インターネットロックページ共同執筆 新譜/名盤クロスレヴュー
月刊 ロック・クルセイダーズ No.021 Aug.'00
2000/08/20 Updated







今月は名盤の月です
Good Old Choice of this month

ROBERT WYATT :
Nothing can stop us


thi 57050.2 (thirsty ear) 1982 / 1998



音楽的には○、でもカバー的には?

 う〜ん。確かに内容もいいし、個人的にも好きなんだけど、あえて今回は★1つ。理由は誰に対しても薦められない感じがするところ。(とは言うものの最近発売されたこの人の最新作はバカ売れしているらしいんだけど。ポール・ウェラーをはじめ彼を尊敬するミュージシャン達が参加していることも関係しているとは思うが。)

 今回初めてこの人の作品を聞いたんだけど、一応この「Nothing Can Stop Us」だけじゃなく他にもいくつか聞くことができた。知り合いにたまたまかつて彼のファンでほぼ全作品を持っているという人がいて、バンド時代の彼の作品とかまで聞かせてもらったんだけど、大体その人自身ものすごい音楽ヲタク(某楽器メーカーにお勤めのせいもあって仕事上そうならざるを得ないと申されていましたが)で、以前その人の家でフランク・ザッパを観賞しながら彼の魅力について語り合おうという飲み会が企画されたほど(笑)ヲタクな人。で、そういうタイプの人がはまる音楽だなーというか聞き手にそれなりの音楽知識がないと楽しめないんじゃないかって気がするのだ。

 で、僕なんかはこの人の音楽聞いててもファルセットのハーモニーがブライアン・ウィルソンっぽいなとか、70年代にバカテクの仲間とバンド組んでた頃の作品はパット・メセニーやジャコ・パス達ジャズメンとわたりあっていたジョニ・ミッチェルに近い感じがするなぐらいにしかわかんなくて、たしかにすごいとは思うんだけどこの人の音楽を日常生活のBGMにしてしまうほどまでのめり込んでしまうと、なんだか世捨人な人生を送っていくんじゃないかって思ったりもするわけです。

 今回取り上げたこの「Nothing Can Stop Us」は収録されている曲のほとんどがカバーなんだけど、いずれも事件や人を題材とした歌われた歌ばかりが収められている。「歌は世につれ」じゃないけれど、ある事件によって心に一石を投じられ、それが動機となって誕生した歌が多くの人々の共感を呼んで歌い継がれていった経緯を持つ歌を集めると同時に、彼の歌によって一石を投じた事件に関心を持った人もいるかも知れない。そういう意味では「たかが歌」の力を証明しているとも言えるわけだが、その「たかが歌」が歌い継がれる背景にはその内容だけでなくアレンジだとかサウンドの質感といった表面上のコーティングによって親しみ度が違ってくるのではないかという気がするのだ。

 ぶっちゃけた話、この人がこういう風に歌ったのが原曲だとしたら果たして歌い継がれただろうかと僕は思うのである。そういう風に見た場合、この楽曲達の素晴らしさや力に気付いたまではよかったにしても、その効力を失わせてしまったカバーバージョンではないかと感じてしまって「★1つ」だなと、かように思うわけです、ハイ。

 くり返すが、音楽作品としてはめちゃクオリティ高いと思うし、決して嫌いじゃないんだけど、なんつーかこの人とは音楽への向き合い方が僕とは異なるなって思ったんで、あくまでオレ的な「★1つ」です。

岩井喜昭 from " Music! Music! Music! "



空気としてのロック 

 今月はアルバムに対する思い入れが強すぎて、何を書いていいのかさっぱりわからないまま締め切りの日を迎えてしまった。ロバート・ワイアット「ナッシング・キャン・ストップ・アス」。たぶんパブリックイメージで言うところの「ロック」から大きく逸脱した作品ではあるが、僕にとっては「ロックってこういうことを言うのかも知れないな」と思わせた1枚で、その気持ちは今も変わっていない。

 この作品は、音楽活動を半ばリタイアして一時は職安に通っていたというワイアットが、短波放送を通じて世界のアンダーグラウンドな政治活動を知り、彼らの歌の力に心動かされて作りあげたカバーアルバムだ。当時のワイアットは、今なお残る西欧の帝国主義に失望して共産党員として活動していたという。ロックたるもの政治から切り離すことはできないが、この作品は政治的だからロックだ、などと言うつもりはない。そんなこたあどうでもいいのだ。
 ワイアットは、単に短波放送が伝えてくるアジテーションだけに共感したのではない。レコードビジネスとはかけ離れた場所で、音楽を通じて何かを表現したい、というポジティブなエネルギーがいかに素晴らしい楽曲を生み出すかに感動したのではないか。このアルバムは今や、メジャーレーベルを通じて僕の手元に届けられる。しかし当時は、インディーズがそのスピリットを失っていなかった頃の伝説的なレーベル、ラフ・トレードから、パンクと同じ「自由」を以てリリースされた。

 このアルバムの歌詞は時に扇情的だったり、痛みを伴う。でも、ワイアットの木管楽器のような無垢な歌声は、ポジティブに朗らかに胸に染み込んでくる。ワイアットが選んだ自由は、世界の民族の怒りを伝えることではなく、彼らのささやかな希望や、目に映る素朴な風景を伝えることだったのではないか。
 象の寝息のようなワイアットのボーカル、そして薄いベースやキーボード、ラフでユーモラスなパーカッション。これら必要最小限の楽器が作り出す「空間」は、ガンジスのほとりだったり、チリの鉱山だったり、ロンドンの曇り空だったりする。音楽家とは、言わば空気を振動させる職業だ。ワイアットは、感情や情景を空気の振動に翻訳して僕に届けてくれる。彼の寝息は東京の片隅にある僕の部屋の空気をすっかり入れ替えて、どこか違う世界へ連れていってくれる。
 彼はこのアルバムを発表した後、形骸化したイギリス共産党にも愛想をつかしてマイペースに音楽活動を続けている。彼の音楽は、政治から切り離しても変わらぬ魅力を持ち続けて、1997年の傑作アルバム「シュリープ」の音像に結実した。その音像がオリジナリティに溢れていて、ユーモアとちょっとの皮肉、失望とささやかな希望が込められていると、僕はそこにロックを感じるのだ。

山下元裕 from  " FLIP SIDE of the moon "



いくらかの無念さと諦めと 

 1982年、ロバート・ワイアット、ラフトレードからの作品。さて、1982年とはどんな年だったか?私は高校2年生だったな。
 大きな事件を思い出してみる。ホテル・ニュージャパン火災、日航機逆噴射事故。そうだ、あの二大災害の時は酷い喉の炎症に見舞われて、3週間も高校を休んでいたんだ。
 梅雨頃にはじめてのマイ・シンセ、コルグのMONO/PLOYを買い、夏はバンドに明け暮れていた。段々思い出して来たぞ。ムーンライダーズは『青空百景』、YMOはアルバムを出さず...高橋幸宏のソロ・アルバム『ボク、大丈夫』が話題になった年。そして海外では...ネオ・アコもワールド・ミュージックも「前夜」という感じではなかったか?前年に大流行した「ニューロマンティック」が終息し、クレプスキュールやチェリーレッド・レーベルなどの珠玉のサウンドに移行する、まさに「過渡期」といえる時期だった様に記憶する。

 さて、その過渡期にリリースされたこのアルバムを18年という歳月を経て−はじめて−聴いてみる。なんともユニークなカヴァー集もあるのだな、というのが第一印象。ロバート・ワイアットというのは素晴らしく自由なスタンスを持ったアーティストなのだな、というのが第二印象だ。
 ワイアットについて私が知っている全ての事柄−元・ソフト・マシーンのドラマー兼ヴォーカリスト、事故により車椅子生活を強いられ以降、ソングライティングが中心に。エルヴィス・コステロとのコラボレーションである「シップ・ビルディング」が有名。ナミビアの民主化を訴える「ザ・ウィンド・オヴ・チェンジ」も秀作であった...ここまで。これが私がワイアットについて知る全てだ。運命の悪戯で足の自由を失ったドラマー。秀逸なソングライターでもある。地味なロックの人である...そしてそうした乏しい予備知識をこのアルバムは心地よく覆してくれた。

 ネオ・アコ調もある、ワールド・ミュージック調もある、そしてジャズもある。世界中の様々な種類の音楽を集めて彼なりの解釈でアレンジを施したものだということだが、それは非常にユニークなアプローチとして見事に成功している。例えばポスト・ニューウェイヴを予見した様なアレンジの2「アット・ラスト・アイム・フリー」、'90年代に花開いたアフリカン・ポップスやアラビック・サウンドを先取りした様なアレンジもあれば、まさに2000年代の今にこそしっくり来る(?)ラテン・ポップスまである(マーク・リボー(g)の最新作('00)をちょっとだけ思い起こさせるところもある)。
 「ユニークなカヴァー集」「自由なスタンス」と行ったのはこのあたりが理由である。彼がそうした多様なサウンドを「ロックだ」と考え、1982年の時点で自らのソロ・アルバムとして発表していたのは驚くべきことである。
 しかし残念なのは私がそれを同時代的に聴けなかったことだ。「先取りサウンド」を20年近くを経て、今、はじめて聴くというのはなんとも辛い行為ではあった。

 映画ならば−特に黄金期の日本映画などならば−本当に心地よい行為なのに、ロックに於ける、ワイアットに於ける「先取りの後追い」(?)は快感は呼ばず、無念さと諦めだけが残ってしまった。そしてその無念さは私に自己反省も促してくれた。世界のどこに、どんなサウンドがあるか、それらを広く聴き、受容しなければならないという反省を。


定成寛 from " サダナリ・デラックス "






See you next month

来月は " Brand New Choice " 新譜の月です


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