくれればいいのに。

山下スキル from " FLIP SIDE of the moon "



エリカ・バドゥという音楽

 『ママズ・ガン』−前作にあたるライヴ・アルバムで妊婦姿を披露したエリカ・バドゥは母となり、ガンで子を守る。強いというか、バイオレンスというか...。

 三回目の年男になってもパパにならない(なれない?)私にとっては「家庭」と「親子」は実にフシギな存在。そして最も不思議なのが「ママ」の存在だ。何年かしたら、もしかしたら「パパ」にはなるかもしれないけれど、ママには絶対になれないからね(たぶん)。
 ママロック、増えていますよね。日本ではUA、Chara、海外ではこのエリカ・バドゥのほか、あのビョークもママロッカー(そっくりの顔の幼い息子と一緒に海外の温泉につかっている写真を見ました。コワかったです)、あ、わが最愛のフェイ・ウォンもシングル・マザー・ロッカーだな。

 パワーを感じるなぁ。それとしなやかさ、というか、したたかさ。エリカ・バドゥは映画『ブルース・ブラザーズ2000』に出演したりして、アメリカではそれなりの知名度のあるシンガーなんだけれど、日本ではデビューが丁度ローリン・ヒルとバッティングしてしまいあまり話題にはならなかったように思う。「ローリン・ヒルという音楽」なんていうワザとらしいコピーの書かれた広告が、SONYさんの手で電車の中にまで貼り出されて...でもローリン・ヒルの新譜は?近況は?それなりに活動はしているようだけれど(新譜も出ているし、彼女もママになったらしい)、なんとも影が薄くなってしまったなぁ。
 ローリン・ヒルが「『音楽通が支持している』という雰囲気を売りものにして、実は素人に浅く広く売る音楽」だったとすると、このエリカ・バドゥは対照的。彼女こそ音楽通が夜遅くにふっと聴いてみたくなる音楽だと思う。そしてそれこそが生き残り、こうした佳作を生み出した。エリカママ強し!

 こんな話も聴いた。戦前、戦中に活躍した朝鮮出身の天才的舞踊家、崔承喜のドキュメンタリー映画を観た時だ。超が付くくらい美形の彼女だが、当時を知る評論家に言わせると「普段は一体どこのオバチャンかと思う程にガラッパチなひと」だったというのだ。大きな声で子供を叱りつけたりしていたらしい。そしてそんな彼女が舞台では豹変、川端康成や三島由紀夫、果ては周恩来までも魅了したという舞踊をみせた。
 どうやらそんなものらしい。日常が普通な人ほど、芸術の場では化ける。同じ人とは思えないくらいの表現をみせる。「普段から気取っている人ほど舞台ではたいしたことはなかったりしてね」という評論家氏の話には笑ってしまった。
 なんともこれ、ロックにもあてはなるような気がして。衰退しつつあるローリン・ヒルと、したたかに生き残ったエリカ・バドゥというふたりのことを考えると、ふとこの逸話が思い出されたのだが...。

 しかしほんとに、エリカ・バドゥ、生き残って良かった。'97年に出た彼女のライヴは超愛聴盤。実に4年振りの新作となる今回の作品も「お、出たな!」って感じで実に楽しみにしていたのだ。生き残って欲しいキャロン・ウイラーが消え、どうでもいいようなホイットニー・ヒューストンが生き残るという寂しい'90年代中盤を送った私は、エリカ・バドゥの行く末を非常に気にしていたのだ。
 最後になってしまたがサウンドは「スライ・ミーツ・ブルーノート」という感じだ。ワウなギターとソウルなフルートなど、本当に本当に快感なのだ。凝ったコード感など「良く出来ているなぁ」と唸ってしまった。以前にエリカ・バドゥのことを「ジャズファンの鑑賞にも十分に耐える」と書いたが、今回もそれは健在、というか再確証した。今風のロック・テイストだけではない、広くかつ深いサウンド・プロダクションが面白い。ジャンルも時代も超越したような音、彼女こそ「エリカ・バドゥという音楽」と呼ばれるべきなのではないか。

 但し欠点もある。あまりに手堅く作りすぎたために、ヒットを呼ぶようなキャッチーなナンバーがないのだ。一発ケレン味のあるチューンも入れて、シングル・ヒットも出せれば完璧でしょう。曲数が膨大で、実に長〜いアルバムなのだが、曲数を削りもう少し凝縮してもいいようにも思った。エリカママの大ヒットチューン、聴いてみたいなぁ。

定成寛 from " サダナリ・デラックス "






See you next month

来月は " Good Oid Choice " 名盤の月です


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