インターネットロックページ共同執筆 新譜/名盤クロスレヴュー
月刊 ロック・クルセイダーズ No.020 Jul.'00
2000/07/20 Updated







今月は新譜の月です
Brand New Choice of this month

O.S.T.:
The Million Dollar Hotel


CID8094/542 395-2 (ISLAND) 2000



これからのサントラの形 

 『パリ・テキサス』『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』などの作品で知られる映画監督ヴィム・ヴェンダースが今度はU2のボノの原案を元に監督したのが『ミリオン・ダラー・ホテル』で、今回のお題はそのサントラである。
 サントラについて触れる前に映画のことを説明しよう。まず、ミリオン・ダラー・ホテルというのはロサンゼルスのダウンタウンに実在するホテルの名前である。かつてU2がアルバム『ヨシュア・トゥリー』の1曲目“Where the Streets have No Na me”のプロモ・ヴィデオでビートルズの“Get Back”を思い出させたとあるホテルの屋上での演奏シーンを記憶している方もおられるだろうが、あの屋上がこのミリオン・ダラー・ホテルなのである。映画はかつてのきらびやかさはなく、心の病んだ人々が交差するホテルの中で一組のカップルが生まれるという話し...だそうだ。日本公開は今年下半期の予定とういうことなので興味のある方は見に行きましょう。

 さて、前置きはこのくらいにしてサントラについての話を。実を言うとここまで最後まで通して聴けないアルバムに久々に出会った。で、何でそうなるかというと聴いている途中で必ず寝てしまうのである(笑)そももそもヴィム・ヴェンダースの映画自体、人を眠らせるのが得意として知られているのだが(そういう意味では『ブエナ・ビスタ...』は彼の作品にしては異例だったと言えるだろう)このサントラでも見事にその特徴は受け継がれている?というべきか。
 興味深い内容としてはこの映画のサントラのために編成されたMDHバンドによるテイク。ボノの他にU2のプロデユーサーとしてもお馴染みのダニエル・ラノワ、そしてラノワのサウンド・メイキングの師匠的存在のブライアン・イーノ。イーノとの活動で知られるトランペット奏者ジョン・ハッセル、ラノワのソロやジョニ・ミッチェルのバックでも芸寿的とも言えるドラミングを披露していたブライアン・ブレイド、そして近年自身のソロ・アルバムでアメリカの心象風景を写し出したような作品を発表しているギタリストのビル・フリーゼル。いずれもその音楽性において映像をイメージさせることのできることに長けたミュージシャン達が一同に会したそのサウンドは、インストナンバーは言うに及ばずボノのヴォーカルのバックで演奏を紡いでも絵心に満ちたバンドサウンドを披露しており、劇中においてこのサウンドがどのシークエンスと絡むのかを想像すると今からワクワクする。

 ポップ・ミュージックと映画とが結びつくというのはそれこそ『アメリカン・グラフティ』の時代からあったわけだが、単なる劇中のBGMを集めただけのサントラとしてでなく、映画の中で重要なポジションを占めるようになったのはやはりMTVの登場以降であろう。映像と音楽の融合においての可能性の扉を開けやすくした一方、“ハリウッド形式”と呼ばれるヒット・ソングと映画をタイ・アップさせて映画とサントラのの両方で設けようという商業的なタッグを組むパターンも数多く生んでしまい、その結果映像と音楽の融合という部分で下世話で安易な作品も多く生み出すことになってしまったのは否めない。
 しかし、本作を聴くとそういった一連の流れがから自然淘汰されて、ようやく新しい芽を出してきたという気がした。映画の原案を生んだボノがこの映画のサントラを自身のバンドであるU2としてのプロダクションチームでこなすことも充分可能だったろう。(逆に「U2でお願いします」と言う映画監督や配給会社のお偉方だってそれこそゴマンといる)だが、ボノも監督のヴィム・ヴェンダースもそうしなかった。本作にはU2名義によるテイクもいくつか収録されているが、僕はいい意味でも悪い意味でもU2の音であると思う。もし、これで押し通されたらそれこそハリウッド方式のヒット曲+映画の安易な方法論と何ら変わりはない。
 ミュージシャンとしての映画への係わり方をしっかりと意識したコンセンプトが見られる本作品は『サントラ』としての原点回帰への意味を持ちつつも、映像の世界に憧れを持つ多くのミュージシャン達にとってひとつの道しるべになるのではないだろうか。かつてライ・クーダーもサントラに対しての係わり方という点でひとつのお手本的存在であったが、ロック・ビジネスの世界というレールの上から降りてしまっているライよりも、金と欲が隣り合わせのゴロツキの世界に足を突っ込みながらもアーティストとしての表現をまっとうしようと戦っているボノ(とU2)がこういった作品にチャレンジしたことに意義があると思う。

岩井喜昭 from " Music! Music! Music! "



世界中の人が好きなものは真実、ですか? 

 音楽好きの男子たるものいつかは映画を撮ってみたい人種のようで、まあ僕もあわよくば何らかの形で関わってみたいものだと思う。かくしてある程度のステイタスを手にしたミュージシャンは映画を撮るわけだが、ミュージシャンの映画が面白かった試しがないのもまた事実。この作品は、U2のボノ原案、ヴィム・ヴェンダース監督による映画のサウンドトラック。日本での映画公開は今秋だそう。期待半分で待ちますか。

 さてU2は言うまでもなく、「ある程度」ではすまされない大変なステイタスを手にしたスーパーバンドだ。アイルランドの片隅から登場した彼らは、スティーヴ・リリーホワイトのソリッドなサウンドに乗せて、あくまで生真面目に世界への憤りを露にした。やがてブライアン・イーノ+ダニエル・ラノワの不思議なアンビエントに誘われて、あくまて生真面目にルーツロックへの巡礼の旅を敢行し、90年代に入ってからはあくまで生真面目に虚飾に塗れたロックスターを演じてみせた。
 ボノという人間のセンスはともかく、そのメッセージが正しく機能していたのは80年代までの話。90年代の彼らはもはや触れてはいけない聖域と化し、何を演じようとも茶化したり突っ込んだりしてくれる人さえいなくなってしまった。"Achtung Baby"や"Zooropa"、"Pop"といったアルバムを10回以上聴いたあなたはよっぽど体力がある。濃密なエレクトロニクスの洪水に、僕は一発でお腹いっぱい。イーノ+ラノワのコンビも重要な役割を果たしていたはずなのに、彼ら独特の浮遊感は生真面目オーラにすっかり埋め尽くされてしまった。

 そして登場したのがこのアルバム。今回は80年代のサウンドに立ち返り、しかもラノワ色がかなり強いとの評判を耳にしてちょっと期待して聴いたのだが、これはこれで聴き手にかなりの体力を要求するアルバムに仕上がっているのではないか。90年代のU2サウンドから下世話な重さを消し去り、かわりに「無我の重さ」がのしかかってくるのだ。
 ここで聴かれるサウンドは、確かにラノワの「魔法の耳」が選びだした音にほかならない。90年代のアルバムよりは、遥かにラノワの存在を感じることができる。しかしラノワのサウンドは、コラボレイター達のポップセンスと融合して初めて有機的な香りを放つのだ。無我の中から放たれるボノのメッセージとラノワの音像は、禅問答でも聴いているような濃密な「真実」だけを頭に叩き込む。

 これはロック文化が持つほんの一面だけを、極限まで純化した音楽だ。そしてサウンドトラックは、映画の持つほんの一面だけを切り取ったに過ぎない。彼らの無我が映像と融合してどれだけ有機的に輝くのか、はたまた無駄な重みを身にまとってしまうのか。このアルバムを聴いただけではなんとも言い難い。少なくとも今日現在、僕に必要な音楽でないのは確かなのだが。

山下元裕 from " FLIP SIDE of the moon "



映画を観てから改めて考えたい 

 この『ミリオン・ダラー・ホテル』のオープニング、「あれ、この感じはどこかで聴いたぞ」−'91年の映画『夢の涯てまでも』のサウンド・トラックに似ているのだ。アルバムが進み、インストの曲などが出てくると一層それは強くなって来る。なるほど、そりゃそうだ。同じヴィム・ヴェンダース監督作品のサントラなのだから。
 U2にダニエル・ラノワか...「昔はちょっと聴いたけど...」という連中だな。ロックな面は他の人に任せて、えい!ヴェンダースのことを書いてしまえ!

 この映画『ミリオン・ダラー・ホテル』は前述の通りヴィム・ヴェンダース監督作品であり、U2のボノが制作にも参加している。サウンドトラックはその逆、ボノのプロデュースにヴェンダースも参加。本編、サントラで2人の完全なコラボレーションになっているわけだ。「随分音楽好きの映画監督だなぁ」とお感じかもしれないが、今回はマシな方だ。むしろ大分抑えている(笑)。やりたいことを思い切りやっちまった『夢の涯てまでも』の反省かな?
 '91年の作品『夢の涯てまでも』では自分の好きなミュージシャンを軒並み参加させてしまった。これが、まぁ、判る人にだけ判るオールスターキャスト。CAN、トーキングヘッズ、エルヴィス・コステロ等々...脈略ねぇなぁ(笑)。なんというか、ニギヤカだけどサンマンなサントラでした。ついでに本編にも笠智衆に三宅邦子という小津安二郎映画の常連から、竹中直人までひっぱり出して、ヴェニスからリスボン、そして遙かユーラシア大陸を横断し、東京を経てオーストラリアにまで飛んでしまった。内容的には悪評だったけれど、実は私は結構気に入っている。

 元々音楽には並々ならぬこだわりを見せる監督である。古くは'70年に『都会の夏/キンクスに捧ぐ』と題された作品(ミュンヘン大学卒業制作)も残している。以降、『パリ・テキサス』('84)でのライ・クーダとのコラボレーション、そしてそのライとキューバのミュージシャン達をフィーチャーしたドキュメンタリー『ブエナ・ヴィスタ・ソシアル・クラブ』('99)、'87年のヒット作『ベルリン天使の詩』にはニック・ケイブ&バッド・シーズのライヴ・シーンを登場させて...と音楽にこだわる貴重な映画監督、要するにロックおたくなのだ。

 ではヴェンダース作品で最も印象深かったサントラは?と聞かれると前述したロックな作品ではなく、'77年のドイツ制作作品『アメリカの友人』を挙げたい。『太陽がいっぱい』で知られるパトリシア・ハイスミス原作のサスペンスを深い、本当に深い演出で描いたあの作品に流れる乾いたギターの音色こそ忘れ難きものである。音楽担当はユルゲン・クニーパー 、ブルーノ・ガンツとデニス・ホッパーという独米超弩級演技派俳優の競演にも唸った。ともかく「叩きのめされた」という感じで思わずギターでコピーなどしてしまった程だ。
 私はここに映画音楽の本質を(ちょっとだけ)見た気がする。その素晴らしさはミュージシャンの知名度でも、編成の豪華さでもなく、ストーリーと画面と一体化した音色、そして印象的なリフにあるということを。

 さて、そんなバックグラウンドを持つヴェンダース映画の最新のサントラな訳だが...正直なところサントラ単体での印象派極めて薄い。いくつかの曲のイントロやサビをぼんやりと覚えた程度だ。本編はロスが舞台で、キャストもメル・ギブソンやジェレミー・デイヴィスだそうだ。内容がそうだと、こんな音になるのかなぁという感じ。ううむ、これはサントラ単体で存在するには少々キツイのではないだろうか。
 今年前半に話題となった『ブエナ・ヴィスタ...』ではキューバのご老人たちを本当にチャーミングに撮り、その前々作にあたる『リスボン物語』('95)ではポルトガルの珠玉のバンド、"マドレデウス"をサントラと本編の双方にフィーチャーして、音楽と映画の完全なるコラボレーションをはかっていた。そんなヴェンダースにしては、あまりにもフツーのサントラにも感じてしまうのだ。
 ジャズファンの目で見ると、ここ数年大注目している気鋭のピアニスト、ブラッド・メルドーと、やはりここ数年ノリにノッているギタリスト、ビル・フリゼールの共演などというここでしか聴けない貴重なセッションも収録されているのだが、それも特色のない小品で終わってしまった。

 さて本編はどんな出来だろう。アメリカの狂気を描き続けたデイヴィド・リンチが『ストレイト・ストーリー』で一転、ほのぼのとした良心を映し出し、アメリカいちの皮肉屋、ロバート・アルトマンが『クッキー・フォーチュン』でやはり家族の愛を描き、そしてアメリカン・カルトの巨匠(?)ジョン・ウォーターズが快作『I LOVE ペッカー』でグロのないスカっとしたコメディー(この作品、サントラも秀逸)を...'80年代に名を馳せた個性派監督達が明らかに新機軸に移りつつある今、『ブエナ・ヴィスタ...』というドキュメンタリーでワンクッション置いていたヴェンダースの次回作には皆が注目している。そしてその映画の中でこのアルバムに収められた音楽たちが活きていれば、一体化していれば十分だろう。

定成寛 from " サダナリ・デラックス "






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