インターネットロックページ共同執筆 新譜/名盤クロスレヴュー
月刊 ロック・クルセイダーズ No.028 Mar.'01
2001/03/20 Updated







今月は名盤の月です
Good Old Choice of this month

GEORGE HARRISON :
All Things Must Pass

TOCP-65547 (TOSHIBA) 1970/2001



誠実さの感じられる名盤 

 アマチュアゴスペルクワイアの女の子達に「ビートルズのメンバーの名前って全員言える?」って聞いたら何人かの子が言えなかった、これホントの話です。時代は変わるよねぇ。
 で、その女の子達が言えなかったビートルが、今回のジョージ・ハリソンだったのだ。どの子も「ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、リンゴ・スター....もう一人誰だっけ?」と答えたのである。(でもリンゴ・スターの場合、名前のインパクトでかろうじて憶えられてたって気もするけど)そういう「忘れられてしまいかけられているビートル」、ジョージ・ハリソンがビートルズ解散後に出したソロ・アルバムが今回のお題なのである。

 僕は今回のレビューを先頃発売されたリマスター盤の方で聞いているのだが、以前このロックルで取り上げたザ・バンドの「カフーツ」と同様、リマスターされた事で音像がはっきりした事はこの作品の良さを現代の音楽リスナーに理解してもらうには吉と出ると僕は思う。
 ギターとかドラムの音なんかにはその効果がよく出ていて、特にアコースティックギターの音はギターのサウンドホール近くに耳を寄せて聞かせてもらっているぐらいの臨場感があってめちゃくちゃ気持ちいい。

 『 I'd have you anytime』 を聞いた時クラプトンらしいギタートーンとビートルズによく似た空気感が妙にマッチしてるってなんか不思議なんだけど、そう言えばビートルズ時代にも「While my guitar...」でクラプトンがギター弾いてたっけ。
 『 Run of the mill 』なんかの牧歌っぽい感じはザ・バンドに通じる所があって個人的にはかなり気持ちいい。「うす味のザ・バンド」って感じだ。ジョージ自身、ザ・バンドの事を好きだったしね。『 Beware of darkness 』なんかは南部にハマっていた頃のストーンズと少しダブったりもしたり...

 とまぁ、カントリーや南部音楽などの魅力に魅せられたジョージの趣味趣向が僕の好きな音楽と結構同じポイントにあって、僕にとっての「癒し系」アルバムとも言えるべき作品だなーと思って聞いているんだけど、例えば僕が今抱いている感想を、先述のジョージの名前を言えなかった子達に伝えてこのアルバムを聞かせて、彼女達が僕と同じように癒されるかというと、「?」が付く。
 あるいは、もしもこのアルバムからの曲が月9のドラマなんかの挿入歌として茶の間に登場したとしたらABBAやカーペンターズのように売れるかどうかと考えてもやっぱり「?」が付く。(いや、売れるかも知れないけどさ。ABBAがあんなにバカ売れしてしまう時代だし)

 では、僕はこの作品の何に癒されるのか?それはこの作品から感じることのできる、音楽への愛情とか誠実さみたいなものだ。ポールやレノンほど野心もエゴも強くない性格の彼は音楽の中に無理に自分らしさを押し込めようとしない。曲への支配欲が希薄で、曲のおもむくままに音を重ねて行く。
 ビートルズ時代「While my guitar...」のセッションの場にエリック・クラプトンを連れて来たのは他でもないジョージ自身である。ただでさえ、ジョンもポールまでも自分を差し置いてリードギターを弾いたりしている事を思えば普通なら「オレの仕事じゃ不満だってのか?」と言いたくなるエゴがあってもいいぐらいのところを、彼はさらにエリックまで連れて来てリード・ギターを弾かせてしまうのである。そこには「それでこの曲がいい風に仕上がるのなら」という音楽への誠実さが最優先されている。そして、そんな彼の音楽への向きあい方がこのアルバムにはよく表れている。
 もちろん、彼がここまでの才能を開花させるにあたって、レノン&マッカートニーという偉大な2つの才能の近くにいたことが大きな影響を与えたことは事実だが、もし、彼がビートルズじゃなくても彼ならまた違った良質な作品を世に残したのではないのだろうかという気がする。

 音楽リスナーよりも、むしろ自分で音楽をしている人に聞いてほしいアルバムだ。この作品に込められた音楽への誠実さを僕らはもっと学ぶべきだ。

岩井喜昭 from " Music! Music! Music! "



逆境に身悶えてこそジョージ 

 ビートルズのメンバーの中でも立ち位置的に共感するところの多いジョージ。ジョンとポールの影に隠れた第三の男と言うべきか、はたまたジョンとポールのそばにいたからこそ日の目を見た男と言うべきか。いずれにしろ彼の作品をひいきめに聴いてしまうのは確かで、まあそんな偏った思い入れもロックの楽しみ方のひとつじゃないですか。ところがこのたび久しぶりに「All Things Must Pass」と向き合って、努めて客観的に聴いてみてもやっぱり素晴らしい作品だと思い直した次第。なにかのアクシデントでまだ聴いたことがない方がいらしたら、すぐにでもこのブラウザを閉じてレコード屋に走って頂きたいものだ。

 買って来た? こうして改めて聴いてみると、このアルバムはどうしようもなくフィル・スペクターであることに気づきます。前にも書いたことがあるけど、僕はスペクターサウンドがあんまり好きでない。ラジオやテレビで聴くぶんには確かにキャッチーなんだが、彼の作り出す音の壁はヘッドフォンで聴くにはちょっと威圧的に感じてしまう。くどいほどにオーバーダビングを重ねた演奏は、表情を失って人間的な暖かみが感じられない。たくさんのスタッフに囲まれて頂点に君臨する彼は、独裁者のようにとても寂しいのだ。
 このアルバムは、スペクターならではの空気感、風呂場のようなエコーに包まれているわけだが、彼の大げさなサウンドはここではジョージの優しい声と不思議に調和している。スペクターも寂しいが、ジョージもまた違った意味で、どうしようもなく寂しい。悔しくてやるせなくて優しくて寂しいのだ。執拗なオーバーダビングの末に、もはや「群集」と化してしまったバックトラックの中を、ジョージのボーカルはひとり彷徨っているようだ。
 このアルバムは、ジョージの最高傑作であると同時にスペクターの最高傑作でもある。スペクターにとってジョージは、格好のコラボレイターであり、素材だったのではないか。今回の再発で追加された「What Is Life」の別バージョン、スペクター節爆裂ミックスのダメっぷりを耳にしてげんなり。このアルバムは、2人の才能が危ういバランスの上で拮抗した奇跡の成果であることを改めて確認した。ところが2つの寂しさは、これ以降ほんの数曲の録音を残して離ればなれになってしまった。

 それから30年。フィル・スペクターは完璧に余生モードに入り、ジョージもオリジナルアルバムは10年以上もご無沙汰で、まさにAll Things Must Passの感は拭えない。今回の再発の目玉「My Sweet Lord(2000)」は、ソロ名義としては久しぶりの新録だが、ああやらなきゃよかったね。明確なアイデアのないセルフカバーは、原曲との差別化をはかるために無理矢理手を加えて、ポップスの魔法を消し去ってしまう。どうせやるなら隠居中のスペクターを引きずり出すとか。存命のビートルを呼んでくるとか。せめてクラプトンとか。
 思えばジョージの頭上には、常に大きな傘があった。ジョンとポール、専制君主のスペクター、親友で恋敵のクラプトン、そして逃れられないビートルズの影。その中で彼は、寂しくも素晴らしいアルバムを作り続けてきた。ところが、ジョンの死によってビートルズは伝説として完結し、重たい過去が一転して絶対のステイタスになってしまった。最近の彼は、トラヴェリング・ウィルベリーズやアンソロジープロジェクトと、新しい傘さがしの旅を続けているように見えるが、まだやっぱりかつてのウズウズ感には程遠い。ジョージのコンプレックス、ソングライタースピリットに火をつけるライバルの出現を熱望。そしてできれば宅録で、弾き語りに近いアルバムを聴いてみたいと思う。

山下元裕 from  " FLIP SIDE of the moon "



ぼくの伯父さんの名盤 

 元々はロックの人間だったのに、ここ数年はすっかりジャズ狂い。今でも聴いている「非ジャズ」は、このページで採り上げるアルバムと、ブラジリアン・ポップス、そして何組かの日本のインディーズ・バンドだけだ。すっかり「ロックもちょっと聴くジャズとブラジル音楽のひと」となってしまった私に、強烈にロックが帰って来た!そう、この高揚感、これがロックのダイナミズムだ!「あぁ、やっぱりロックっていいなぁ」と痛感した。そんな名盤である。

 しかしこんな出会いもあるんだな。このアルバムの代表曲にして、ジョージ・ハリスン一世一代の大ヒット曲、「マイ・スウィート・ロード」はモノゴコロついた頃から、ほぼ同時代的に知っていた。それは私がロックオタクだったからではなく、毎日のようにラジオでかかっていたからである。
 このアルバムを知ったのはその後、ロックを学習(?)するようになってから。「ふむ、ビートルズのソロはアレとコレと『おかしなおかしな原始人』か」と把握した(『原始人』はリンゴの映画です。念のため)。しかし、そこまでは知ったけれど、聴いてはいなかったのだ。なんか、聴きそうで聴かないジャンルじゃないですか、ジョン以外のビートルズのソロって(『原始人』は子供の頃に家族で観ました。念のため)。
 そして、世紀が変わったはじめての春に、デジタル・リマスターされて、なぜかジャケットがカラーになったものをはじめて手にした、というわけだ。そしてそしてその感想は上記の通り。もっと早く聴けば良かった。

 さて、ジョージである。ジョージと言えば思い出すのがビートルズの『ホワイト・アルバム』レコーディング中に、他のメンバーが誰も来てくれなくて(だっけ?)、仕方なく(というわけじゃないと思うけれど)友人のエリック・クラプトンとこっそりレコーディングしたという逸話だ。そしてその曲のタイトルが「ギターがすすり泣いちゃう」というなんとも皮肉なもので...。
 そんなこんなあったジョージって、ビートルズの中ではどういう存在なんだろ?先日お風呂の中で思いついたのは「ビートルズ家族説」だ。ジョンはお父さんだわな、当然。家長の雰囲気十分。ポールはお母さんだ。なんか、女性っぽいしね、あのひと。じゃリンゴは長男か?というと、まぁ、そうかもしれない。やんちゃだし、冗談キツイしね。リンゴ・スッター。実はあと二人、早死にした息子と家出したいとこもいるが、マニアックなので割愛。
 ではジョージは?と考えると、あの微妙な距離感は一親等の家族って感じじゃないんだよな。なんとも伯父さん的。しかもちょっと困った伯父さんだ。
 ジャック・タチの名画よろしく、伯父さんはオトナのくせに変なことする。インドに行ったり、変な楽器ひっぱりだしたり、やはりオトナの変人仲間を何人も連れて来たりする。そんな伯父さんの振る舞いは教育上は非常に宜しくナイものだったりする。お父さんもお母さんも、どう注意していいやら困っている。
 しかし今になって考えると、そんなジョージ伯父さんの「変なこと」がビートルズに与えていた影響は強大で、我々はそれをたっぷりと楽しんでいたのだ。だってあの仕掛けも、この仕掛けもジョージ伯父さんがやったものだもの。
 家族的集団の中ではちょっと変なことばかりやっていたジョージ伯父さんだが、いざ自分のためにホンキを出したら、その鬼才が見事に実を結び、こんな名盤出来ました、という感じではないだろうか。そんな意味でもつくづく「一世一代の」という感じがする。

 しかしこの重くて厚い、アメリカやオーストラリアの荒原を疾走する長大な列車のような感じが、この頃のロックの特徴なんだよなぁ。特に「WAH-WAH」や「美しき人生」、「アウェイティング・ユー・オール」の重厚さ。これはジャズじゃ味わえない快感なのだ。「あぁ、やっぱりロックっていいなぁ」というキモチがすーっと体の中を通過したのは、これらの曲を聴いていたとき。この感覚は是非味わって欲しい!
 星四ツつけてしまいます。ジョージ・ハリスンという人をそのまま詰め込んだような、こんな名盤は満点で当然だ。

定成寛 from " サダナリ・デラックス "






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来月は " Brand New Choice " 新譜の月です


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