インターネットロックページ共同執筆 新譜/名盤クロスレヴュー
月刊 ロック・クルセイダーズ No.022 Sep.'00
2000/09/20 Updated







今月は新譜の月です
Brand New Choice of this month

BARRY MANN : Soul & Inspiration

AMCY-7127 (east west japan) 2000



不変の「いいモノ」
 キャロル・キングやレオン・ラッセルといった名前を知らなくても「You've got a friend」や「Song for you」といった曲を聞かせれば「あ、これ知ってる」いう人は大勢いるに違いない。
 そして今回のお題としてあげられたこのバリー・マンもその一人だ。オールディーズの好きな人なら「You've lost that lovin' feeling(邦題:ふられた気持ち)」を聞いたことがあるだろうし、MTV世代の人ならリンダ・ロンシュタットとアーロン・ネヴィルのデュエットで大ヒットした「Don't know much」を耳にしたことがあるはずだ。(あるいは子供の頃に見たディズニーのアニメ映画『アメリカ物語』で「So mewhere out there」を聴いたという若い世代もいるかも?)
 いずれの曲もメロディー・ラインがとてもしっかりしていて非常にいい曲なわけだが、そんないい曲を書いているのがこれまた俳優ロビン・ウィリアムをどこか思わせる毛深いオジ様。もうこのジャケ写の笑顔からしてあったかい音楽性が伝わってくるなーと私は思ってしまうのである。

 さてさて、実は私もこの人のペンによる曲は耳にしたことがあるのだが、バリー・マン自体の声を聴くのは今回が初めてだった。(すでにいくつかのサイトで好評なレビューを拝見していたので気になっていたけどね)で、実際聴いてみて、既に自分が耳にしたことのある曲でもやはり作者のバリー・マンのテイクの方がいいなと感じた。
 これはシンガー・ソングライターのアルバムに他人のバージョンで既に世に出た曲のセルフ・カバーを聴いた時にも割と同じ印象を持つのだが、作者本人のテイクの方が楽曲に余計な装飾(アレンジやサウンド・プロダクション)をせずにシンプルに聞かせるような作りになっており、楽曲本来の良さを楽しめるようになっている気がする。逆にあまりにも飾り気のないテイクゆえ地味に聞こえたりデモ・テイクの域を出ていないんじゃないかと思えるケースも稀にあるのだが、このバリー・マンのアルバムに関して言えば、楽曲自体の持つポップさがそうせているのか、シンプルなんだけどゴージャスに聞こえている。参加しているゲスト達との絡みなどを聞くと、このままグラミー賞の授賞式なんかで演奏してもスタンディングオベーションを受けるんじゃないかって思ってしまった。

 やっぱり最後に残っていくのは楽曲だよなーとこういうアルバムを聴いてしみじみ思ってしまうのはオヤジになったんでしょうかねぇ?
 でも、流行りモノやカッコイイモノなんてどんどん変わっていくし、そればかりを追いかけていくのは物欲的だと思うんだよね。そういうのを追いかける楽しみももちろんあるけど、やっぱりそれの対極にある「不変のいいモノ」を心のよりどころにしていきたいなと思う今日この頃です。

岩井喜昭 from " Music! Music! Music! "



We Gotta Get Outta This Place! 

 ポップスファンとしてあるまじき発言だと思うが、敢えてここで告白するか。実はフィル・スペクターってあんまり好きじゃないんですよ。なんか音が濁ってて攻撃的に聴こえるの。後追いステレオ世代の限界、先輩諸氏の嘲笑が聞こえてくるようだ。で、バリー・マンが書いてスペクターがプロデュースした一連のヒット曲も、僕にはいまいちピンとこなかった。
 ロネッツに提供した「Walking In The Rain」はじめ、ポップス路線で大好きな曲はたくさんあるけれど、もはやスタンダードともいえる大バラード「You've Lost That Lovin' Feeling」の系統ははっきり言って苦手。バリーのこと、やたら大げさなソングライターだと思っていた。このアルバムを聴いて土下座で反省。バリーよすまぬ、僕は重大な勘違いをしていたよ。

 この作品は、1960年代から現在に至るまで職業ソングライターとして大ヒットを連発しているバリー・マンのセルフカバーアルバムだ。なにひとつ無駄のないバリー自身のピアノとボーカルに、必要最小限のギター・ベース・パーカッションが絡む。基本的にはバリーの弾き語りと言ってもいいくらいの実にシンプルな一枚だ。
 なにより魅力的なのは表情豊かなバリーのボーカル。時にピーター・ゲイブリエル的だったりルー・リード的だったりと、声を出しただけでロックになる迫力のハスキーヴォイスの持ち主だ。バリーの大らかなメロディラインは、バリー自身の枯れた声に乗って初めて輝く。「You've Lost...」がこんなにいい曲だったなんて。どの曲も、最初から誰あろうバリー自身が歌うべく作られたんじゃないだろうか。

 山下達郎氏はレコード・コレクターズ誌2000年10月号の中で、バリーは「どんな編曲にも耐えるメロディ」メイカーであり、パフォーマーではなく作家としても評価するべきだと語っている。ポップスを聴き倒した彼ならではの音楽史的な視点に立てば、確かにその通りかも知れない。でも、無知な若きポップスファンの胸を掻きむしるのは、間違いなく「Soul & Inspiration」の、パフォーマーとしてのバリーだ。
 ライチャズ・ブラザーズの悠々とした「You've Lost...」と、バリーの剥き出しの「You've Lost...」を聴き比べてみる。ライチャズの歌う Now It's Gone, Gone, Gone というフレーズは、余裕しゃくしゃくで銅鑼かなんか叩いてるみたいだ。でも、バリーの Gone には未練と痛み、生身の格好悪さを感じてしまう。やがて2度目の Gone の後、効果的なパーカッションに導かれて哀願が始まる。ロックの荒波を生き延びた盟友キャロル・キングとの熱いコール&レスポンス。背筋がゾッとした。

 つい最近になって再発された往年の名盤「Lay It All Out」や「Survivor」を差し置いて、僕は「Soul & Inspiration」を繰り返し繰り返し聴く。このアルバムにはバリーの呼吸が、バリーのグルーヴが、バリーのダイナミズムが、バリーの「ひとり」がある。
 先述のキャロルをはじめ、ブライアン・アダムスやダリル・ホールなど、ほぼ全曲にゲストが参加して素晴らしいデュエットを聴かせてくれるのだが、きっと彼らは歌うとき目を合わせてはいないのではないか。二人がそれぞれ一己の人間として、同じ方向を向いているように僕には聴こえるのだ。We Gotta Get Outta This Place。僕が君を、君が僕を救うんじゃない。剥き出しの「ひとり」と「ひとり」=「We」がベター・ライフを探して旅に出るのだ。

山下元裕 from " FLIP SIDE of the moon "



ヒット・チューンの「儚さ」に惹かれて... 

 日曜日の夜になると、私はちょっと馬鹿になる。いや、元々馬鹿なのだから、より一層馬鹿が増すと言うべきか。馬鹿増量。そして馬鹿になって、大きな声で歌を唄う。かなり出鱈目な英語で、ラジオに合わせて。

 番組はAFN(旧FEN)の"グッド・タイムズ・ロックンロール"。'60年代を中心としたロックのナツメロが、イヤってくらいにプレイされる。そのメロディに心が踊るのだ。
 独り暮らしのマンションなので、馬鹿になって唄っていても誰にも構うことはない。大体は料理を作りながら−玉葱を刻みながら、鶏肉を炒めながら−♪ふにゃらふにゃらとインチキ英語で唄っている。
 しかし、そうして毎週の様に聴いたり、ガナったりしていると、なんとなく自分の好み−難しい分析ではなく、単に胸がキュ〜ンっとするもの−が明確になって来る。

 '50'sっぽいもの−世に'50'sファン数々居れど、私は'50'sは「まぁ、イイッスよね」という程度だ。イマイチ単純な気がして、正直なところ物足りない。'60年代の濃い目のロックや、ホンモノのブルースってヤツも、「偉大」だとは思うが胸キュンには直結しない。
 もう、イントロだけでキュ〜ンとするもの、それは職業ソングライター・チームが書いたヒット・チューンの数々である。何といえばいいのか、そうした作品たちには本当に独特な雰囲気がある。甘いような、切ないような...冷徹な言い方をすればヒットを狙った「商品」に過ぎないのだが、私はなぜかこの「商品」たちの放つ輝きに惹きつけられてしまうのだ。

 そんな私に−ここまでの文章に共感していただいた全ての人々に−このアルバムは、堪らない!夢のような一枚、珠玉の一枚であろう。
 '50年代の終わりから、ニューヨークの音楽出版社を舞台に数々の大ヒットを飛ばしたソングライター、バリー・マンのセルフ・カヴァー集。冷静さを欠いた文章で恐縮だが、オープニングのその瞬間、ライチャス・ブラザーズのNo.1ヒットである「ふられた気持ち」('65)の歌い出しから、もう感動に震えてしまう。次も有名曲だ。ドリフターズの代表曲ともいえる「オン・ブロードウェイ」('63)。反則だよなぁ、こんなにイイ曲書いていて、自分で唄って吹き込んでしまうなんて...と、やっかみのひとつも言いたくなる名盤である。

 この超弩級のオープニングに感嘆するうちに、いくつかのことに気づく。まずはアレンジ。CDラックの片隅から、それぞれのオリジナルを引っ張り出して聴いてみる。両曲とも原曲は厚めのオーケストレーションと、深いリヴァーブが特徴。いずれも"音の壁 = ウォール・オヴ・サウンド"で知られた奇才、フィル・スペクター・プロデュースゆえの特徴だが、このアルバムではマン自身のアコースティック・ピアノを中心とした、非常にシンプルなアレンジで組み立てられている。対照的ともいえるリアレンジだが、これがイイ!心の中に「核」の様に残っていたメロディー・ラインの良さがひしひしと伝わって来るのだ。
 次にヴォーカル。実はマンのアルバムを聴くのはこれが初めてではない。ポップス・ファンの必須科目(?)とも言うべき、'75年のソロ・アルバム『サヴァイヴァー』はかなり前に購入しており、こちらはたまに聴いていたのだが...ううむ、変な言い方だが"ポップでない分だけ"今回のアルバムの方が滲みて来る様な気がする。
 以降もB.J.トーマスの'72年のヒット曲、「ロックンロール・ララバイ」や、ドリー・パートンの'78年のヒット曲「ヒア・ユー・カム・アゲイン」など、「ああ、これ知ってる」的なナンバーが、アンプラグドを思わせるシンプルなアレンジで続いて行く。

 なんとも面白いのが、これらの曲が非常に劣悪な環境で(?)「生産」されたということだ。窓もない、クローゼット程の部屋にピアノが一台。そこにマンと、のちに彼の妻となる作詞家のシンシア・ワイル。となりの部屋にはキャロル・キングとジェリー・ゴフィンがおり、同様にヒット・チューンを「生産中」。お隣と音が混ざって困った、なんてエピソードも残されている。
 だが、そうして生み出されたナンバーが、数十年にわたって生き残り、そしてここに蘇って、衰える事のない輝きを放っている。そう考えると、「大自然の中、ホンモノの音を求めて」とかなんとか言っているアース・コンシャスな音楽家サンたちなんて、一体ナンナンダ?

 '50年代から'60年代にかけて、NYブロードウェイの一角から送り出された、職業ソングライターたちによるヒット・チューンのことを、音楽事務所が密集したビルの名前を採って「ブリル・ビルディング・サウンド」という。私が冒頭で述べた、胸がキュ〜ンとなるヒット狙いポップスの正式名称(?)である。
 このマン=ワイルの他に、たった今書いたキング=ゴフィン、ロネッツの「ビー・マイ・ベイビー」('63)で知られるジェフ・バリー&エリー・グリニッチ、コースターズの「ポイズン・アイビー」('59)やサーチャーズの「恋の特効薬」('63)を残したジェリー・リーバー&マイク・ストーラーなどがいる。ううむ、いつも料理をしながら唄っている曲ばかりである(超正確にいうとマン=ワイルが在籍したアルドン・ミュージックはブリル・ビルディングには入居していなかった。事務所は向かいの1650ブロードウェイビルにあった。微細なことだが、マニヤさんのご指摘に備えて一言)。そしてこの世界についてはキャロル・キングをモデルにした秀作音楽映画『グレイス・オヴ・マイ・ハート』('97)に詳しい。
 バリーは'39年生まれ。建築家を目指し通っていた大学をドロップアウトして、音楽に専念したのが'58年、若干19歳の時である。すると前出の「オン・ブロード・ウェイ」や「ふられた気持ち」は20代半ばの大ヒットだったわけだ。そして今年は61歳、満を持してという感じのセルフ・カヴァー集が話題に...まったく、いい人生歩んで来ているなぁ。

 同じことを何回も書いて恐縮だが、工業製品の様に生産されたこうしたヒット・チューンが、その輝きを失うことなく何十年も生き続けているということは、不思議でもあり、いやそれこそがポップスのマジックだ、という気もする。ヒット狙いという即物的な目的のために世に生まれ出た「儚さ」が、その音間から伝わって、我々の心を震わせるのかもしれない。いや、いにしえのソングライターたちが「ヒットのために」そして「自分のために」と詰め込んだ、精一杯の音楽的魅力が、衰えることなく表出しているのかもしれない...。

 さて、ここまで書き綴って、ふと思った。出鱈目な英語では失礼だ。せっかく歌詞カードも付いていることだし、お気に入りの何曲かは頑張って歌詞を覚えよう。歌詞の意味もじっくり読んでみよう。サダナリ、馬鹿返上。
 '60年代ソングライターを未体験の人には最高の入門盤であり、既に知る者にはより深い聴き方をさせる、こういう作品を「名盤」というのだろう。

定成寛 from " サダナリ・デラックス "






See you next month

来月は " Good Oid Choice " 名盤の月です


(C) Written and desined by the Rock Crusaders 1998-2000 Japan





Back to the Index page