インターネットロックページ共同執筆 新譜/名盤クロスレヴュー
月刊 ロック・クルセイダーズ No.019 Jun.'00
2000/06/20 Updated







今月は名盤の月です
Good Old Choice of this month

NICK DECARO : Italian Graffiti

MVCM-21036 (MCA/VICTOR) 1974 / 1992



AORファンには男が多い?

 健全な男性諸君なら誰だって一度は「ミュージシャンになれば俺もモテるだろう」とよこしまかつ素直な夢を抱いたことはあるだろう。白状してしまえば私だって中学の時初めてギターを手にした時は「これでオレも...」と思ったものだ。しかしながら一週間もすれば音楽をやっていようがいまいがモテるヤツはモテるしモテないやつはモテないと悟ったと同時に、音楽を演奏する喜びにハマっていったのだけれど。
今さらながらよくよく考えてみると、「見た目がだめな分を音楽でカバーする」というのは、目に見えないぶん分かりにくい『音楽』という媒体で勝負するだけに、見た目以上に魅力的な音楽を奏でなければならなかったわけだ。仮に見た目が今イチを「 -1ポイント」とするならば、見た目「-1」で音楽が「普通(=0)」じゃ差し引き「-1 」であって最低でも「+2」以上でないとプラスに転じない(=自分の魅力をアピールできない)ということである。

 それじゃ見た目のマイナスを補い、さらにはプラスに転じるだけの魅力的な音楽を繕うとした場合、そこに何が必要になるだろう?魅力を見極める目(耳、センス)とそそれを鳴らせる腕(テク、センス)、そしてそこ(この場合音楽だが)にどれだけ自分を注ぎこめるか(愛情を注げるかとも言える)ではないだろうか。この3つの要素を片寄らずバランス良く高めていく事が大切なような気がするのだ。

 「天は二物を与えず」というか人にはそれぞれの良さがあるといおうか、見た目はアル・ヤンコビック(20代の人とかは知らないかな?)みたいな顔をしていても、この素晴らしくかつ美しい音楽を生み出せるニック・デカロ。ここまで素晴らしい音楽を生み出せれば見事にプラスに転じることができる。下手すればキムタクばりの美形を保持する男にだって勝ち目がありそうなもんだ(と私は思いたい)
 でも、彼の音楽に内包された情報量はそれこそ広く深くて、さまざまな音楽の要素がその良さを殺すことなく存在している。正に先述の3要素が揃っているからこそできた音楽である。この手の音を作らせたら右に出るものはいないであろうトミー・リピューマとアル・シュミットを始め、デヴィッド・T・ウォーカーを筆頭とした腕ききのミュージシャン達のサポートを得て作られた楽曲群。彼の魅力をあますところなく出し切った名盤であると同時に、当時この音楽が世のモテない君に力を貸したのではないだろうか。

 さてさて、最近この日本でも以前に比べ「好きだ」と公言する人が増えてきたこの種のAORだが、今回もちらっとネットサーフしてみたら予想以上にAOR好きの音楽ファンのホームページを見つけることができた。そしてそのホームページを作っている人達のほとんどが30代半ば前後の男性達だったのも印象的だった。なんたって「アダルト・オリエンテッド・ロック」って言われるぐらいだから、そういう年代になってくるとこの手の音楽のオトナびた部分が心地よくなって来てるのかなと33才の私自身、この手の音楽がめちゃくちゃ心地よい今日この頃。ちなみにこのアルバムを発表した時、ニック・デカロは36才だったそうで。

 こと男性ファンの多いAORであるが、考えてみれば「R&Bが好き」って言う女性はいても「AORを好んで聞く」って言う女性ってお目にかかったことがない。大抵は男の方が「これ、いいんだよ」って聞かせてボズ・スキャッグスやボビー・コールドウェルやマイケル・フランクスを知るってパターンが多いのかも。男というものはある意味、女性よりもロマンチストってことでしょうかねぇ。(サダナリさんと山下さん、どう思います?)今回に関しては特に女性の立場からこのアルバムを語ってほしい気もするなぁ。そうすると男と女の「ロマン」の違いについて見えそうな気がするし、現代においてこのアルバムの評価が見えてくるように思うのですが。というわけで、このアルバムを聞いた女性の方、感想のメール、求めます。

岩井喜昭 from " Music! Music! Music! "



名盤コーナーの片隅で埃かぶってそうな1枚 

 僕が彼の名前を知ったのは、ソフトロック史上の名盤"Roger Nichols & The Small Circle Of Friends"のスタッフとして。彼がアレンジしたカバー曲の数々、特に"With A Little Help From My Friends"や"I'll Be Back"なんて、ビートルズのアルバムではつなぎの曲くらいに思っていたのが、ロジャー・ニコルズのバージョンを聴いて初めてそのよさに気がついたくらいだ。以来、Harpers Bizarreの"Me, Japanese Boy"や"Small Talk"といった名演の影にも彼の名前を見つけて、ソフトロック初心者だった僕がレコードを探す時の指針にしていたものだ。
 そんな彼の幻のアルバム"Italian Graffiti"が再発されたのは何年前のことだったか。蝶ネクタイを締めたジャケットに一抹の不安を感じつつも、トレーに放り込んで聴こえてきたムーディーなサウンドにはちょっとがっかりした。なんかこう、大人の余裕っていうんですか。ロジャニコにあった、子供の内緒話みたいな抑えきれない楽しさは最初から期待してなかった。でももっと清廉とした、かっこいい大人であって欲しかった。ロジャニコの甘さを残しながら青臭さだけを捨て去り、子供の頃に大人に感じていた嫌悪感そのものの大人像がそこにあったのだ。

 今になって聴き返してみると、これは確かによくできたアルバムだ。甘いストリングス、ファンキーなフルート、そしてジャジーなギターにはニック・デカロ自身の暖かいボーカルがたおやかにからみつく。1曲目の"Under The Jamaican Moon"からしてとろけそうなファルセットに心奪われてしまった。穏やかなスタンダードナンバー"Tea For Two"で聴ける分厚いコーラスの美しさ、ジョニ・ミッチェルのカバー"All I Want"のソフトロック然とした溌溂さ。トッド・ラングレンやランディ・ニューマンのナンバーを取り上げるセンスのよさ。バラエティに富んでいて非常にバランスがいい、これはたぶん名盤です。
 でも僕がこのアルバムを次に聴くのは何年先になることやら。ラックの中からこのアルバムに手を伸ばすモティベーションが見つからないのだ。ロジャー・ニコルズのような躍動感もなく、ダン・ヒックスのようなオリジナリティもない。全てが計算尽くで出来過ぎていて、プロの視点でコントロールされているのだ。彼はアダルトで洗練されたソフトロックを作ろうと思い、その通りのアルバムが出来てしまった。そこがどうにもつまらない。
 ステージにはステージのリアリティが、宅録にはベッドルームのリアリティがある。しかし、有能なプロデューサーでありアレンジャーである彼はスタジオにおける神であり、全ては彼の掌の中の絵空事に過ぎないのだ。やっぱりニック・デカロは誰か強烈な個性と組んでこそ面白いミュージシャンだと僕は思う。

山下元裕 from " POYOPOYO RECORD "



嚆矢を知るということ 

 数年前のことになるだろうか、東京の外国語FM局、インターFMの音楽番組でピーター・バラカン氏がボズ・スキャッグスの紹介をしていた。英語だったので、まぁ、完全に理解出来たとは言えないが、ともかく「昔は素晴らしい音楽をやっていたんです」を強調していた様に思う。「昔はヨカッタ、今はダメ」を連呼する感じではなく、彼らの「所属」するAOR(アダルト・オリエンテッド・ロック)の形骸化(および地位の失墜?)を嘆く様な論調だったので、妙に印象に残っている。そして続けてプレイされたスキャッグスの旧作は、なるほどユニークで興味深い音楽であった。

 2000年代の東京でAORを賛美する音楽ファン、音楽通はあまりいないかもしれない。ともかくイメージが悪いのだ。'80年頃のあのイメージ、前出のボズ・スキャッグスを筆頭にボビー・コールドウェル、クリストファー・クロス等々、キザなジャケットと保守的なサウンドで、「あんなのロックじゃない」と糾弾されるか、「中古レコード屋の100円LPコーナーに入ってるぜ」と嘲笑されるか...。
 しかしその嚆矢(こうし)をいま一度考えてみるのは意味のある事なのではないだろうか。結論から言えば山下達郎だって、いや、もしかしたらピチカート・ファイヴだって同じ源をもった音楽かもしれないのだから。

 ティーンのためのポップ・ミュージックに洗練されたアレンジを加えて大人向けのものにする。そのためのエッセンスはジャズやソウル、そして流麗なオーケストラ。あくまで都会のイメージで−これがニック・デカロと、プロデューサーであるトミー・リピューマが考えたこのアルバム『イタリアン・グラフィティ』のコンセプトである。これはそのまま、のちに彼らが生み出したAORのコンセプトとなったと考えても構わない。
 前文「ティーンのための...」はデカロ本人の述べた言葉だが、私が聴いた感じではさらに映画音楽のエッセンスと、絶妙のコーラス・ワークが加わると思う。さてここまでのエッセンスが揃えば...これを単純にキザなもの、保守的なものと切り捨てることは出来ないだろう。山下達郎や松任谷由実、吉田美奈子や大貫妙子、そして小西康陽や田島貴男の手法とどこが違うというのだ。同じではないか。

 とまぁ、前半やたら弁護口調のサダナリであったが、このアルバム、10年来の超愛聴盤で、そのわりに全く知名度がなく、ついつい思い入れがコボれてもしまうのだ。さて、そもそもどうやって辿り着いたのか?ヴァン・ダイク・パークス経由?いや、トミー・リピューマだったかな...。
 ニック・デカロは'38年生まれの名前からしてイタリア系アメリカ人。ミュージシャンを父親に持ち、ハイスクール時代からバンド活動を開始している。実は前出のプロデューサー、トミー・リピューマはこの頃のバンド仲間である。リピューマはのちにリバティー・レコードに入社しかつての仲間であるデカロを誘う。ふたりは一旦リバティの社員となるが、リピューマが'65年にA&Mレコードに移籍。デカロは独立してフリーランスのアレンジャー/プロデューサーとなった。そして彼らが築いたのが'60年代後半のA&M黄金時代だ。クリス・モンテス(vo)やクロディーヌ・ロンジェ(vo)など、夢のようなポップス・サウンドで世界中の音楽ファンを魅了する。いまだにファンの多い「A&Mポップス」を生み出したのがこのデカロ=リピューマのアレンジャー/プロデューサーチームなのだ。
 '70年代に入るとリピューマも独立、"Bule Thumb"というレーベルを始める。デカロもこれを手伝い、送り出したアーティストにはクルセイダーズやポインター・シスターズ、ラリー・カールトンや異才ダン・ヒックスなどがいる。そしてこの時期に製作された二人の手による珠玉の名盤がこの『イタリアン・グラフィティ』というわけだ。
 ちなみにリピューマは数年前に突如、ジャズ系のGRPレコード社長に就任。ポップスの神様ではあるが、ジャズもこなしてしまうのだ。実はこのアルバムにもフィル・アップチャーチ(g)、バド・シャンク(fl)などジャズ界の実力派が参加している。

 まだ工場に勤務していた頃、週末だけ逗子の実家に帰っていた。初夏のある土曜日、鎌倉のレコード店で買った記憶がある。夕暮れの部屋で一人で聴き、「これは土曜日の夕方向きだ!」と強く確信した。まぁ、たまたま買った時の印象が強いのかもしれないが、いや、この贅沢な時の流れは平日の夜ではない。日曜日でもない。やはり、土曜日のそれだ。そんなイメージを持った、至極の一枚である。

 もう一回、このアルバムのコンセプトを思い出して欲しい。ポップスにジャズやソウル、ストリングス、サウンド・トラック風、コーラス・ワーク...どれも皆さんお好きなものばかりですよね(笑)。まったくAORってやつは、一体、いつ、どういうきっかけであんな風に変質しちまったのかな。最初はこんなに素晴らしかったのに...。
 ニック・デカロ−御存知のない名前かもしれませんし、AORというジャンルに躊躇するかもしれませんが、この機会に是非、お聴きいただければと、ファンを代表して申し上げます。1曲目からはピチカート・ファイヴと坂本龍一が引用を行ってもおります。高浪敬太郎氏のソロの某曲もそっくりであります。実はみんな聴いてるのだ。

定成寛 from " サダナリ・デラックス "






See you next month

来月は " Brand New Choice " 新譜の月です


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