インターネットロックページ共同執筆 新譜/名盤クロスレヴュー
月刊 ロック・クルセイダーズ No.025 Dec.'00
2000/12/20 Updated







今月は一年を振り返って...

Revew 2000




新しいモノ

 今年に限ってこの1年を振り返るというのは、単純に1年を総括するというだけでなく20世紀を振り返るという傾向がところどころで見られる。今月発売の音楽雑誌なんかはこぞってこんな感じだし、レコード屋に行っても「21世紀に残すナンタラカンタラ」みたいな感じでディスプレイしてたりととにかく振り返りモードなのであるが、考えて見るとロックそのものの歴史は50年ぐらいしかないわけだし、他のジャンルにおいてもクラシックとか民族音楽以外はこの20世紀に産声をあげたものばかりだということに気付く。
 さてさて今に生きる僕らにしてみればロックが誕生して約50年の間に音楽はどれだけ変わったのかと言うと、僕は正直言ってほとんど何も変わっちゃいないのではないかと思うのだ。変わったように見えるのはいくつもの枝葉が出て来ただけで、基本的な幹や根っこの部分ってのはなーんも変わってないように思う。
 例えば、フェンダー社が生んだテレキャスターやストラト、ギブソン社のレス・ポール、フェンダー・アンプやマーシャルといった楽器以上に革新的な楽器は存在しただろうか?ロバート・ジョンソンやジミヘン以後、音楽フォーマットの形式のスタンダードを確立させたミュージシャンは?(唯一ヒップホップの誕生にはそれを感じるけどね)
 なんかこういう事言い出す自分がものすごくレトロ主義みたいな感じもしないでもないけど、でもほんとにそう感じてしまうのだ。別に年をとったから新しいものを認められなくなったわけでもない。年を重ねるにつれて聴く音楽の量が増えてきたことで、それ以外の物を求めるようになったけど自分に新しい刺激をくれる音楽のなんと少ないことか。事実、この1年、僕はほとんど新譜を購入していない。

 もちろん、音楽を聴いている時に新しい刺激ばかりを求めているわけではない。第一“新しいもの”というスタイルだけにこだわって音楽を作るのは、技術や発想に溺れてそのものの本質の部分で良い・悪いのジャッジがされていないというパターンが多いしね。こないだ行った和食系居酒屋のメニューが正にそうだった。いくら焼き魚に柑橘系のレモンやカボスを絞るとうまいからって、鱸のさしみとグレープフルーツを一緒に盛られて出されても困るってもんだ。(実話)

 「新しい物」を生み出した人は「新しい物」を作りたくて作ったんじゃない。自分の内的衝動とか必然の結果としてその当時の周囲に比べれば「新しかった」だけにすぎない。つまり生まれるべくして生まれてきたようなものなのだ。生まれるべく環境がないところにきっと生まれはしない。

 さて、それではロックにおいて今後、現存のロック・フォーマットに不満というか窮屈さを感じる日が果たしてやってくるのだろうか。そしてその日がやってきた時、その背景にある人の世はどうなっているのだろうか。
 でも、たとえ時代の申し子のように新しいスタイルのロックが生まれてきたとしても、願わくばそれは豊かな音楽であってほしいし、そういう音楽を生み出す心豊かな時代になっていってほしいと願う今日この頃です。

岩井喜昭 from " Music! Music! Music! "



Don't Carry The World Upon Your Shoulder

 僕はこの原稿を、締切りのほんの数分前に書き初めている。たぶん、いや間違いなく間に合わないでしょう。サダナリさんいつもいつもすみません。うーむ今回はいままでになく難問だ。2000年のロックを総括するキーワードが見つからない。見つからないままこの時が来てしまったのでとりあえず書く。
 別に今年はつまらなかったと言ってるのではないのだ。素晴らしいアルバムはたくさんあったし、このロック・クルセイダーズでも紹介してきた。ただ、「こんなこと考えてるやつが出てきた!」「こっちにも別の手法で同じことをしてるやつがいる!」みたいなシンクロニシティの興奮はなかったように思う。ああ、2000年代の始まりであり20世紀の終わりである中途半端な今年よ。ロックは1000年代を象徴する音楽ではなく、明らかに20世紀の音楽だった。とすれば今年はロックの晩年、フェイドアウトの時なのかも知れない。

 そう考えると、1枚の素晴らしいアルバムのことを思い出す。Barry Mann「Soul & Inspiration」。バリーは19世紀の植民地主義の精算、惨い精算から立ち直って希望に燃えた1950年代に音楽活動を始めた。ロックが胸踊るダンスミュージックだった時代だ。やがて60年代・70年代と、20世紀の重みを身にまとったロックは、本来持っていた以上の意味を与えられ、「語られる存在」になってしまった。
 「ロックにはもう飽きた」と言い放ったRadioheadを支持したのは、ほかならぬロック雑誌だ。彼らの「Kid A」は、誰もが語りたくなってしまうという意味では今年一番のロックアルバムだったと思う。表現手法としてのロックからはかけ離れていたが、イズムとしてのロックから逃れることはなかった。
 で、その対極にあったのがBarry Mannの「Soul & Inspiration」じゃないかと。なにしろこのアルバムは、ロック・クルセイダーズ史上初めてメンバー全員が4つ星をつけたにも関わらず、みんな語る言葉に困ったものだ。自らをロックンロールのサバイバーと呼んだバリーはバリバリにロックなのだが、それは評論の対象としてのロックではなくスタイルとしてのロックだ。そしてスタイルとしてのロックは、イズムとしてのロック「Kid A」より遥かに面白かった。
 もう1枚挙げるならPaul Simonの「You're The One」。彼も50年代から音楽活動をしてきたロックンロールのサバイバーなのだが、最新作ではなんともリラックスしたサウンドを提供してくれた。そうそう、彼は理論武装をしていなかったがために、ロック雑誌からあまりにも不当な評価を受け続けてきたこともお忘れなく。

 2000年の僕の耳には、Barry MannやPaul Simonといった50年代から生き続けるロックと、最近のポスト・ロックや音響派と呼ばれる無邪気な試みが同じように響いている。そういえばここ数カ月は、Paul SimonとSea And Cakeを交互に聴いていた。Sea And Cakeのいきいきとしたリズムになんとも暖かいホーンを重ねていたのが、Brian Wilsonのバンドにも参加しているPaul Mertensだってのも嬉しいじゃないの。ロック本来のフレンドリーな響きは、世代を超えて確実に伝わっているのだ。
 新世紀への希望を前に、ロックは20世紀の重みから解放されて、一介のポップミュージックに帰っていくだろう。そのことを指して、「ロックは終わった」だの「ロックには飽きた」だの言う人がまだまだ出てくると思う。「語られるロック」に囲まれて育った僕も、数年前だったらこの状況を残念に思ったかも知れない。でもロックが大きな使命を終えて、数多の娯楽産業の片隅で音そのものの楽しみを細々と追い続けていくなら、21世紀になっても僕はロックファンでいることができる。

山下元裕 from " FLIP SIDE of the moon "



名盤とその他のアルバム

 そういうわけで、20世紀最後のレヴューとなるわけだが...まぁ、20世紀の総括はいいや。そこまでフロシキを拡げずに、さらりと1年を流してみるか。

 実はこのレヴューを続けて行く上で、心配なことがひとつあった。今だから書けるという感じなのだが、第一回で採り上げたジョニ・ミッチェルの『テイミング・ザ・タイガー』を超える新作アルバムが長らく登場していなかったのだ(苦笑)。
 ここで採り上げる作品は3人が順番で推薦、いくつかの候補の中から一応の合議をもって選ばれている。この連載もはや2年、新譜は1カ月おきなのでかれこれ十数枚のアルバムを聴いたことになるのだが、いや、毎月、「困ったな。第一回が良すぎたな」と長らく困惑していた。

 しかし、今年の後半に、それは打ち破られた。まずは9月のバリー・マン。『ソウル&インプレッションズ』はレヴュー開始以来初の全員満点アルバム。これを思い出すと思わず笑ってしまう。ピアノの弾き語りに最小限のストリングス、アンプラグドを思わせるあまりにも地味なこのアルバムに全員が満点を付けてしまったというのも、なんとも不思議なことだからである。
 しかし、ともかく、名盤である。1曲目の「ふられた気持ち」の歌い出し、ブリッヂとなっている下降形のベース、中間のコール・アンド・レスポンス。2曲目「オン・ブロードウェイ」のイントロ、ちょっととぼけたようなメロディー、じわじわと盛り上がってくる感じ。それぞれの原曲で我々が感じていたそれぞれの曲の魅力が、見事なくらいに表現されている。いや、アレンジのシンプルさゆえに、原曲よりも一層克明にそれらを感じ取ることが出来る。

 そして旧譜を1枚挟んだその次。11月のポール・サイモンも傑作であった。なにしろ気持ちがいい。「肌触り」なんて言葉が音楽の評論に使えるのかどうかわからないが、このアルバムの魅力は「耳当たり」なんて言葉では語り尽くせない。全身に滲み込んで来るくらいの、スケールの大きなものである。
 これまた不思議なことなのだが、毎年今頃の時期になると、非常にリラックス出来る新譜にうまい具合に出会い、「年末年始はたぶんこれを聴きながら過ごすことになるな」なんてことを考える。'99年はギタリスト、ビル・フリゼールの『グッド・ドッグ・ハッピー・マン』だった。今年から来年にかけては、そう、このポール・サイモンの新譜である。
 20世紀から21世紀に変わることがどれほどの意味があるのかはよくわからない。それよりも私は自分の仕事や、身の回りの雑事で頭が一杯だ。しかし、そんな世紀の変わり目を共に過ごしてくれる心地よいアルバムがあるというのは嬉しいことの様にも思う。

 しかし、'98年のジョニに始まり、「納得!」という感じの新譜がいずれも'60、'70年代から活躍するヴェテランのものだった、というのは、なんというか、その、うむ。我々の単なるオヤヂ趣味のせいなのか、それとも若手の新譜に「深み」がないのか...。

 「20世紀の総括はいいや」と書いてしまったが、改めて考えてみるとバリー・マンのアルバムは'60年代から'80年代にかけて、他人に提供し大ヒットを飛ばした曲のセルフ・カヴァー集。最も古いのが「オン・ブロードウェイ」の'63年、最も新しいのが「サムホエア・アウト・ゼア」の'87年。うむ、この1枚で実に25年ものポップス史を振り返る内容になっているのだ。
 さらにポール・サイモンのアルバムにもバディ・ホリーが'57年に放ったヒット曲「ペギー・スー」に捧げられたナンバーがある。
 なるほど、この2枚。本当にさりげない形で、20世紀後半のポップス史に捧げられたものなのかもしれないな、と、思った。そしてそんな非常にスマートな「ポップスの結論」に、我々3人はしっかり反応してしまったようだ。

 ともあれ、連載2年目前で、やっと納得の行く新譜に出会えたのが今年の最大の収穫だろう。実は今回は「候補にはなったが採り上げなかったアルバム」について書こうかと思っていた。採り上げなかったアルバムというのは、3人の興味のあるアーティストではあるが、聴いてみたらイマイチだった、というケースが多い。
 例えば'99年の暮れに出たハース・マルティネスの21年振りの(!)新譜。ジョニ・ミッチェルの『テイミング・ザ・タイガー』が、往年の名作『逃避行』に呼応する傑作であったかの如く、このハースの新譜も'75年の大傑作『ハース・フロム・アース』を想起させる作品かと思いきや...がっかりした。あまりにも良く出来たジャケットに「これは!」と期待したのだが...。

 なぜそれがイマイチだったのかをじっくりと考えてもみたかったのだが...年の締め括りはそんなヒネクレた企画ではなく、名盤を振り返って気持ち良く終わりたいよね(笑)。

 来年も、21世紀も素晴らしいアルバムに出会えることを祈りつつ。
 
定成寛 from " サダナリ・デラックス "






See you next month

来月は " Good Old Choice " 名盤の月です


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