インターネットロックページ共同執筆 新譜/名盤クロスレヴュー
月刊 ロック・クルセイダーズ No.016 Mar.'00
2000/03/20 Updated







今月は新譜の月です
Brand New Choice of this month

DR.JOHN : Duke Elegant

TOCP-65367 (Toshiba EMI) 1999/12/22



"Dr.John"名義でなけれりゃ4ツ★だったなぁ。

  いわゆるカバー・アルバムと一口に言っても元ネタに対してどうカバーされているかでその内容が大きく変わってくる。カバーの仕方でアーティスト本人が元ネタをどう見ているかをかいまみることができると言ってもいいだろう。
 アーティスト本人が元ネタを心底好きで愛情いっぱいなカバーをしたとしても、それがカバーとして面白いものになるかというと決してそうではないというのがカバーの難しい所である。ぶっちゃけた話しをすれば元ネタよりカッコいいと感じる何かが加えられていなければ、元ネタ聴いていればいいじゃんって思うのだ。で、そうなってくるとこれがなかなかないんだなぁ。

 さて、今回のお題となったドクター・ジョンの新作はジャズの巨匠デューク・エリントンをモチーフにしたカバー集。最初そのことを聴いた時はいくら好きなドクタージョンとはいえ「89年&95年とジャズのスタンダードを集めたアルバムを出しているにもかかわらず今回はエリントンかい!」と感じたのだが、こちらの予想をいい意味で裏切る内容だった。原曲をほとんど知らない私にとっては「エリントンってこんな曲作ってたんだ」と驚かされることしきり。原曲知ってりゃここでさらにドクターのエリントンに対する批評性を読み取る楽しみができるだろうな。

 シンプルなバンド・サウンドで録音されたエリントン・ナンバーのあちらこちらにちりばめられたエッセンスはニューオリンズ・ミュージックおよびドクター・ジョンのアルバムを聴いたことがある人なら耳に馴染んだもの。そういう意味ではロックなリスナーにも格好のエリントン入門偏アルバムと言えるかも知れない....ってここまで書いてきてあれ?確か前にもそんなことあったぞ。
そう、かつて多くのロックなリスナーの耳をニューオリンズへと向けさせたドクター・ジョンの名作『Gumbo』の時と同じように僕らは再びドクター・ジョンの手に導かれてエリントン・ミュージックへの扉を開けようとしているのだ。

 ただ、これは好みの別れるところだが、時折フュージョンっぽいテイクがあるのはいただけない。ビッグ・バンドをバックに歌う粋なドクターは好きでも、力量のあるミュージシャンが余裕かまして鳴らしてるような小粋なドクターは好きにはなれない。デューク・エリントンの多様な「エレガント」を知ってもらうには変に片寄ってしまってはだめ思うし、ドクター本人の多様性も知ってはいるが僕が一番好きなのはロック・フィールドにアピールできるドクター・ジョンだ。
 彼が多様な音楽性を持っていてそのどれもが水準以上で、彼自身の表現への衝動がそうさせているのだとしても、やはり僕としてはドロドロのドクター・ジョンが一番聴きたいと思う。こういうアルバム出す時は別の名義(確か昔マック・レベナックって変名持ってなかったっけ?この人)にして発売してくれるとこっちも嬉しいんですけど。でも、いいアルバムだとは思いますホント。

岩井喜昭 from " Music! Music! Music! "



ポピュラーミュージックの濾過装置 

 たぶんこの興奮の何割かは、僕の無知と不勉強からきてるんだろう。このアルバムが彼のキャリアの中で特に優れているかどうかなんて知る由もない。だって僕にとってドクター・ジョンは、神出鬼没のセッション・ミュージシャンとしてコロコロとユーモラスなピアノを弾く変な名前のおじさんに過ぎなかったんだから(最近ではG.Love & Special Sauceとの共演が印象的だった)。ジョンの演奏は、あくまでタイプの違う音楽と反応して予期せぬ輝きを引き出すスパイスであって、彼自身の音楽は小難しく近寄り難いものだと思い込んでいた。それはたぶん、このページでも何度となく告白してきた「本物」とやらへの拒否反応のせい。コンパクトなバンドがおそろしく豊潤なグルーヴを生み出す彼の音楽を知って、ああもう自分のリスナーとしての底の浅さには呆れるばかりだ。

 このレコードは、デューク・エリントンのスタンダードナンバーを取りあげたカバー・アルバム。ピアニストでもあったエリントンのカバーなら、当然トレードマークのカラフルなピアノが転げ回っているに違いないと思っていたのだが、そんな安易な予想さえさらりとかわされてしまった。ピアノは本当においしい所にとっておいて、特にアルバム前半ではファンキーなオルガンの演奏が中心。まず僕の耳を奪ったのは、実はジョンの演奏ではなくスネアの音の気持ちよさだった。重く弾けるベースだって、楽器の持つ物理的な音響特性がビリビリと伝わってくるようだ。ひとつひとつの楽器の音に存在感があって、まるで全ての楽器奏者のソロアルバムみたい。シンプルに整理されたフレーズが絡みあって大きなグルーヴを形成していく面白さ、リズムという現象の懐の深さを、僕のようにバンド経験のないリスナーにもわかりやすく教えてくれる。
 出し惜しみしてたニュー・オリンズ風のピアノが炸裂するナンバーは、まさに本領発揮といった感じ。エリントンのスタイルに敬意を払うというより、同じピアノ馬鹿としてのシンパシーをむき出しにするかのように、自分のカラーをガンガン振りまいていく。アルバムには僕でも知ってる有名な曲が何曲か入っているのだが、その数曲を聴いただけでドクター・ジョンの曲解ぶりが相当なものだとわかる。いや曲解したというよりは、エリントン音楽の楽しさをドクター・ジョンという強烈な引力で引き寄せて、スウィングバイ航法で加速して世界中にぶちまけたような力に満ちているのだ。...いるのだが。僕ら日本人は聴いてるうちに細野晴臣の「Tokyo Shyness Boy」や「はらいそ」を思い出しちゃうんだから本末転倒、そういえば細野さんも「キャラバン」演ってたなあ。

 様々な人種が行き交う港町ニュー・オリンズは、ジャズやロックを生み出した異種交流の舞台。ニューオリンズ経由の化合物を、コピー文化華やかなトーキョー・ジャパンに輸入して、醤油をかけて喰ったのが細野晴臣だ。ん。ちょっと待て。ひょっとして、僕がこのアルバムにすぐに反応できたのは、細野晴臣というフィルターを通じてドクター・ジョンの音楽に既に親しんでいたからじゃないだろうか。細野さんの音楽は、情報の港・東京でキャッチしたおかしなフィーリングを、インスピレーションとユーモアのスープに溶かしたゴッタ煮だ。そして、そのアンテナに情報を送っていた発信源のひとつがドクター・ジョンである。つまり細野さんも、ドクター・ジョンというフィルターを通じてアメリカ南部の文化に思いを馳せたわけだ。
 今回ジョンが取りあげたデューク・エリントンの音楽、ひいてはジャズの起こりについての蘊蓄を僕は持ち合わせていないのだが、異人種間の幸福な出会い、出会いそのものが幸福だったかは別として、出会ってしまった結果の幸福なゴッタ煮であることは間違いない。とすればこのアルバムは、エリントンの音楽の楽しさをねじ負けてして我がものにしたのではなく、その楽しさのソースを引っぱり出して彼なりに組み換える試みだったのかも知れない。エリントンがジャズというスタイルを借りて調理したおいしいゴッタ煮の素材を探り、ブルースやファンクというスタイルを借りてコンテンポラリーなお口に合う別の料理に仕上げること。ゴージャスなビッグバンドが似合うエリントンの音楽を敢えてコンパクトなコンボで演奏したのは、エリントンの軽妙なエッセンスを濾過して、素材の味を生かすためだったように思える。

 血と空想。意識は遥かアフリカ・ヨーロッパの過去に向かい、アジアの未来にも向っている。かつて細野さんを奮い立たせたドクター・ジョンという鉱脈は、4半世紀たってもなおフィルターとして機能しているし、たぶんこれからも創造のパイプとして、過去と未来を飄々とつなぐだろう。そして、その楽しさを享受しておきながらアンプリファイする術のない僕は、このささやかな感想文を書くことで興奮を静めているのだ。

山下元裕 from " POYOPOYO RECORD "



黒と茶の困惑 

 「なんか、イヤーな感じがしないか」−某洋酒メーカーのCMでサザン・オールスターズの曲を歌うレイ・チャールズ(vo,p)を観て父親が言った。あの方(サダチチ)、音楽マニアでも何でもないのにたまにズバリと至言を呈する。いわゆるひとつの動物的勘なのかな。さすがは長嶋の後輩だ。確かにあのCMはイヤーな感じだったな。なぜレイ・チャールズなのか、なぜサザンなのかが全く判らなかった。

 そしてこの『デューク・エレガント』、なぜドクター・ジョンがエリントンなのかは、まぁ、判る。面白い組み合わせだ。黒人のアイデンティティにハーレムのマジックをプラス、更にはエキゾティシズムまでも取り込んだ唯一無二のエリントン・サウンドと強烈な南部臭を放ちワン・アンド・オンリーのピアノ&ヴォーカルを貫くドクター・ジョン。過去にジャズのカヴァー・アルバムも発表しており、ブルーノートや斑尾ジャズ・フェスにも出演しジャズとの接近も果たす彼だが...このサウンドはなぁ。
 二人の接点、それはいずれもアメリカン・ミュージックのひとつのスタイルを体現しようとしているところだろう。その特徴は今書いた通り。ドクター・ジョンもエリントンも共にピアニストということもあり、音楽ファンの期待を呼ぶ中々面白い組み合わせである。とまぁこのコーディネーションはよーく判るのだが...判るのはそこまでで、実際のサウンドとなるとさっぱり判らない。

 ドクター・ジョンを評する時に歴史的名盤『ガンボ』('72)と比較してしまうのは反則かな?いや、まぁ、ムリのないことか。病みつきになってしまったあのアルバムに溢れていたリズムの快感がぜーんぜんないのだ。がっかり。
 この比較に限らず'60〜'70年代の名盤と最近の新譜との大きな相違点はリズムであろう。ネバっこさ、泥臭さ、グルーヴの快感...我々をロックの虜にしたあのプリミティヴな魅力がすっかり消えて、無味乾燥なものになってしまっているのだ。このアルバムもその典型、例えば「スイングしなけりゃ意味ないね」や「キャラバン」など、「よくドクター・ジョンがこんなの許したな」なんてことまで考えてしまう。「キャラバン」なんてまるで町のアマチュア・ビッグバンドの発表会だ。ジャズ畑から実力派バリトン・サックス奏者、ロニー・キューバが参加。エリントンの片腕ともいうべき名バリトン奏者、故・ハリー・カーネイを彷彿とさせるプレーを聴かせる...のかと思ったら、大違い。全く印象に残ってないや(苦笑)。
 蛇足だが、クラブでプレイされるオサラが総じて'60〜'70年代のもの(及び一部'80年代クロスオーヴァーなど)であること、ロックファンの関心がブラジルやキューバなどに移ってしまったことのウラにはこのリズムの問題が潜んでいるのではないだろうか。
 さて、そうは言っても全編通しての駄作というわけではない。例えば「ムード・インディゴ」などはかつてのドクター・ジョン節を思わせて思わず頬が緩む。ついでに細野晴臣の'70年代のソロ作品なんてのも思い出す。例の、南部〜エキゾティック調もしっかり入ってはいるのだ。この曲に関しては、名演。

 昔と全く変わらずにネバっこいロックを演っている人−一体どれくらいいるのだろうか?筆頭は意外にもストーンズで、他にはNRBQ、ヴァン・ダイク・パークス、ロス・ロボス...意外に浮かばないなぁ。ハース・マルティネスの新譜もイマイチだったし、バリー・マンの新譜はたっぷりと愛聴しているけれど、往年の名曲のセルフ・カヴァー集で新曲ではなかったし。続けることと、新しいものを生むこと、当たり前の様だが難しいのだ。ううむ...。

 冒頭に戻りますが、レイ・チャールズ・シングス・サザンなんて、いかにも日本の広告会社が仕掛けそうなことですよね。しかし、あれ、まてよ?「イヤーな感じ」と言ってたサダチチさんこそ、CMプランナーだった'70年ごろ、カルピスのCMで"オズモンズ"にヘンテコな日本語の歌を唄わせていませんでしたっけ(苦笑)。子供ゴコロに記憶があるんですが。
 でもね、オズモンズみたいなバブルガム・ポップはそうした「なんでもあり」も魅力のうち。それに対してレイやドクター・ジョンといったワン・アンド・オンリーの大御所は、「なんでもあり」じゃ困ると思うんだけどねぇ...。

定成寛 from " サダナリ・デラックス "






See you next month

来月は " Good Oid Choice " 名盤の月です


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